第23話

 バスで聖クローバー女学院まで戻ってきたとき、夕日はほとんど沈んでおり、教会の十字架の部分がかろうじてオレンジ色に染まっていた。


「はぁ、お腹が空きましたわ」


 チトセは悠長だから、お腹をすりすりしている。


「マナさんも空腹でしょう?」

「ええ、そうですね」


 アハハと愛想笑いしておく。

 マナトの気持ちはディナーどころでなかった。


 セイラにメッセージを送っても返信がないのだ。

 既読アイコンは付くから、わざとスルーしているっぽい。


 セイラは優しい。

 この女学院におけるスター的存在。

 というのは表向きの顔で、怒らせたらワガママ姫になるということは、15年近い共同生活で身に染みていた。


 どうする? どうする? どうする?

 元はといえばチトセとのショッピングも、避妊具を落とした犯人探しのため。


 喧嘩している場合じゃないのだ。

 セイラとマナトは一枚岩じゃないと、この難事件はいつまでも解決しない。


 とりあえず謝るか。

 最悪、泣いて土下座すれば、今日のことは水に流してくれるだろう。


「私の記憶が正しければ、今日のディナーは牛フィレ肉の赤ワイン煮込みよ」

「そうですか〜」

「お肉がトロッとしていて、硬い食べ物が苦手な子にも人気の一品なの」

「うわ〜、おいしそう〜」


 相槌あいづちを打っているうちに寄宿舎についた。


 1階ホール部分には誰もいなかった。

 食堂のドアを開けると、食欲をそそる赤ワインの香りと、楽しそうなおしゃべりがれてくる。


「あら、お帰りなさい」

「みんな、黒姫様のお帰りよ」

「マナさんもお疲れさまです」


 たくさんの目がこっちを向いた。

 まるで結婚式の新郎と新婦を出迎えるみたいに。


 その中にブルーサファイアの瞳があった。

 腕組みをして待ち構えていたのは、もちろんセイラだ。


「お帰りなさい、チトセさん、マナ。やけに遅かったのね」


 何回もメッセージを送ったのにこの言い草である。

 顔こそ笑っているものの、目の奥が笑っていない。


「私が道に迷ってしまい……。でも、その度にマナさんが助けてくれたのです。だからセイラさん、マナさんのことは責めないでください」

「へぇ〜、そう、そんなことがね、へぇ〜、なら仕方ないわね」

「そう! 仕方ないのです!」


 マナトの手を握ると、チトセは周囲に見せびらかすように持ち上げた。


「今日のマナさんは紳士……いえ、騎士でした! 私の体を抱きしめて、こうおっしゃったのです! ずっと私の側にいろ! お前のことはリードしてやる! その瞬間、私たちの間には愛が芽生えました!」

「なっ⁉︎」

「まさか⁉︎」

「黒姫様が⁉︎」

「愛よ⁉︎ 愛⁉︎」

「ロマンスだわ⁉︎」


 食堂はおもちゃ箱をひっくり返したような大騒ぎになった。

 けれども、一番驚いたのはマナトだ。


 違うんです!

 これは誤解です!

 いくら叫んでみても、耳を傾けようとする生徒は1人もいなかった。


「チトセ様のハートを射止めるなんてステキ!」

「しかし、マナさんにはセイラ様というご主人がいるのでは?」

「もしかして略奪愛⁉︎ いえ、二股になるのかしら⁉︎」

「なんて修羅場な⁉︎ マナさんは罪な婦女子ね!」


 ああっ⁉︎

 もうっ⁉︎

 肝心のチトセはというと、テーブルからテーブルを回って惚気話のろけばなしをばらまいている。


「いい加減にしてください!」


 マナトは叫んだ。

 怒りの感情しかなかった。


「それは私のセリフです」


 急に肩をつかまれたので、恐る恐る振り返ってみると、幽鬼ゆうきのような顔をしたセイラが立っていた。


 殺意のオーラのせいで全身の毛穴が震える。

 美人ほど怒らせたら怖いとはよくいったものだ。


「とりあえず食事にしましょうか。話はあとでたっぷりと聞きますから」

「はい……」

「安心しなさい。どうせチトセさんの方からグイグイと迫ってきたのでしょう。マナは抵抗できずに流されたのでしょう。よって、罪科は3割引きにしてあげます」

「はい……」


 理不尽だ、とマナトは思った。

 みんなはおいしそうに牛フィレ肉を食べているが、まったく味がしなかった。


 さらに理不尽なことに……。

 セイラ、チトセ、アケミ、マナトの4人でテーブルを囲んでいる。

 気まずいを通り越して、さっきから言葉の弾丸が飛びまくり。


「ねえ、セイラさん、これから3日に1日くらい、マナさんを貸してくださらない?」

「いいえ、拒否します」

「だったら、1週間に1回でどうかしら?」

「それも拒否します」

「じゃあ、今夜だけでもマナさんを貸して?」

「拒否します、拒否します、拒否します」

「ふ〜ん、どういう条件だったらいいの?」

「その質問に答えることを拒否します」

「あらあら、セイラさんにしては意地っ張りね」

「うふふふふ」

「うふふ」


 やってしまった⁉︎

 女学院のツートップのあいだに亀裂を入れてしまった。

 すべてマナトの責任かと思うと、胃がキリキリと痛んでくる。


「あら、マナちゃん、食欲がないの?」


 気遣ってくれるのは砲丸投げのアケミくらい。


「ショッピングモールでおやつを食べ過ぎて……。よかったら、私のお肉、食べてくれませんか?」

「本当にいいの? とってもおいしいのに?」

「今日はオーバーカロリーなので……」


 マナトが差し出した肉のかたまりを、アケミはぺろりと一口で平らげた。


「ああっ! 全身の筋繊維きんせんいが喜ぶ〜! マッスル! マッスル!」

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