第三十三話 人形と神




 お人形さん、と言われたことはある。


 愛人達や、アモルテスの悪友であるザルジュラックは時折リートをそう呼んだ。


 常にアモルテスの傍らでちょこまかと働いているリートを揶揄しているのだと思っていた。アモルテスがリートをペットのように愛でることをからかっているのだと。


 でも今、アモルテスに言われた言葉は比喩でもなんでもないとリートに感じさせた。


 声を失うリートの前で、アモルテスは再び背を向けた。


「任務は終わった。部屋に戻れ」


 リートは何か言おうとした。

 だが、アモルテスの後ろ姿から発される威圧に押されて、言葉が出てこなかった。


「聞こえなかったのか。出て行け」


 振り向かぬまま命じられて、リートは冷え切った体を立ち上がらせて、力なく歩んで廊下に出た。

 真っ白い天海石の宮殿は、ずっと慣れ親しんだものだったはずなのに、何故か全く知らない場所のように感じられた。


 リートはふらふらと廊下を歩き出した。頭がぐちゃぐちゃで、何も考えられなかった。

 どうして、ライリンがリートの代わりにジェラルドの婚約者になるのだ。ジェラルドの心を開いたのはリートなのに、何故、それをライリンに取って代わられねばならないのだ。何故、ジェラルドの傍を奪われなければならないのだ。


『人形の分際で、恋なんてするからよ』


 ライリンの声が蘇る。


(恋なんて……していない。私は……人形、じゃない)


 ライリンの言葉を打ち消しながら歩くと、今度はアモルテスの声が頭に響く。魂のない、ただの人形。


(どういう意味……?)


 リートは、この天界で働く無数の天界人の中の一人であり、アモルテスに選ばれて弟子となり後継者となった。アモルテスの一番近くで働く部下で、これまでずっと、なんの疑問もなく生きてきた。


 でも、何故だろう。これまで感じたこともない疑問が次々と頭に沸き上がってきては、形になる前にぐちゃぐちゃになってリートの頭の中をぐちゃぐちゃにしていく。


 ここに来る前は、どこでどんな仕事をしていた?

 何故、アモルテスは自分を弟子にした?

 永遠を生きる神に、何故、後継者など必要なのだ?

 天女ですら嫌悪を抱かずにはいられない魂に、何故、リートだけが反応しなかった?

 魂がないから、って、どういう意味だ?


 ぐらぐらと揺れる頭を抑えようとして、リートは誰かにぶつかって足を止めた。


「おや、お人形さんじゃん。やっぱ、戻されちゃったんだ」


 楽しげに口の端を持ち上げて笑い、愉快でたまらないとでも言いたげな表情のザルジュラックがリートを見下ろしていた。 


「ザルジュラック様……」

「その様子だと、アモルテスに無理矢理戻されたんだろ。まったく、本当にあいつはどうしようもない屑だなぁ」


 げらげらとザルジュラックが笑う。

 一頻り笑った後、運命を司る神は酷薄な笑みを浮かべてリートに囁いた。


「教えてやろうか? お前が知りたいと思っていること」


 顔を上げたリートの前に立ち、ザルジュラックは指をちょいちょいと動かしてリートを招いた。


「お人形さんが知ったところで、なんの意味もないけどなぁ」


 そう言って歩き出したザルジュラックを、リートは無意識に追いかけていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る