第06/17話 勝負開始

「じゃあ、さっそく、ベレッタくんに、暗示をかけてもらおうかな」

「実包くじ引き」の詳細なルール説明が終わったところで、小留戸がそう言い、彼女に視線を遣った。

「ああ」ベレッタは頷いた。「その前に、あたいの【プライズ】について、軽く、話しておこうか。

 名前は、《自在暗示》。催眠系の能力は、一通り使えるんだけれど、あたいは、その中でも特に、暗示系のものを、得意としているんだ。

 今回は、後催眠暗示を使うことにしよう。後催眠暗示というのは……まあ、簡単に言えば、『特定の合図を知覚すると、特定の行動をとるような暗示』かね。

 あたいにかかれば、どんなに複雑な内容の暗示でも、自在にかけることができる。ターゲットが協力してくれるんなら、これはもう、不可能はない、と、断言してかまわないさ。

 さて、『合図』を知覚した後、とる『行動』の内容だけれど──」

「もう一度、確認しておこうか」小留戸がそう言ったので、ベレッタは彼に視線を向けた。「ぼくと、ぼくの部下たちの『行動』は、三つ。『店を出て、南部グループの本部に戻る』『今年七月、第一土曜日以降における、ベレッタ・南部武幡・浜田柔代とのコミュニケーションに関する、いっさいの記録を削除する』『今年七月、第一土曜日以降における、ベレッタ・南部武幡・浜田柔代とのコミュニケーションに関する、いっさいの記憶を喪失する』。

 武幡くんと、柔代ちゃんの『行動』は、一つ。『今日一日、小留戸襄箆の指示に従って行動する』」

「さきほど、打ち合わせたとおりだね」ベレッタは頷いた。「それじゃあ、『合図』については、どうする? あたいとしては、『ギャンブルに負けること』を『合図』にするよりも、『負け』と見なされる行為そのものを、『合図』にしたほうがいいと思うんだけれど。例えば、『相手プレイヤーに王将を取られること』みたいなね」

「そうだね……」小留戸は腕を組むと、ううむ、と唸った。「じゃあ……『合図』は、『ギャンブルの続行を放棄すること』にしてもらおうかな。大怪我を負ったり、もう勝つことができないと考えたり、自分の負けを認めたり。そのような状態に陥った場合、『ギャンブルの続行を放棄した』と判断されて、さっきの『行動』をとる、という感じで。

 あ、それと、もう一つ。『ギャンブルのルールに違反すること』も、『合図』に加えておいてくれ。じゃないと、ルールの意味がない」

「わかった」ベレッタは頷いた。「それじゃあ、『合図』も『行動』も決まったことだし……さっそく、みんなに、【プライズ】を行使させてもらおうかね」


 小留戸が突き出した右手は、開かれていたのに対し、武幡が突き出した右手は、拳が握られていて、そこから、人差し指と中指が立てられていた。

「よっしゃあっ!」思わず、そう叫んで、両腕でガッツポーズをした。

「ふん……」小留戸は不機嫌そうに鼻を鳴らした。「大袈裟だね。まだ、1stラウンドが始まる前……先攻・後攻を決めるジャンケンの段階だと言うのに」

 彼は、防弾ベストを脱いでいた。当たり前だ、そんな物に袖を通すことが許されては、いくらなんでも、こちらが圧倒的に不利になる。今は、親衛隊のユニフォームである、シャツとズボンのみを着ていた。

「大袈裟にもなるさ」武幡はガッツポーズを解くと、ふふん、と笑った。「このギャンブルでは、引いた実包が当たりなら、勝つ確率が──相手を、ギャンブルの続行を放棄させるような状態に陥らせることができる確率が高い。つまり、先攻なら、自分の命を一度も危険に晒すことなく勝てる可能性がある、ってわけだ」

 彼は現在、白いワイシャツにグレーのスラックス、という出で立ちだった。インナーとしては、黒いTシャツを着ている。脱いだジャケットや、外したネクタイは、近くにある机の上に、雑に載せてあった。金の入ったアタッシェケースも、そこに置いていた。

 小留戸は顔を顰めた。「外れを引くことを祈っているよ」くるり、と背を向け、すたすた、と歩いて行った。

「ああ。せいぜい祈るんだな。今のあんたには、それしかできない」

 武幡も、くるり、と、踵を返した。しばらく歩いたところで立ち止まり、再度、体を半回転させる。彼は、机と机の間、通路となっているスペースにいた。

 数メートル先には小留戸がいて、同じように、こちらを向いて立っていた。机は、武幡の左右に一台ずつ、小留戸の左右に一台ずつあり、二人の間、ちょうど真ん中あたりの地点は、縦横の通路が、さながら十字路のようにクロスしていた。

 武幡の左隣には、棚が、背面の下部を机の側面に沿わせるようにして、据えられていた。高さは、二メートルほど。それぞれの段には、万力だの金槌だの、重たそうな物が、たくさん収められていた。そのせいでバランスが悪くなっているのは見て取れたが、今にも倒れそう、というような気配までは、さすがにない。

 武幡は東に、小留戸は西に位置している。二人の間にある十字路から、北へ伸びている通路には、ベレッタが立っていた。くじ引き用の箱を、両手で、左右の側面を挟むようにして持っている。

 柔代は、武幡の右斜め後ろあたり──彼の右隣にある机の、東辺が面している通路に立っていた。こちらに、不安を孕んだ視線を向けてきている。

 小留戸の、こちらから見て右隣にある机の、北辺が面している通路には、他の親衛隊員たちが集まっていた。相変わらず、フルフェイスのヘルメットを被り、アサルトライフルを携えている。しかし、さきほどまでとは違い、銃口を向けてきてはいなかった。

 彼の、こちらから見て左隣にある机の上には、取っ手の錆びついた糸鋸や、ブックスタンドにより垂直に立てられたA3サイズの書籍、筆立てに突っ込まれた錐など、いろいろなアイテムが置かれていた。それらの中に、プラスチック製のケースがあった。上から見ると正方形となっており、底は浅く、赤く着色されている。蓋は、本体から完全に外すことができるタイプの物で、ケースの近くに、裏返しにして置かれていた。内部は、同じくプラスチック製の壁により、碁盤の目状に仕切られている。

 そして、その、仕切られた空間には、実包が一個ずつ入れてあった。いずれも、本物だ。

 小留戸は、その中から一つを選ぶと、右手で摘まんで、取り出した。「ほら」と言うと、腕を振って、ぽーん、と、こちらへ投げてくる。コントロールはよく、武幡は、体を前後に傾けることもなく、両手で、ぽす、とキャッチできた。

「しっかり、確認しておくれよ」彼は、ふふ、と笑った。「不正など、どこにもない、ということをね」

 武幡は「言われなくても」と答えると、実包を両手で保持し、まじまじ、と凝視し始めた。ときおり、角度を変えたり、眼前まで近づけたりする。

 二人のうちどちらが当たりの実包を箱に入れるのか、について、意見がぶつかった。お互い、当たりの実包に、何か、自分にだけ、それが当たりである、とわかるような細工をするのではないか、と疑い合ったのだ。十数分にわたって議論した結果、小留戸が、ケースから当たりの実包を取り出し、武幡に渡す。武幡は、それに妙な点がないか調べ、問題がないようなら、箱に入れる。そういう手筈になった。

(まあ、不正なんて、ないだろうがな。ギャンブルが始まる前、おれがトイレから戻ってきた後に、おれと小留戸とで、お互いにボディチェックを行った。その時、やつの服や体に、そういう、イカサマを行うための道具の類いが仕込まれていないことは、確認済みだ)

「大丈夫──そうだな」武幡は、独り言のように呟いた。

「それでは、当たりの実包を入れておくれ」

 ベレッタは、抱えている箱を、武幡の右隣にある机の上に置いた。彼は腕を伸ばすと、当たりの実包を、箱の中に、ぽとり、と落とした。

「それでは、外れの実包を入れるよ」

 ベレッタは、箱を持ち上げた。小留戸の、こちらから見て右隣にある机に、置く。

 そのそばには、プラスチック製のケースがあった。当たりの実包が入れられている物と、ほぼ同じ見た目をしている。唯一、相違している点は、底の色で、これは青かった。

 小留戸の部隊の所有物で、もともとは、未使用の実包がしまわれていた。今は、そのような実包は、すべて取り除かれ、かわりに、模型店で売られている、ダミーカートが収められていた。

 ベレッタは、ケースから、ダミーカートを取り出しては箱に入れ、取り出しては箱に入れていった。五個、投じ終えたところで、箱を両手で持ち上げる。体を正面に向けると、それを胴体の前に移動させた。

「それでは、シャッフルするよ」

 ベレッタは、箱を、前後左右上下に揺るがし始めた。ごろごろ、かちかち、ことこと、という、中に入れられている実包やダミーカートが、転がったり、他と衝突したり、内壁とぶつかったりする音が、聞こえてくる。

 武幡は、ちら、と一瞬だけ、小留戸に視線を遣った。彼は、ベレッタが箱を振る様子を眺めていた。

 緊張だの士気だのといった感情が、あまり見受けられないような顔をしている。これから、ある意味、命が懸かっているギャンブルをするというのに、平静な男だ。あるいは、これはあくまで、いわゆるポーカーフェイスというやつで、心の中では、さまざまな思いが渦巻いているのかもしれない。

 ベレッタは箱を、十秒強、揺るがし続けた。それを終えると、こちらの右隣にある机に、箱を置いた。

「それでは、1stラウンド、スタートだ。武幡、実包を引いておくれ」

 そう言われて、武幡は、右隣にある机の上に置いてあるゴム手袋を取った。右手に装着すると、箱を両手で持ち上げる。

 実包を箱に入れるのは、視覚により識別できるような目印を付けられることを防ぐため。プレイヤーが、実包を選択するほうの手に、ゴム手袋を嵌めるのは、触覚により識別できるような目印を付けられることを防ぐためだ。

 武幡は、箱を左手だけで持った。離した右手は、箱の上面に開いている穴から、三角形の黒い布を掻き分け、内部へ突っ込んだ。

(さて……)武幡は、心の中で呟いた。(いったい、どれが当たりなんだ?)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る