第10話 ケンカ(2)

 時薬というものに期待したが、ひと晩たっても奈都からは何の連絡もなかった。朝、少し早めに駅に行って待っていたが、奈都とは会えなかった。急な用事でもなければ、意図的に私を避けていることになる。

 絶望的な気持ちで学校に行くと、絢音が心配そうに私の顔を覗き込んだ。

「進展なし?」

「うん。もうダメかも……」

 弱気な発言をすると、絢音が私の頬を両手で挟んで、優しい瞳で微笑んだ。

「諦めずに仲直りしてね?」

「絢音は、私と奈都が仲良しの方がいいんだね?」

 少し意地悪な質問をしてみる。奈都は私が絢音や涼夏と仲良くしていることを、100%喜んでいるわけではない。ましてやこんなことがあった後だ。奈都はそんな子ではないとは言ったが、もしかしたら心のどこかで、絢音がいなければと思っているかもしれない。

 絢音はどうだろう。正面から真っ直ぐ瞳を見つめると、絢音は「んー」と可愛らしく指を立てた。

「もちろん、このコミュニティーにナツがいる方が嬉しいよ? でも今は、千紗都がちゃんと仲直りできるかが心配なの」

「同じに聞こえる」

「違う。今回はナツだったけど、この先私や涼夏と喧嘩した時、千紗都がちゃんと仲直りしてくれるのか、それが心配ってこと」

 絢音が柔らかく私の心をえぐる。実際、私は少しだけ心が折れかけていた。もうこのまま奈都とは仲直りできないとさえ考え始めた。そしてそれを、心のどこかで、仕方がないと諦めている。

「泣いてすがりつくくらいの緊張感が欲しい。今回は千紗都が悪いよ? ちゃんと謝った? もしかしたらナツも、自分なんて千紗都にとってその程度の存在なんだって、ショックを受けてるかもしれないよ?」

 耳が痛い。まったくその通りだ。私がしょんぼりと項垂れると、絢音が私の髪を優しく撫でた。

「可愛い。ここが教室じゃなかったらキスしてる」

 うっとりと微笑む絢音に、私はほっと息を吐いた。奈都との件が、絢音や涼夏に波及することだけは避けたい。もしかしたら私は、もちろん友達に優劣をつけてはいないけれど、それでも敢えて選ぶとしたら、奈都より絢音と涼夏の方が大事なのかもしれない。

 そんなことを、私は望んでいない。二人が奈都を正妻だとからかうたびに、当然そうだと感じていた。奈都は私のすべてだった。中学の時、部活を辞めて一人ぼっちだった私を、奈都だけが構ってくれた。そばにいてくれた。

 でも、もしかしたら、私はそれだけの理由で奈都に固執しているのかもしれない。そして今、新しい友達が出来たから、私は奈都を捨てようとしているのだろうか。

 いや、いつだって離れて行くのは奈都の方だ。私を置いてバトン部に入った。今回だって、謝ったのに許してくれない。誕生日会の帰り道、号泣した感情は嘘ではない。私は奈都と離れたくない。

 結局お互い声をかけないまま、一日が終わった。放課後は涼夏と遊んだが、気が晴れなかった。

「早く仲直りしないと、色々やばいよ?」

 涼夏が心配そうにそう言ったが、具体策は何もなかった。やばいのはわかっているが、ひたすら謝る以外にできることがない。もう一度謝って、「でも来ないんだよね?」とでも言われたら、今度こそもうおしまいだ。そこで「じゃあ、行く」というのは、絢音に対しても申し訳ない。

 人も関係も変わっていく。そろそろ最悪の展開も考えなくてはいけないかもしれない。

 涼夏と別れた後、私は電車の中でグッと唇を噛みしめた。


 翌日、終業式前日。涼夏が何とかしろと忠告したタイムリミットまで残りわずかだが、打開策は何もなかった。もしこのまま夏休みに突入したら、本当に関係が終わってしまう。

 奈都と丸2日も言葉を交わさないのは、少なくとも高校に入ってからは記憶になかった。土日両方会わない時でも、メールの1通くらいは送っている。今はそのメールすらない。

 憂鬱な気持ちで駅に向かうと、いつもの出入口に奈都が立っていた。私を見て、明るい笑顔を浮かべる。

「おはよ」

「あ、うん……」

 動揺しながら頷くと、奈都は私の手をギュッと握って引っ張った。

「行こっ!」

「うん……。奈都?」

 手を繋いで歩きながら、恐る恐る呼びかける。奈都は視線を逸らすことなく、穏やかに私を見て首を傾げた。

「何?」

「怒ってないの?」

「んー、一昨日は私も言い過ぎたね。ごめんね」

「ううん。奈都は何も悪くない。ごめん」

「いいよ」

 拍子抜けするほど軽やかにそう言って、イエローラインのホームに降りる。ずっと手を握っていること以外は、すっかりいつも通りだ。やってきた電車に座ると、奈都が私の手に指を絡めながら恥ずかしそうに口を開いた。

「売り言葉に買い言葉っていうか、二度と誘わないとか言っちゃったけど、誘うから。暇な時は見に来てね」

「うん。本当にごめん」

「だから、いいってば」

 奈都が屈託なく笑う。その笑顔に含むところはないが、私は強い違和感を覚えた。

 あれだけ怒っていた奈都が、どうして私を許してくれたのだろう。もちろん、奈都とてあのまま喧嘩別れするつもりはなかったのだろう。謝り方はともかく、私はすでに謝った。関係を維持するために奈都にできることは、許すことだけだったのかもしれない。涼夏の言う通り、私は奈都に、選択の余地のない脅しをしてしまったのかもしれない。

 まるで2日前の朝に戻ったかのように、奈都が夏休みに遊ぶ話をしている。上ノ水までずっとそれに相槌を打ち、駅を出てすぐに私は改めて聞いた。

「奈都は、どうして私を許してくれるの?」

「どうしてって、別にそんなに大したことでもなくない?」

「でも、すごく怒ってた」

「うん。だからそれはごめんって」

 奈都が苦笑いを浮かべる。私は慌てて首を振った。

「違うの。私が悪いの。私はもっと奈都にちゃんと謝らないといけない。本当にごめんなさい」

「だから、いいってば。そんなに罪悪感があるなら、今度また1時間あれしよ?」

 奈都がにんまりと笑って、背中をなぞるように私の腰に手を回した。ぴったりとくっつく肌が熱い。嫌いな人間にできる行動ではない。

「奈都、怒ってないの?」

「怒ってないよ。私が目下一番心配してるのは、チサが勝手に罪悪感を覚えて、私から離れていくことなんだけど」

「あー、うん。そっか」

 もう一度手を握る。何度も謝りたかったが、何度謝っても奈都は「いいよ」と繰り返すだけだろう。

 まだ胸にしこりはあるが、今回の件で奈都は100%悪くない。奈都がいいのなら、私もまた今までのように振る舞おう。

 学校に着くと、笑顔で手を振って別れた。教室に入ってすぐに、涼夏の襟首を掴んで自席に座る。帰宅部の二人に今朝の話をすると、案の定二人は何とも言えない顔で私を見つめた。

「だよね」

 私はあははと乾いた笑いを浮かべて頭を掻いた。展開が不自然すぎる。それは私もわかっているが、何がおかしいのか上手く言葉にできない。

「私は、ナッちゃんは貸し1つで手を打ったんだと思う。絢音はどう思う?」

 涼夏がそう言って見下ろすと、絢音は机に片肘をついて頬を乗せた。

「涼夏の言った脅しの話は私も聞いたけど、結局ナツにはそれしか選択肢がなかったんじゃないかな。許すか捨てるか、究極の2択を迫られたら、その状況なら私もナツと同じ選択をする」

「もっとちゃんと謝りたいけど、謝らせてくれない」

「私には、それがナツのささやかな抵抗って気もするけど。千紗都に謝らせないっていう」

「私は、あの子はもうちょっとさっぱりした子だと思うよ?」

 涼夏が奈都を擁護する。単に千紗都と一緒にいたいから、自分が折れることで丸く収めただけだと、涼夏はわかったふうに言った。

「私はどうしたらいい?」

 怯えながら意見を求めると、二人が可笑しそうに頬を緩めた。

「千紗都のそういうしょぼいとこ、すごく好き」

「しょぼいとか言うな」

「千紗都の方からいっぱい声かけて、いっぱい遊ぶのがいいんじゃない? ナッちゃんの根底にあるのは、千紗都の中で自分の存在が小さいっていう不安だから、ナッちゃんのことを必要としてるって、態度や行動で示すしかないよ」

 涼夏の言葉に、絢音も同意するように頷いた。今のアドバイスに付け加えることは何もない。表情がそう語っている。

 私は胸が熱くなって、思わず立ち上がった。

「涼夏、抱きしめていい?」

「いや、ほんとにやめて。教室だから」

「我慢できない」

「我慢せい!」

 一歩近付いた私に、涼夏が慌てたように両手を伸ばした。その手が胸に当たって、涼夏が顔を赤くする。絢音は可笑しそうに微笑んでいる。本当にいい友達を持った。

 2日間、結局私は連絡をしなかった。奈都から声をかけてもらった。何も悪くない奈都に謝らせてしまった。

 この夏休みは、どんどん私から声をかけて、たくさん遊ぼう。それくらいなら、しょぼい私にもできそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る