第31話

 マナトはウサギの足跡を追いかけた。

 右に曲がったり、左に曲がったり、どこかを目指している。


 下草の生えている部分に差しかかった。


 マズい。

 手がかりがぷっつり途切れてしまった。


「くそ……何か目印になるものは……」


 あった! 足跡だ!

 ただし、人間の歩いた跡である。

 獣道けものみちみたいに、そこだけ色が薄くなっている。


 どこへ続いているのかは知らない。

『となりのトトロ』に出てくる樹のトンネルに似ていたので、ほとんど興味本位で進んでみた。


 視界が暗くなる。

 トンネルの終わりで一気に明るくなる。


 まず飛び込んできたのは清流の音だった。

 きれいな泉が広がっており、宝石みたいに光っている。


 上を見た。

 周りをぐるっと樹に囲まれており、聖域みたいになっている。

 巨大な井戸の底に立っている感じ。


 水がきれいだ。

 小さい魚がたくさん泳いでいる。

 マナトの影に怯えて、さっと散っていった。


 手を触れてみた。

 冷たい、水の湧き出ている箇所がある。


 いい場所だな。

 時間さえ許せば1時間くらい遊んでいきたい。


 ガサガサッと草の揺れる音がした。


 女の子がいた。

 マナトの方を見ている。

 本で顔の半分を隠しているが、彼女が蒼空アリアだということは1秒でわかった。


 目が澄んでいるのである。

 ガラス玉に負けないくらい美しくて、不思議と視線を外せなくなってしまう。


 アリアは突然の来訪者のことを警戒していた。


 招かれざる客というわけか。

 おおかた、ここは秘密基地なのだろう。


「読書中のところ、失礼しました」


 敵意がないことを示すため、マナトはひざを地面につけて頭を下げた。


 その時、読んでいる本のタイトルが目に入る。

『鏡の国のアリス』と書かれていた。


「探し物をしていたら、道に迷ってしまいました。こんなところに人がいるとは知らず……」


 アリアはぶんぶんと首を振る。

 気にしないで、という意味らしい。


「とてもいい場所ですね」


 アリアはうつむいたきり、黙りこくってしまった。

 人と話すのが嫌いというより苦手らしい。


 どうしよう。

 これはチャンスだ。

 アリアのことを少しは知っておきたい。


 しかし、あまり馴れ馴れしくすると、嫌われてしまう可能性がある。

 何より、脱走ウサギの捜索というミッションの最中なのである。


「あっ⁉︎」


 マナトは頓狂とんきょうな声をあげた。


「ひぇっ⁉︎」


 怯えたアリアが顔を伏せる。


「そのウサギ!」


 いたのである。

 アリアの背後に毛むくじゃらの1羽が。

 そこらに生えている草を呑気のんきにムシャムシャしている。


「お願い! この子のことは誰にもいわないで!」


 アリアは体を盾にしてウサギをかばった。

 悪いことをしたわけじゃないのに、マナトの胸が罪悪感で痛くなる。


「え〜と、私が探しているものというのは……」

「もしかして、シスターに命じられて、僕を連れ戻しにきたの?」

「いいえ、そうじゃありません」

「だとしたら、蒼姫の称号が欲しい人?」

「それも違います」


 たしかにウサギだった。

 しかし、マナトが探しているミニロップではない。


 しばらく迷った。

 そして正直に打ち明けることにした。


「実は、ウサギを探しています。今朝方、生物部の飼育小屋から逃げまして……。メスのミニロップです。名はアリスといいます」


 マナトはポケットから取り出したWANTEDの紙を見せてあげる。


「まあ、ウサちゃんが脱走したの?」

「懸賞金付きです。追いかけているうちに、ここに辿たどり着いたのですが……」


 それからマナトは肝心なことを思い出した。


「申し遅れました。私は海馬マナと申します」

「え〜と……僕は……蒼空……アリアです」


 しゅん。

 なぜかアリアは照れている。


「海馬マナ……聞かない名前……」

「つい最近、ここへ転入してきました」

「ああ、セイラさんの部屋で一緒に生活している?」

「そうです」


 アリアがモジモジしている。


 もう少し話すべきか、すぐに立ち去るべきか。

 マナトが決めかねていると、ウサギが寄ってきて、鼻を小刻みに動かした。

 飼い主と違って、人になつくらしい。


「アリアさんのウサギ、名は何というのですか?」

「え〜と……ランスロット」

「湖の騎士・ランスロットですか。まさにこの場所にぴったりの名前ですね」

「あら? あなたもそう思う?」

「ええ、もちろん」


 アリアがはじめて笑った。


「え〜とね……僕はお話しするのが苦手で……」

「はい」

「大事なことを後回しにしちゃうクセがあって」

「はい」

「だから……ごめん……もっと早く伝えるべきだったけれども」


 アリアは泉のほとりを指さした。

 驚いたことに、そこでもウサギが草をんでいた。

 間違いない、脱走ウサギのアリスだ。


「あれがマナさんの探していた子?」

「そうです。教えてくれてありがとうございます」


 立とうとしたら手でさえぎられた。


「ダメ……ウサギは警戒心が強い……僕が呼んであげる」


 おいで。

 アリス。

 そういって手を鳴らすと、まっすぐ駆け寄ってきた。


「えへへ、変な特技でしょう」

「いえ、すごいです。ウサギと心を通わせているのですか?」

「う〜ん……僕は人と交流するのが苦手だから……その分、ウサギと交流するのが得意なのかもしれない」


 マナトはニンジンのかけらを取り出して、脱走ウサギに食べさせておいた。

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