第09/17話 目潰し
(そう言えば、店員の後に続いて作業場に入った直後……柔代が、構えた拳銃を落としてしまう、ということがあったな……)
その時は、てっきり、彼女が、誤って手を滑らせてしまったのだと、そう思っていた。
しかし、よく考えてみれば、おかしな点が、二つある。
(第一に、柔代が、拳銃を両手で構え、銃口を小留戸に向けてから、落ちた点)
彼女の手が、緊張のために汗をかいていた。そのせいで、構えた拍子に、拳銃がすっぽ抜けてしまった。そういうことなら、理解できる。
しかし、実際はそうではなかった。拳銃が落ちたのは、柔代がそれを構え、銃口を小留戸に向けた後。いわば、動いている最中ではなく、静止している状態から、落ちたのだ。
(第二に、拳銃が、床に着地した後、小留戸のほうへ滑っていった点)
柔代が、拳銃を構え、銃口を彼に向けた後、それでもなお、汗か何かのせいで手が滑り、落としてしまった。そういうことも、まったく考えられない、というわけではない。しかし、それなら、拳銃は、床に対してまっすぐに落ちた、ということになる。
だとしたら、着地した後、小留戸のほうへ滑っていく、というのはおかしい。それなら、拳銃は、床に対して斜めに落ちたはずだ。床にぶつかり、バウンドした拍子に、滑っていったのだろうか。いや、それにしては、移動した距離が長すぎる。
(そうか……)武幡は、ばっ、と顔を上げた。(わかったぞ。【プライズ】だ。小留戸本人か、あるいは隊員のうちの誰かなのかまでは、知らないが……何者かに、【プライズ】を行使されたせいで、柔代は、拳銃を落としたんだ……)
つまり、こういうことだ。
柔代は、拳銃を取り出すと、それを構え、銃口で小留戸を差した。
そこで、何者かが、彼女の持っている拳銃に対し、【プライズ】を行使して、自分側に向かって引っ張るような力を加えた。
そのせいで、拳銃は、すでに静止していたにもかかわらず、柔代の手を離れた。それにより、床に対して、まっすぐではなく、斜めに落ちたため、着地した後、小留戸のほうへと滑っていたのだ。
(そして、その【プライズ】は、さきほど、この棚に対しても、行使された……)
いくら、先月に購入されたばかりとは言え、もともとバランスが悪いうえに、手前に向かって引っ張られるような力を加えられたら、ひとたまりもないだろう。それにより、棚は、こちらめがけて倒れてきた、というわけだ。
(それにしても、さきほどは危なかった……もし、おれが、棚や、各段に収められていた物の直撃を受けていたら、怪我を負っていたかもしれない。そうなれば、それからのギャンブルの進行に、悪影響を及ぼすだろうし、最悪の場合、勝負を続けることができないような状態になって、敗北してしまっていたかもしれない……)
武幡は思わず、ぐう、と、小さく唸った。小留戸を、きっ、と睨みつける。
(この野郎……卑怯な盤外戦術を使いやがって……!)
一瞬、罵詈雑言を浴びせてやりたい衝動に駆られる。しかし、すぐに沈静化した。
(別に、『小留戸チーム側の人間が、【プライズ】を行使して、棚を倒した』という、確固たる証拠があるわけじゃない……『そんな【プライズ】なんて、行使していない』『棚は、自然に倒れたんだろう』って言われたら、それまでだ。
だいいち、『小留戸チーム側の人間が、【プライズ】を行使して、棚を倒した』ということを、やつが認めたところで……それが、何だっていうんだ? 別に、規則に背いているわけじゃない。このギャンブルは、言わば、『ルール違反でないならば、何をしてもいい』んだ。棚を倒して、おれに危害を加えよう、なんて作戦、そりゃあ、平気で実行してくるさ……)
小留戸は、ふん、と鼻を鳴らした。まだ、箱に手を突っ込み、実包を選んでいる最中だった。「よかったね、棚の下敷きにならなくて」本意の台詞でないことは明らかだった。
(きっと、実包を取るのに、1stラウンドより時間がかかっているのは、おれが、棚の直撃を食らい、大怪我を負うなり意識を失うなりして、ギャンブルが続行できないような状態に陥ることを、期待していたからだろう……不戦勝を狙っていたんだ)
まったく、油断も隙もない、とはこのことだ。
(そっちがその気なら、こっちにだって考えがある……)武幡は、ぐっ、と、右手で拳を握り締めた。(おれも、もう、勝つために、手段を選ばないぞ……!)
数秒後、小留戸は、すぽ、と、穴から右手を抜いた。ベレッタが言う。「それでは、小留戸。実包の使用を試みておくれ」
(そうだ……)武幡は、ぐっ、と気を引き締めた。(終わったことを、うだうだ言っていても、仕方がない……おれも、さっき思いついた、「あの作戦」を実行するために、準備しておかないと……!)
「あー……」彼は、右手を突き出し、掌を小留戸に向けると、「ちょっと待ってくれ」と言った。「見てのとおり、棚が倒れたままじゃ、ギャンブルに支障を来すだろう。ちょっと、片づけさせてくれ」
「わかったよ」小留戸は首を縦に振った。「早くしておくれ」
それから武幡は、柔代の協力を得て、その場を片づけ始めた。棚を起こすと、後ろへ移動させる。再び倒れるようなことがあっても、こちらに直撃しないような場所に立てた。
床に落ちた物はすべて、左隣にある机の上に置いた。直径一センチ弱の真鍮製らしき球、未使用である3Bの鉛筆、表面に「超軽量 エポキシパテ」と書かれた紙箱などだ。
「よし……これでいいだろう」
武幡は、元の位置に立った。右隣にある机から、ヘルメットを取ると、頭に、すぽ、と被せる。シールド越しに、小留戸の様子を窺った。
彼は、1stラウンドの時と同じように、慣れた手つきで拳銃を折った。側面を自分のほうに向けたまま、シリンダーに実包を込める。その、一連の動作を終えると、拳銃を伸ばした。
小留戸は、グリップを右手で持ち、銃口をこちらに向けてきた。間髪入れずに、トリガーを引く。
ばしゃあん、という音がした。
(1stラウンドでは、小留戸が当たりを引きました)浜田柔代は、彼に視線を遣りながら、そう心の中で呟いた。(今は、まだ、2ndラウンドの1ターン目です。いくらなんでも、再び当たりを選ぶ、という可能性は低いでしょう。しかし、零ではありません……どうか、外れを取ってください……!)
武幡がインナーに仕込んでいたコインは、もう、なくなってしまっている。弾丸が体に命中すれば、今度こそ、銃創を負うだろう。射撃の名手である小留戸が、この近距離で、狙いを外すとは思えない。武幡が生き延びる道は、ただ一つ。小留戸が外れを引いていてくれていることしかない。
柔代は、ひたすら祈り続けた。小留戸は、折れていた拳銃を伸ばすと、右手で持った。銃口を、武幡のほうに向ける。間髪入れずに、トリガーを引いた。
直後、ぱしゃっ、という音がした。さらには、同時に、視界の左方で、ぴかっ、と、何かが光った。
いったい何が光ったのか、と、気にする時間すらなかった。ばあん、という銃声が鳴り響いたからだ。
(なっ、小留戸のやつ、またしても当たりを……!)
動揺している暇など、ありはしなかった。ばっ、と、武幡に視線を遣る。
彼は、相変わらず、立ったままだった。少なくとも、1stラウンドのように、ひっくり返ったりはしていない。
(まさか、これから倒れるのでは──)
そんな不安が脳内を過ぎったが、杞憂に終わった。武幡は、立ったまま、ヘルメットを両手で掴むと、持ち上げた。すぽ、と頭から外して、ふう、と息を吐く。
彼は、にやり、と笑った。「残念だったな。弾、当たらなくて」
小留戸は顔を顰めた。「まさか、目潰しを食らわされるなんてね。もっと、警戒すべきだったよ」
(目潰し?)
柔代は、武幡の全身をよく観察してみた。数秒後、彼が、左手に何かを持っていることに気づいた。
それは、スマートホンだった。武幡は、端末を、掌で包み込むようにして掴んでおり、手の甲を、小留戸のほうに向けていた。指と指の隙間から、カメラのレンズが覗いている。
(あっ!)柔代は、わずかに目を瞠った。(そうか、さっきの光──あれは、スマホのカメラ機能によるフラッシュだったんですね……)
つまり、こういうことだ。
武幡は、小留戸がトリガーを引くタイミングに合わせて、スマートホンのカメラ機能を使い、フラッシュを浴びせた。彼は、突然の閃光に目が眩んで、狙いを外してしまった。
(小留戸は、実包を取り出してから、トリガーを引くまでの、一連の行為を、1stラウンドの時と同じテンポで行っていました……だから、ご主人さまには、どのタイミングでフラッシュを浴びせるべきか、見当がついんたですね……)
「いてて……」
そんな武幡の声が聞こえてきて、はっ、と我に返った。あらためて、彼に視線を向ける。
武幡は、右肩を左手で押さえていた。
「ご主人さまっ!」柔代は、たたた、と彼に駆け寄った。
「いや、いや、大したことじゃないよ……」武幡は弁解するように言った。「いや、本当、弾が掠っただけだから。ほら」右肩から手を離した。
そこには、まるで刃物で切りつけられたかのように鋭い、掠り傷があった。だが、彼の述べるとおりで、怪我そのものは浅い。血が出ていたが、左掌にわずかに付着しているだけだ。少なくとも、ギャンブルの続行に支障はないだろう。
「そうですか……」柔代は、目を元の大きさに戻した。「よかったです」
「まったく、きみ、あの手この手で、撃たれることを避けようとするよね……」小留戸は呆れ返ったような表情をした。「でも、それもいつまで続くかな?」くくく、と嗤った。
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