08話.[まだいいでしょ]
「梅雨なのに晴れてよかったね」
目の前に座った一葉がへにゃっとした笑みを浮かべてそう言った。
僕は窓の外を見てからまた彼女に視線を向けそうだねと答えた。
現在進行系で移動中のため明るくなったり暗くなったりを繰り返している。
「で、どうして僕らは電車に乗っているの?」
「旅行だよ旅行、にーと私だけでね」
彼女は「パパとママばかり他のところに行けるのはずるいでしょ」と。
いや違う、あれは旅行なんかじゃなくて出張でしょ、とは言えなかった。
なんか今日の彼女はいつもとは全く違うのだ。
喋り方とか容姿とか髪の長さとか髪型とか。
そういうのは全く変わらないものの、雰囲気が圧倒的に違うと。
そして、なにがどう違うのかを細かく説明できないのが微妙な点だった。
「温泉だっけ? 確かにお金はあるけどさ」
「うん、たまにはにーとゆっくりしたかったの」
あれからなによりも優先してふたりでばかりいたのにまだ足りないというのか。
そりゃそうか、いきなり手を縛ってくるぐらいだもんなと納得する。
まあいい、旅行ということなら楽しまなければ損だし。
それにあくまで隣県に行くだけだからそこまで不安もなかった。
「改めてなんだけどさ、今日はなんか白くてふわふわした格好だね」
「うん、昨日ママとお買い物に行って買ってきたんだ」
「可愛くて似合ってるよ」
「ありがとう、あとはにーが買ってくれたヘアゴムも使用しているから」
「じゃあ白色を選択してよかったということだね」
すごいな、電車なら隣県にぐらいはあっという間に着くと。
予約とかは全て彼女がしてくれているみたいだから僕は付いていくだけだ。
「疲れたからホテルに行って休もう」
「えぇ」
荷物だってこちらが持っているのにどうしてなのか。
先程まで凄くいい感じの雰囲気をまとって目の前にいたのにどうしてなのか。
もう横を歩いているのはよぼよぼのおばあちゃんみたいな感じがした。
とにかく留まっていても仕方がないから手を掴んで歩いていく。
道案内をしてもらっていたら幸いすぐにホテルには着いた。
手続きを済ませて部屋へ。
「おお、畳かあ」
「うん、たまには敷布団方式もいいかなって」
「うん、いいね」
部屋から海も見えるし中々に悪くない場所だ。
そして同じ部屋には仲のいい異性がいると、妹だけどだからこそ心地がいい。
「ご飯までお昼寝ー」
「ゆっくりすればいいよ」
さて、せっかく温泉があるんだから温泉に入ってこよう。
その旨を話したら一葉はやっぱり寝ているみたいだったのでひとりで行く。
ご飯前に入って、寝る前にも入れたらきっと楽しい。
食事もそうだけどどうせ来たならお風呂も堪能しておかなければならないしということで。
「お、全く人がいない」
溜める時間を待たなくていいうえにほぼ独占できるって幸せだ。
それでもルールは守らなければならない、しっかり洗ってからタオルをつけないようにして湯船の中に足を踏み入れた。
「おぉ……ぉお?」
なんか色々と書いてあるから効果があると思っておこう。
と、とにかくこんな大きなお風呂は新鮮だから味わっておくことにした。
それでも他のお客さんが入ってきたタイミングで出て部屋に戻る。
「はは、爆睡してる」
なんとなく床に転んだら気持ちが分かった。
外から入ってくる風が心地いい。
まだ十七時前だから明るいしお昼寝にはいいのかもしれない。
「ん……にー……?」
「うん、ただいま」
「ぎゅー」
「お風呂に入ってきた僕より温かいね」
いつも自由だけど今日こそ本当の自由という感じがする。
いつでもお風呂に入れて、移動すればご飯を自由に食べれて、その後は本当に適当にゆっくりしていればいいんだから。
会話なんかも最悪なくても気まずくならなくていいという場所。
「ん」
「うん、いい子いい子」
「ご飯を食べたらちょっと砂浜を歩いてみようよ」
「分かった」
ただまあ、少ないとはいえふたり分の荷物を持った上にお風呂に入った状態でこうして寝転んでいると眠くなってくるのは確かだ。
心地がよすぎる、抱きついてきている一葉が温かいというのもあって瞼と瞼がくっつきそうになってしまう。
「眠たいの?」
「うん、ちょっとね」
ご飯は絶対に食べたいし、その後にまたお風呂にも入りたい。
だからいまちょっとだけ寝ておくのは効率的だと思うんだ。
そう、自分のこの行為を正当化させ寝ることにした。
もちろん遅れても嫌だから十八時前に起きられるようアラームをセットして。
「抱きしめていいよ」
「うん……」
細かいことはどうでもいい。
いまはただ寝ることだけに集、
「なんか一葉を抱きしめたら眠気がどこかにいっちゃったよ」
中することができなかった。
眠気がなくなったから抱きしめるのをやめる。
でも、転ぶことだけは続けていた、これは気持ちがよすぎる。
「なんで私を抱きしめたら眠気がどこかにいっちゃったの?」
「うーん、なんでだろうね?」
安心感とか心地よさとかすごかったんだけど……。
「ふぁぁ、はぁ、私もお風呂に入ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」
ま、悪いことではないのは確かだ。
明日は丸一日泊まれることになっているからそう焦らなくていい。
振替休日である月曜日にゆっくり帰ればいいのだから。
「見て」
「うん」
うん、なにも見えない。
波の音があることで海だなあって気持ちになるだけだ。
でも、だからこそ白色の服を着ている彼女が目立つというか。
ちなみにこれ、さっきまで着ていた服ではないから面白い話だ。
これまでは着られればいい、どちらかと言えば暗い色の服がいい派だったのにどうしてこうなったのかは分から――なくはないな。
「なんかいいね、見えなくても砂浜を夜に歩けるということが」
「そうだね、ご飯を食べた後だからお腹も少し落ち着かせられるしね」
自由に選べるのもあっていつもより食べすぎてしまった。
だから後半は少し自重をして持ってくる係に徹しようとしていたわけだけど、結局のところは一葉が食べなよと言ってくれたことで誘惑に負けてしまったことになる。
「こうして好きな人を抱きしめればもっといいよ?」
「僕を抱きしても変わらないよ」
「ううん、全く違うから」
じゃあと馬鹿みたいに乗って一葉を抱きしめてみても、あ。
「人の体温というのは安心できるね」
「でしょ?」
真っ暗闇だからこそそう思う。
ひとり取り残されたわけではないことを教えてくれている気がする。
「そろそろ戻ろうか」
「まだいいでしょ」
「部屋から見る暗い海というのもいいかなって」
こんな機会、死ぬまで何度あるかは分からない。
今日はまだ焦らなくていいんだ、寝転びながらゆっくりお喋りするぐらいでいい。
「一葉」
「……戻る前にちゅーがしたい」
ここまで真っ直ぐにアピールしてきたのは初めてだった。
意外にも怖かったということなのだろうか? 僕に断られたら……的な感じで。
「もしかして焦ってるの?」
「だってすぐに戻ることになるし、戻ったらまた円とか光ちゃんだけじゃなくて由美先生を優先するようになるし」
中西先生はともかく光を優先することは多いから違うとも言えなかった。
「明日の夜もこうしてゆっくりできるんだよ?」
「……もういい」
今日なんか半日授業があってそれが終わったらすぐにここに来たわけだからゆっくりしたい。
なんでもかんでも許可をすればいいわけではないのだ。
行き着く先が同じ場所だとしてもその間は色々と変化する。
「お風呂は?」
「……うるさい」
まあもう一度入っているわけだから別にいいのか。
電気を点けさせてもらえないような雰囲気だったから二階にあるソファにでも座ってこようと決めた、流石に真っ暗の中でずっと起きているのもなんだしということで。
「ふぅ」
まだ二十時とかだから同じように利用しているお客さんがいる。
別に寂しいわけではないものの、賑やかな声がいまの僕には突き刺さる。
……要求を受け入れておくべきだっただろうか?
好きな人、そうはっきりと言った状態で抱きしめてきたのも拒まなかったわけだし、一葉からすればそれは受け入れたものだと判断したのかもしれない。
やっぱりここにいても寂しいから部屋に戻ることにした。
一葉と来ているんだ、一葉と一緒にいられなかったら意味がないということで。
「一葉、さっきはごめん」
「……いいよ、焦っていたのは確かだし……」
「ありがとう」
横に転んだら手を握ってきたからこちらも軽く握り返しておく。
「あとでお風呂入る」
「うん」
「どうせならいっぱい入っておかないとだから」
人があまり来ない時間にしたいから二十二時とか三時だろうか。
それまではどうしよう、いや、一葉とゆっくりのんびりとしているだけでいいか。
「今日は一緒に来てくれてありがとう」
「誘ってくれてありがとう」
こういう形でもなければ旅行になんて行けないから助かる。
一葉は僕にとっていいことをしてくれたというわけだ。
「どうしてもふたりきりがよかったから光ちゃんには申し訳ないことをしちゃったけど」
「そもそも予約していないからね、元々無理な話だったんだよ」
それに土日月と片岡さんと一緒に過ごした方がお得だ。
今回のこれで旅行に行こうという話になるかもしれないし、意外とサポートできているのかもしれない。
どちらかと言えば光にではなく片岡さんにとっていい方へ繋がるように動けているというか、いま空気を読まずに名前を出したりはしないけど。
「今日は抱きついたまま寝るから」
「いいよ」
一葉がしたいのならそれで。
構わない、母にももう言ってあるし問題もない。
いいことをしてくれたからこそこちらもなにかを返したいのだ。
「……ちゅー以外はなんでも受け入れてくれるんだね」
「うん、拒む必要がないから――あ、電話だ、ちょっと待ってて」
それにしてもいつまでここは真っ暗なままなんだろうか?
もしかしてお風呂に行くまで? そうしたら眠くなっちゃうよという感じ。
「もしもし?」
「やっほっほー」
相手は光だった。
いつも通りの元気さでいてくれている。
ただ、耳に当てていると痛いぐらいの声量なのは……まあいいけど。
「どうしたの?」
「楽しめてる?」
「うん、凄くね」
下手をしたら駄目になった可能性もあるけど、部屋は真っ暗だけど。
男なら細かいことを気にするべきじゃないと分かっていても難しい。
「おいおーい、なんで一葉ちゃんの声を聞かせないんだっ」
「え、聞きたいなら別にいいけど」
一葉の方に近づけたら……あんまりよくない声を出していた。
当然、慌て始める初な光、変わっていないところもあって一安心、とはならず。
「耳が痛いから切るね、それじゃ」
結局最後まで聞くことはせずに無理やり切った。
それからじろりと妹を睨んだものの、件の妹はなんの話ですか? とでも言いたげな顔。
「まったく」
「ふふふ、だって今回はあんまり間違っているとも言えないでしょ?」
「間違っているよ、変なことをするわけじゃないんだから」
いい加減あれだからと電気を点けた。
一葉は「まぶしっ!?」と言って変な顔をしていた。
それがはっきりと見えて面白かった。
「無事に着いてよかったね」
「知らない」
ああ、まあそう拗ねたくなる気持ちも分かるけど……という感じだった。
とりあえずは光にお土産を渡すために寄ったわけだけど、
「こら暁!」
玄関の扉にいきなり押さえつけられて困惑――とはならず。
「大体ね、兄妹でそういうことよくないからっ」
「光ちゃんの勘違いだよ、結局ちゅーすらできていないし」
「うぇっ!?」
普通に楽しんだ結果あっという間に今日を迎えてしまったことになる。
あまり遠くはなくても他県なんだしということで観光していた結果だ。
「にーはへたれ」
「ま、まあまあ、あ、光にはこれね」
「あ、ありがとう、あっ、疑ってごめん……」
「いいよ、それじゃあね」
それでも家に着いたらやっぱり違うと分かった。
昨日までのは非日常という感じで、やっと現実に帰ってこられたような気分だ。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「ん? 一葉はどうしたの?」
「あー、楽しいだけではなくてね」
しょうがない、焦らなくていいと後回しにしてしまったのはこちらだ。
荷物を置いてくるという理由でリビングを出て、今日は確認することもせずに一葉の部屋に。
「……来ないで」
「一葉、いまからでもしようか」
「嘘つき」
「一葉がしたいならしよう」
嫌な思い出として終わらせたくない。
一葉は布団から顔を出して「いいの?」と聞いてきた。
こちらの答えは変わらない、揶揄して遊びたいわけじゃないし。
「したい」
「うん、じゃあ目を閉じて」
大丈夫、ドラマとかそういうので知識だけはあるから。
真っ直ぐだとあれだから傾けてそのままぶつけた。
一葉がそこでびくっと生々しい反応をしたのでこちらはすぐに逃げる羽目になった。
「……これでいいよね、じゃあ部屋に戻るから」
返事もなかったけど気にせずに部屋からも逃げる。
「なにやっているのよ」
「うわあ!?」
「嫌な予感がしたのよね、来ておいてよかったわ」
勘弁してくれよぉ……。
まあでも母は鋭いってことなんだろう。
隠そうとしたところで結局ばれていたことだからどうでもいい。
それにもう手遅れだから。
「暁、お買い物に行くわよ」
「分かった」
ここにいられるのなら手伝いでもなんでもするよ。
約二日、他県に行けただけで十分贅沢をできたから。
「ん? なんでこんな納豆を買っているの?」
「あなたには今日から納豆だけしかあげないわ」
「えぇ」
「ふふ、冗談よ、最近はまっているの」
摂りすぎなければ確かにいいか。
僕も好きだからこれは普通にありがたい。
「はぁ、息子と娘がイケない関係になって最悪だわ」
「……なにも言えません」
「まあいいのよ、元気に生きていてくれればね」
ちゃんと荷物持ちをやらせてもらって家へ。
そうしたらリビングに一葉がいて、それならばと三人でお昼ご飯を作ることになった。
「驚いた、一葉もできるようになっていたのね」
「うん、光ちゃんの家でよく手伝わさせてもらっていたから」
「それならこれからは暁と一葉に任せようかしら」
「いいよ? にーとなら上手くやれるし」
「僕もいいよ、帰ってだらだらするよりもしゃっきりできるし」
結局、追い出されてしまった。
母が作ってくれたご飯を食べて今度は部屋でゆっくりのんびりとする。
「……さっきびっくりした」
「うん、びくってなってたね」
「でも、にーとできて嬉しい」
「ありがとう」
もしここでがっかりだったとか言われたら終わるから助かった。
「明日、円と女子トークしてくる」
「うん、分かった」
じゃあこっちは光とゆっくりしてこようか。
話したいことも色々あったし、やっぱり会えないと寂しいから。
先程会っただろと言われればそれまでだけど。
お昼ご飯を食べていたのと自宅ということでふたりで夜まで寝た、
「にー……すき……」
のは一葉だけで、こっちはなんにも寝られなかった。
いまさらやってくるやってしまった感。
ただ、いまさらなかったことにはできないから諦めて一葉の頭を撫でることだけに専念。
それに後悔はしていない、寧ろ嬉しそうにしてくれていて感謝しかない。
だからありがとうと再度言っておいたのだった。
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