第三話 リートの怒り




 べちゃっ


「へぶっ!」


 雲から吐き出されて床にぺしゃりと落ちたリートは、顔面を打った痛みとそれを上回る怒りにぶるぶると震えた。


「あ・の・ど腐れ野郎が……見てろ。いつか私が権力を握ったあかつきには……」

「リート様」


 ぶつぶつと報復を誓っているリートを、渋みのある声が呼ばわった。

 慌てて顔を上げると、目の前に八人の男女がひざまずいていた。


「我ら、創天宮より派遣されて参りました。リート様のお世話を言付かっております。なんなりとお申し付けください」


 リートはむくりと身を起こした。創天宮天主であるアモルテスの後継と認められているリートは創天宮ではアモルテスの次に身分が高い。ひざまずかれていることに驚きはしない。


「顔を上げてください」

「はっ」


 リートは一人一人の顔を見やった。それから、辺りを見回してここが天界ではないことを確認する。創天宮は天海石で造られた宮殿だが、ここは木で出来た家らしい。室内に家具はなく、真ん中に巨大な水晶板が浮かんでいる。


『よう、リート。無事に着いたか』


 水晶板にアモルテスの姿が映し出された。


「くたばれ」

『敬愛する師匠に向かってなんだ、その口のきき方はっ!』


 アモルテスはぷりぷり怒るが、リートは無視した。


『と、とにかく、これからお前が就く任務の説明をする』


 何が任務だ。尻拭いの間違いだろうが。

 そんな思いを乗せてじっとりと睨みつけてやるが、アモルテスはそれに気づかぬ振りで喋り続けた。


『この世界でのお前の身分は、伯爵令嬢リート・クーヴィットだ。そこにいるバーダルベルトがお前の父のクーヴィット伯爵だ』


 後ろに控えていた灰色の髭を蓄えた壮年の男性が頭を下げた。


『三日後、帝国学園の入学式がある。この国の貴族の令息令嬢が集まり、皇帝夫妻も国を担う若者に言葉をかけるために訪れる。皇太子も入学するからな。そして、お前も入学するんだリート』

「皇太子と同級生になって近づいて、魂を抜けってことですね」


 リートは肩をすくめながらも、自らの役目を果たすためにアモルテスの指示を聞いた。ここまで来てしまったらさっさと皇太子の魂を抜いて、早く天界に戻れるようにするしかない。


『うむ。ただ、リートよ。お前はよく知っているだろうが、魂というのはそう簡単に抜けるものではない』

「ええ。知っています。油断して無防備になっている状態でなければ、魂は表に出てきません」


 魂とは、常に器の一番奥深くに存在するものだ。他者の魂に触れるためには、こちらへの警戒を解いて無防備に信頼して貰わねばならない。


『ああ。そうだ。ところがな、皇太子はまったくモテずに女性から忌み嫌われる人生を送ってきたせいか、齢十五で既に結構な闇を抱えている』

「アモルテス様のせいでしょうが」

『責任の所在はさておき。そんな闇を抱えた皇太子に信頼され、常に側にいて魂を抜けるようにするためには、ただの同級生では駄目だと思うんだ』

「……というと?」


 リートは首を傾げた。アモルテスは神妙な顔つきで告げた。


『単刀直入に言う。お前には、皇太子の婚約者になってもらう』

「……はい?」


 リートは思わず間抜けな声を上げた。


『という訳で、三日間は己れを磨き上げろ!大丈夫、お前は可愛いから!愛してるぞ、リート!』


 一方的に言い放って、アモルテスは通信を切った。水晶板が透明に戻る。リートは何も映っていない板をみつめたまま動けなかった。


(婚約者……だと?)


 むかむかと、怒りが込み上げてきた。いったい、人のことをなんだと思っているんだ。

 確かに、魂を抜くためには都合がいいだろうが、自分の不始末を処理させるためにならリートをよく知らない男と結婚させても平気なのか。


「リート様」


 唇を噛みしめて肩を震わせるリートに、バーダルベルトが優しく声をかけた。


「ご安心ください。皇太子の魂の入れ換えに成功した後は、婚約者のリート・クーヴィットは病死することになっております」

「え?」

「偽の死体を用意して葬儀を行います。そのようにアモルテス様の命を受けております。後始末はすべて我々が行います」


 バーダルベルトが言うには、リート・クーヴィットは生まれつき病弱で領地に引きこもって暮らしていたという設定だそうだ。貴族令嬢の教養が足りなくて世間知らずでも「病弱で寝たきりだったから」ですべて説明できる。


「リート様は皇太子の心を開かせ、魂を抜くことに専念ください。まずは、こちらの世界の服にお召し替えを。アリーテ、モリシャ」

「「はいっ!」」


 バーダルベルトの声に返事をして、メイド服姿の女性が二人立ち上がる。


「まずは湯浴みですね!」

「どのドレスがいいかしら?」


 アリーテとモリシャは活き活きとリートを抱え上げて階段を駆け上がっていった。小柄なリートはされるがままに浴室へ連行され、全身磨かれた挙げ句、取っ替え引っ替えドレスを着せられる羽目になった。


「別に、ドレスとかどれでもいいです……」

「まー!何をおっしゃいます!」


 疲れ果てたリートがぐったりと椅子に沈み込むと、リートが元々着ていた真っ白なローブとズボンを片づけていたアリーテが声をあげる。


「せっかくお可愛らしい顔をなさっているのですから、この機会にお似合いになる服をみつけて、アモルテス様にお見せしましょう!」

「あのオッサンは私が何着てようと興味なんかないですよ……」

「まあ、なんてことを。アモルテス様のリート様への御寵愛の深いことは天界の者なら誰でも知っておりますのに」


 リートはぴくりと眉を動かした。御寵愛といえば御寵愛かもしれないが、それは面倒な仕事を押しつけるのにちょうどいいとか、小柄なのでちょろちょろしてると小動物みたいとか、そういう都合のいい愛玩動物のような扱いで愛でられているだけだ。あと、リートの弁舌が容赦ないのでその部分を面白がられていたりもする。

 決して、アリーテ達が想像するような意味の御寵愛を得ている訳ではない。

 だいたい、そんな相手だったら他の男の婚約者にしようとなんてしないだろう。

 アモルテスにとって、リートはあくまでただの弟子であり部下だ。リートは誰より良くそれを理解している。


(別にそれでいいし)


 アモルテスがことあるごとに「可愛い」だの「愛してる」だの言うのも、ペットを愛でる感覚に過ぎないのだ。


 リートはふぅと息を吐いて目を閉じた。




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