第十一話 垂らされた釣り糸
人目に付かない外の洗濯場では三人の女中が噂話に花を咲かせていた。彼女達は各々大量の洗濯物を片付けながら幾度も話題を変えては城内で得た情報を交換していた。
「ねぇ知ってる?」
会話が尽きた瞬間を狙ったかのように話し始めたのは彼女達の中でも情報通と知られている女中だった。彼女が最新ネタを切り出す時のお決まりフレーズを耳にして、さっそく他の女中達が前のめりになる。
「とうとう、彼の方が側室を迎えるらしいわよ」
「えぇ? 本当に?! さすがにそれは眉唾じゃあ」
「私も最初聞いた時はまさか! と思ったけど。……間違いないみたい」
「そんな、今になって側室だなんて……もしかして、弟君が理由?」
「それもあるけど……実のところ
二人の女中が思わず顔を見合わせる。互いに
「けど、別に直接取り込まなくても王家に長年仕えているところに囲わせればいいんじゃないの? ねぇ?」
「私達も納得いかないわよ! 理想のお二人に憧れている人もたくさんいるのに……王太子妃様が可哀そうだわ」
「しっ!」
「あ……ごめん。でも、そうよ! 彼の方はまず了承しているの?」
「それが、どうやら彼の方が決めたことらしいのよ」
「嘘でしょ?!」
「やっぱり、国の為にってこと?」
「みたい……今までは何かにつけて断っていたけど、さすがにもう三年経つし、弟君もああなってしまっては……ということでしょう」
「まぁっ……」
三人は思わず手を止め、尊き方々の心中を思って嘆息した。
————————
握った窓枠が耐え切れずミシリと音を立てた。
二階の窓からすぐにでも飛び出してしまいそうな剣幕のオーマン・ディヒラーが、階下の女中達を射殺さんばかりに睨みつけている。
「あいつら、処分してきましょうか」
「やめなさい」
「ですがっ!」
「遅かれ早かれ知られることです」
オーマンの主、コリンナは悲しげに微笑んだ。
主にこんな表情をさせるなど……そんなオーマンの思考を読んだのか、コリンナは首を横に振ってその場を離れる。慌てて小さな背中を追いかけた。
————どうすれば彼女を笑顔にできるのだろうか。オーマンは震える拳をきつく握った。
————————
側室の
二人の様子を見ていたティモは思った。密接な距離にもかかわらずどうしてこんなにも……
「色気がないのでしょうか」
「何か言ったか?」
「いえ。イザベル様、コーヒーのおかわりはいかがですか?」
「お願いします。ヒルデベルト様がうらやましいですわ。いつもこんな美味しいコーヒーが飲めるなんて」
この国では紅茶が主流で、コーヒーを飲む人は少数派だ。だが、文官のような長時間机と向き合う人達の間ではコーヒーを飲む習慣が根付いていた。かく言うヒルデベルトも仕事時のお供はコーヒーだ。そのことを知ったイザベルは嬉々として自分の分もティモに頼んだ。美味しそうに飲むイザベルにティモもまんざらでもない表情で毎回淹れている。いつの間にかイザベル用のカップまで用意されるようになった時はこっそりと笑ってしまった。
執務室にノック音が鳴る。そろそろ昼時かとイザベルは持っていたペンを机の上に転がした。硬くなった肩をほぐすように上下させる。淑女らしくない仕草だが今更だ。
ティモが開けた扉から入ってきたのはコリンナと護衛騎士のオーマンだ。イザベルがそそくさとヒルデベルトの隣から一人掛けの椅子に移る。
私は空気が読める子である。決して、オーマンからの視線が痛いからではない。
コリンナはヒルデベルトの隣に腰かけるとオーマンが腕に抱えていたバスケットからサンドイッチを取り出した。
「今日の昼食も美味しそうですわね!」
女性でも食べやすいように小さめのサイズのサンドイッチも入っている。
「ええ。イザベルが好きそうな物を料理長に頼んでみましたの」
「まぁ! それは楽しみですわ!」
微笑みあう女性二人を横目に、ヒルデベルトは肉と野菜が挟まれたサンドイッチを手に取り食べ始めた。
「ヒルデベルト様いかがですか?」
「おいしいよ。いつもありがとうコリンナ」
「ふふ。よかったですわ」
「あ、イザベル」
仲睦まじい夫婦の様子を観察することに徹していたイザベルは急に声をかけられ驚く。何故このタイミングで呼ばれるのかわからず首を傾げると、ヒルデベルトは笑って己の唇横をとんとんと叩いた。慌てて口元を手で覆う。できる従者、ティモが横からさりげなく紙ナプキンを差し出した。口元を拭うと案の定ソースが付いた。向かいから微笑ましそうな視線を感じて、素知らぬ顔で礼を述べたが恐らく頬は赤くなっていたことだろう。ヒルデベルトが先に食べ終わりコリンナと話すのを邪魔しないよう、イザベルはサンドイッチをゆっくりと味わった。
ふと強い視線を感じて顔を上げる。オーマンの無機質な表情が目に入り、背中にゾクリとしたものが走る。イザベルは自然に見えるようゆっくりと視線を逸らすと、味のしなくなったサンドイッチをコーヒーで流し込んだ。
コリンナとオーマンが退出すると、イザベルは深く息を吐いて小さく唸り声をあげた。
「大丈夫かい?」
「なんとか……」
「なかなかやつも尻尾は出しませんね」
「そうですわね。これが当分続くと思うと胃が痛いですわ」
「おや。イザベルならあの程度平気だと思っていたが」
「……これでも、一応
「ふっ。淑女としてはイザベルは少し変わっているよね」
「ヒルデベルト様。イザベル嬢の場合、
ティモまで皮肉を言いだした。どうせ、私は淑女らしくないですよ。ヒルデベルトの執務室に通い始めたが、手持ち無沙汰になり気が付けば文官の真似事を始めていた。なまじ前世での知識を披露してしまった為に即戦力ととらえられて、今ではがっつり手伝わされている。
「あ、そういえば明日はこちらにこれませんので先にお知らせしておきますわね」
「そうか……残念だよ。ちなみに、予定を聞いても?」
「心にもない……いえ、ある意味本音なんでしょうね。もちろんです。明日はナターリア伯爵令嬢とお茶会ですの。めずらしく誘いがありましたので」
「ナターリア嬢というとアレか……」
「ええ」
「コリンナ様の腰巾着ですね。となると、決まっているでしょうに」
ティモが『呼ばれた理由は明白なのに何故いくのか』と不可解そうな視線で問う。イザベルはあえて笑って言った。「だから行くのですよ」と。
待ち遠しいとばかりの表情のイザベルに、理解できないと首を振るティモ。ヒルデベルトはここ数日ですっかり打ち解けた二人のやり取りを楽し気に眺めていた。
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