第十話 婚約成立




「じゃあ、今日から婚約者ということで!」

「「待て待て待て!」」


 溌剌と言って自分の席に着こうとするリートを、アレスとオスカーが呼び止める。ジェラルドは酸欠で青くなっている。


「なんですか?もうとっくに授業が始まる時間ですよ。この話はまた後でしましょう」


 くりっと小首を傾げてそう言うリートに、アレスとオスカーは思わず口を噤んだ。


「皆さんも、お騒がせしました。授業を始めましょう」


 リートが教室を見回すと、呆気に取られていたクラスメイト達がのろのろと動き出した。壁に張り付いて気配を消していた担任もそろそろと動き出す。


「えー……では、席に着いて、授業を始めましょう」


 モテない皇太子の突然の仮婚約は、全員一致で「とりあえず聞かなかったことにしよう」と判断された。


 その日は全員がどこかふわふわした感覚で授業を受け、ジェラルドは赤くなったり青くなったり白くなったり忙しく、リート一人がにこにこしていた。


 そして授業が終わるやいなや、リートはアレスとオスカーに担ぎ上げられるようにして宮殿へ連行された。


 謁見の間の皇帝夫妻の前に引き出され、父親役のバーダルベルトも呼び出されて並んで跪く。


「婚約する、だと……?」


 報告を聞いた皇帝は茫然と呟いた。


(リート様、いくらなんでも性急では?)

(だって、勢いあまって……どうせ婚約するつもりだったし)


 リートはバーダルベルトとこそこそ囁き交わした。


(せっかくの機会ですし、このまま行っちゃいましょうよ)

(大胆不敵ですね……それでこそ創天宮の次期天主となられる御方)


 バーダルベルトは感心したような呆れたような言い方をした。


「陛下、申し訳ございません。我が娘は昨日初めて皇太子殿下にお目にかかりまして、舞い上がっているようでして」


 バーダルベルトが平伏してそう述べると、皇帝夫妻は些か残念そうな表情で肩を落とした。


「そ、そうか……昨日、出会ったばかりで、皇太子の冗談に気を遣って返事をしてしまったのだな。うむ。心配せずともよい。皇太子も本気で婚約させようなどとは……」


 ちなみに皇帝夫妻の手前にジェラルドも立っているのだが、白目をむいてふらふらしており、意識があるか定かでない。


「陛下」


 リートはここが勝負どころだと思って顔を上げた。


「皇太子殿下は冗談でおっしゃったのかもしれません。しかし、私は決して気を遣って無責任な返事をしたわけではありません」


 顔は皇帝に向けているが、リートはジェラルドに言い聞かせるつもりで喋った。


「もしも、皇太子殿下が本気で私を望んでくださったのなら、婚約者としてお傍に控えさせていただきたいと思います。殿下の御心に寄り添えるのであれば、或いは友人としてであっても、かまいません」


 出来るだけ健気に見えるように手を胸の前で組んで訴えた。目を潤ませることが出来ればよかったのだが、あいにくそこまで女優になれなかった。


(ライリンちゃんならこんなの朝飯前なんだろうなぁ)


 アモルテスの横で常に愛嬌を振りまき、時に儚げに微笑んだり頬を膨らませたり出来る美天女の凄技テクを改めて思い知る。リートには無理だ。


「こ、こら、リート!はしたない真似はやめなさい!」


 バーダルベルトが慌てて娘をたしなめる体でその場の雰囲気を盛り上げる。肩が震えているのは演技なのか、リートの大根演技を笑っているのかどちらだろう。


「恐れ多いことを言うんじゃない!」

「ですが、お父様……今を逃しては、私のお気持ちを伝えることなど二度と出来ないと思い……」


 リートは出来るだけ悲しそうな表情で小首を傾げた。


「私が皇太子殿下にふさわしくないことはわかっています。でも……」

「もう黙りなさい!……陛下、殿下、申し訳ございません。この子は皇太子殿下をお慕いするあまりにこのような……」


 申し訳なさそうに平伏しつつ、「リートがジェラルドを慕っている」という点を強調して煽るバーダルベルト。なかなかの役者である。


(私ももっと演技の勉強をしないと駄目か?)


 可愛げがないことは自覚しているので、ジェラルドにこちらに好意を抱いて心を開いてもらうには女性的な魅力を研究して演じなければいけないのではないかとリートは思った。


「慕う……リート嬢はジェラルドを慕っていると申すか?」


 皇帝がどこか茫然とした口調で言った。


「そんなことあり得ません!」


 リートが肯定するより早く、大声を上げて否定したのは他ならぬジェラルドだった。


「俺がこんな可愛い女の子に慕われる訳がないでしょう!!」


 力一杯に叫ぶ美形の皇太子に、リートは心の中で謝った。うちのろくでなしが本当にごめん。


「確かにそうだなジェラルド……だが、お前を前にして嘘でも「婚約してもいい」と言ってくれる令嬢など、これを逃したらもう……」

「そうですよ陛下。どんな地位や金を用意しても誰も婚約者になってくれなかったというのに……これは奇跡?神の憐れみなの?」


 モテない皇太子もだいぶ拗らせているが、皇帝夫妻の追いつめられぶりもなかなか酷い。


(どうします?)

(ここまで来たら、押すしかないわよ)


 バーダルベルトと小声でやり取りして、リートは勝負を決めるつもりで口を開いた。


「陛下、殿下。私では資格がないことはわかっております。しかし、もしも殿下が望んでくださるのでしたら、私を殿下のお傍に置いてくださらないでしょうか?」


 可愛く健気に見えるように、を心がけているのだが、どうしても目を潤ませたり頬を染めたりすることが出来ない。


(くそっ、ライリンちゃんはいったいどうやってあんなに頬を染めてうるうるすることが出来るんだ!?)


 アモルテスに媚びる美天女達を「よくやるな」と呆れて見ていたが、ここに来て認識が改まった。彼女達は凄い。尊敬する。


 自分の演技に納得していないリートだったが、皇帝夫妻はその言葉を聞いて顔を押さえて泣き出した。


「褒美を取らす!!なんでも望みのものを!!」

「誰ぞ、私の部屋から一番高価な宝石を!それと仕立屋のマルビュック夫人を呼んで、宝石に似合うドレスをリート嬢に!!」

「いりませんっ!!」


 リートは思わず叫んだ。


「私が欲しいのは殿下の心だけですっ!!」


 心を開いて貰わなければ魂を抜けないのだ。なので、リートの言うことは間違いなく本心だったのだが、それはもちろん皇帝夫妻と皇太子の耳には違う意味で響いた。


「リート嬢」


 ジェラルドがふらりと歩み寄ってきて、リートの前に立った。


「本気、なのか?」

「もちろんです!」


 リートが胸を張って応えると、ジェラルドはきゅっと目をすがめて、リートに向かって手を差し伸べた。


「本気で俺と婚約してもいいって言うなら、俺の手を取れ」


 ジェラルドは緊張の面持ちだったが、リートは寸の間も躊躇うことなくその手を握った。


「私と婚約してくれますか?殿下」


 リートがにっこり笑って尋ねると、ジェラルドは顔を真っ赤にして小さく頷いた。



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