第六話 恋を知らない




『ご苦労だったな。首尾はどうだ?』

「どうもこうも……」


 入学式の顛末を思い出して、リートは鈍く痛むこめかみを押さえた。

 声をかけて笑いかけただけで気絶するような皇太子の心をどうやって開けと言うのか。


 あの後は大変だった。皇太子ジェラルドは気絶したまま友人らしき二人に運ばれていき、リートはご令嬢方に囲まれてしまったのだ。


『陰湿な女の戦いって奴か?「ポッと出の伯爵令嬢ごときが皇太子殿下に近づかないで!」ってアレか?』

「だったら良かったんですけどね……」


 実際はその逆である。

『貴女、大丈夫なんですの?』

『震えや悪寒はない?』

『皇太子殿下に触れた上に微笑みかけるだなんて、なんて無茶を……』

と、一通り同情と心配をされまくった。わらわらと寄ってきたのは伯爵家以上の令嬢達だったが、下位貴族の令嬢達からも遠巻きに「無茶しやがって……」みたいな目で見られていたのが解せない。そんな無茶はしていない。話しかけただけだ。

 さらに酷いのは皇帝夫妻だった。何故か泣き出した皇妃には「ありがとう……あの子も一生の思い出になったことでしょう」と感謝され、同じく涙を流した皇帝からは「なんでも望みの褒美をとらす!金でも領地でも爵位でも!」と宣言された。重すぎる。


『まあ、その調子で頑張れ。話しかけただけで気絶するほど拗らせてるならセクハラもされないだろうから、私も安心だ』


 アモルテスはぱちっと片目を閉じた。自分の魅力的な仕草を知り尽くしている男の媚態に、リートは不快そうに眉根を寄せた。


「ウザッ」

『どうしてお前はそう私に冷たいのかなぁ!?こんなに愛しているのに!』


 水晶板に映るアモルテスは心外だと言わんばかりに口を尖らせているが、リートはそんな冗談に付き合える心境ではなかった。


 皇太子ジェラルドは思っていた以上に辛い人生を歩んでいるのではないだろうか。本人にはまったく悪いところはないのに、理由もなく異性から毛嫌いされるだなんて気の毒だ。


「そういえば、私は皇太子を見ても特に嫌悪感とか湧きませんでしたけど、私が天界人だからですか?」

『いいや、違う。アリーテとモリシャが皇太子の前に行けばちゃんと不快に感じる』

「そうなんですか?」


 アモルテスの話では、天界人であっても女性ならば漏れなくジェラルドを嫌ってしまうらしい。


『まあ、もちろん普通の人間ほどは影響を受けないが、好き好んで近づきたいとは思わないだろうな』

「なんで、私は平気なんですか?」

『ふっ。それはな……』


 アモルテスは長い白金の髪をふわりとかき上げた。


『お前が人一倍……いや、三十倍は鈍いからだ!!』

「は?」


 リートは思い切り眉をひそめた。


『お前ときたら、こちらがどんなに口説いても顔色一つ変えないじゃないか。私のような美形に「可愛い」と言われたら普通は頬を染めて喜ぶもんだ』

「アモルテス様の悪ふざけに付き合ってる暇はないんですよ、こっちは」


 創天宮に召し出され、アモルテスの弟子になったのは十六年前だ。何故自分が後継に指名されたのかわからないが、選んでくれたアモルテスのためにも立派にやり遂げなければならないと仕事に打ち込んできた。


「そういう反応は、アモルテス様の周囲に侍って媚びを売っている綺麗どころの天女達にお願いしてください」


 リートが冷たくそう言うと、アモルテスはしょんぼりと肩を落とした。


『お前は恋というものを知らないから、皇太子を見ても平然としていられるんだ。お前にとってはまだ、皇太子も他の男も全部同じにしか見えていないのさ』


 ぶつぶつとぼやくアモルテスの言い分は、リートにはよくわからなかった。


『誰かに「恋する」という感情を知ったら、お前だって平然とはしていられなくなる。いい機会だから、私と離れて暮らすことに寂しさを感じて恋心を自覚するといい。愛しているよ、リート』


 アモルテスはそう言い残して一方的に通信を切った。

 リートはぱちぱちと目を瞬いた後で、むうっと頬を膨らませた。


(恋を知らないって、なに勝手に決めつけてるのよ)


 腹を立てたリートは、天界に戻ったらアモルテスのお気に入りの美天女ライリンちゃんに祭天宮のイケメンエリートを紹介してやろう。と陰湿な報復を決意した。


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