第35話

「僕の秘密の場所を、マナさんに教えてあげる」


 アリアはそういって、制服の内側に隠しているチェーンを引っ張り上げた。


 ぶら下がっているのは、真鍮色しんちゅういろのカギだった。

 アンティークみたいに持ち手のところが四つ葉の形になっている。


「お姉様から譲り受けたの」


 案内されたのは時計台。

 解錠かいじょうしたドアを抜けて、螺旋らせん階段を登っていき、屋根裏のような空間へ連れていかれた。


「ランスロットのお家よ。ウサちゃんが暮らすには、豪邸のような広さでしょう」


 なるほど。

 ペットの飼育は、特別な理由がない限り、校則によって禁止されている。

 先代蒼姫とアリアは、この秘密空間を利用して、ランスロットの存在を隠してきたわけか。


「僕も、いつか、次の蒼姫を見つけないと。この場所とランスロットを託すことになるかは、わからないけれども」


 みんなと仲良くやってみる。

 その姿をマナに見守っていてほしい。

 別れる間際、アリアはそういってくれた。


「はい、私も応援させていただきます」


 その日の夜。

 0時を過ぎたあたりから、木々が激しく揺れはじめた。

 嵐の前触れみたいに。


 遠くの山で雷が鳴っている。

 窓の向こうがフラッシュみたいに点滅していた。


「眠れないのですか、お嬢様」


 うるさい夜が苦手なことを知っているマナトは、セイラの背中を優しくさすってあげた。


「無理に寝ようとしない方がいいです。少しお話ししますか?」

「ありがとう、マナ。もう少し近くに寄って」


 マナトが動かなくても、セイラの方から体を寄せてきた。


「あなたがいてくれて本当によかった」

「いけません、お嬢様。距離が近すぎます」

「遠慮しないで。私とマナは、血のつながった家族みたいなものでしょう」

「ダメです。そういう話を聞かれたら、ご当主様に叱られます」

「私の父は、ここにはいないわ」

「ですが……」


 窓の外がまた光る。

 セイラの顔は、赤らんでいるようにも、血の気が引いているようにも見えた。


「ねえ、覚えている? 2人で家出しようとした日のことを」

「ありましたね。すぐに私の父に捕まって、こっぴどく叱られました」

「あれは残酷だったわね。3日間くらい、マナは牢屋みたいな場所に閉じ込められたわ」

「仕方ありません。お嬢様を危険なところへ連れていこうとしましたから」

「そんなことはない。マナは私に自由を……」

「ダメです、お嬢様」

「あなたは何でもダメダメいうわね。そういうの、過保護っていうのかしら」

「からかわないでください」


 セイラは美しい。

 そんな当たり前を、この夜、いつもより強く意識する。


「マナにとって一番大切なものは何なの?」

「それはお嬢様です。お嬢様の幸せが私の最優先です」

「困ったわね。私だって、マナの幸せを願っているわ。これじゃ、堂々巡りじゃないかしら」

「私の幸せなんて、どうでもいいのです。お嬢様が笑っていてくれたら」

「よくないわ。ねえ、お願い、マナ、そういう考えはやめて」


 頭の奥がクラクラしてくる。

 いったい、セイラは何をいわせたいのだ。


「私、このままだと、10年後にはどっかの男性と結婚しているわ。そして、お腹にはその人の子を宿しているわ」

「法隆の血族が増えるのは、喜ばしいことだと思います」

「喜ぶのは私の父だけよ。あなたは違うでしょう」


 マナトの唇に触れてくるものがあった。

 セイラの指先だった。


「マナもそういう状況を望んでいるの? それはとても残酷なことよ」

「ですが、避ける術がありません。私とお嬢様の動きは、いつだって監視されております」

「だったら、駆け落ちしましょう。2年か3年くらい、日本の片田舎で暮らしましょう」

「そのための資金は?」

「調達できるわよ。それに、この女学院には、私を絶対に裏切らない腹心の友が何人かいる」


 マナトの心は揺れていた。

 セイラから提示された案は、とっても現実的なことに思えてきた。


「2年か3年のあいだに何をするのです?」

「既成事実をつくっちゃいましょう。元気な孫の顔を見たら、私のお父様の考えも、180度変わっちゃうと思うの」

「まあ、なんと大胆な」


 マナトはつい笑ってしまう。


「そうよ、私は野心家なのよ。18歳になったら、親のくさびからも解放される。野に解き放たれた馬みたいに」


 月光を吸い込んだセイラの瞳が、あやしく光っていた。


 ふたたび雷。

 今度はかなり近い。


 ふいに廊下の方からバタバタと足音が聞こえた。


「雷の苦手な子が友だちの部屋へ避難している」


 セイラはそう教えてくれた。


 アリアは平気だろうか?

 1人きりで怯えていないだろうか?


 うるっとした瞳が、泡沫うたかたのように浮かんでは消える。


 廊下の方から、今度は悲鳴が聞こえた。

 セイラも異変を察知して、ベッドから抜け出す。


「セイラさん、夜分遅くに失礼します」


 チトセの声だった。


「時計台に雷が落ちて、発火したようです。寄宿舎に被害はないと思いますが、念のため、建物の外に出たり、窓辺に近づかないよう、全員に通達しています」

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