第九話 気持ちが良いものではない
昼過ぎ頃、ヒルデベルトの執務室には珍しい人物が訪れていた。
ヒューイ・ヴォストマン。現ヴォストマン公爵の弟である。
身長188cmのヒルデベルトでさえ見上げる程高い長身だが、酷い猫背とひょろひょろとした体形のせいで一回りは小さく見える。
艶を失った銀髪はもはや白髪に見え、いったいどれくらいの期間ほったらかしにされていたのか、ところどころ絡みあっている。いっそ切ってしまえと言いたい。
明らかに不健康そうな見た目をしているが、医療に関しての知識と腕は一流。
ただし、圧倒的なコミュニケーション能力の無さで、医師として働かせるのは無理があった。人見知り、というわけではないのだが、マイペースな上に、パーソナルスペースが近すぎる為、患者の方が絶えきれなくなって逃げだすのだ。さすがにそれでは仕事にならないので普段は検死官として働いてもらっている。先日の三人の検死も彼に頼んでいた。
結果、ヒューイは執務室に入ってきてから終始、眼鏡の奥の目を三日月形に歪め、思い出したように引き笑いを繰り返している。至近距離で引き笑いを繰り返される事に耐えられなくなったヒルデベルトは手で押しのけると距離をとった。
「久しぶりにいい物を見せてもらったよ~うひ、ひっひひひ」
「いいから、さっさと話せ」
ヒューイを前にすると、毎回ぞんざいな扱いになってしまう。己のこめかみをグリグリしながら、溜息を洩らした。
「片頭痛持ちは大変ですね~ふひっ、あ、そうそう~王太子殿下の言う通りでしたよ~」
「……ほぅ」
ヒューイは検死結果について目を輝かせて語り始める。何がそんなに面白いのか、とも思うが彼にとっては興味惹かれる事があったのだろう。ヒルデベルトは口出しをはせずに黙って聞き役に徹した。
一通り聞き終わるとヒルデベルトは珍しくヒューイを労った。ヒューイはきょとんとした表情を浮かべたが、すぐにどうでもよさげに自分の部屋へと戻ろうとした。が、ふと思い出して振り返る。
「そういえば、王太子殿下~アレの効きはどうですか~?」
途端に不機嫌な表情になるヒルデベルトにまた駄目だったのかと推測する。ふむ、と空中を見上げ前回より効き目がありそうな調合を思案する。
「いや、当分いい。忙しくなるからそれどころじゃなくなるだろう」
「ふ~ん……ふはっまぁ、王太子殿下が良いというのならよいですけどね~ひゃはははっ」
さっさと行けと片手を振れば、ヒューイは引き笑いを溢したまま楽しそうに出ていった。完全に姿が消えるとヒルデベルトは机に突っ伏す。ヒューイがいなくなったと同時に現れたティモが労うようにカモミールティーを机の上に置いた。ティモもヒューイが苦手らしく、彼が現れそうになるとレーダーでもつけているのか
ヒルデベルトの気持ちがようやく落ち着いた頃、執務室のドアがノックされた。この時間帯は誰も来訪予定はなかったはず……。
そういえば、そろそろイザベルと落ち合う時間だと気が付く。迎えに行くつもりで待ち合わせ場所は決めていなかったが、どうせ王城に来るからと直接来たのだろうか。彼女ならありそうだと、あの意思の強い瞳を思い浮かべる。
ティモが主の意思を組んだように動き、ドアを開けると、そこにいたのはコリンナだった。
一瞬片眉が上がるが、すぐに笑みを浮かべて立ち上がる。
「コリンナ。急にどうしたんだい?」
「先日父からヒルデベルト様が好きだとおっしゃっていた菓子が届いたので、持ってきたんですの」
コリンナの後ろに控えていた護衛が箱をヒルデベルトに差し出す。サッと横からティモが出てきて、受け取った。コリンナの護衛が顔を顰めさせるがコリンナに諫められ、後ろに下がる。
コリンナの護衛は貴族主義なのだろう。ティモが気に入らないらしい。
表立ってティモに当たることはなくとも、こうやって表情に出すものは未だに結構いる。
正直、見ていて気持ちが良いものではない。つい、ヒルデベルトの纏う空気が冷たくなる。すぐに、ティモから視線で諫められた。
不本意だが、ヒルデベルトは
「わざわざ持ってきてくれてありがとう。後でゲデック公爵にもお礼を言っておくけど、コリンナからも言っておいてくれると助かるよ」
「はい。もちろんですわ」
「ああ……申し訳ないんだけれど、この後急ぎの仕事が入っていてね」
「まぁ、今日もお忙しいんですのね。ヒルデベルト様、あまり無理をなさらないでくださいね」
コリンナがそっと腕に触れようとするのを身体を引いて避け、手を握ると別れの挨拶をする。残念そうなコリンナに
————————
イザベルは父に『
城には定期契約をしてくれそうな人がゴロゴロいるので期待できそうだとほくそ笑む。
さて、これからヒルデベルトと合流しなければならないが、どこに行くべきか。
いくら思い返しても待ち合わせ場所を決めた記憶がない。
うっかりしていたな……とりあえず執務室に行くべきか。
噂をすれば前方からヒルデベルトがティモを連れて歩いているのが見えた。
ちょうどあちらも気が付いたようで、ホッとした表情を浮かべ速足で近寄ってきた。
「入れ違いにならなくてよかったですわ」
「本当に。迎えに行くと伝えるのを忘れていたから本当によかったよ」
「まぁ。わざわざ来ていただかなくてもこちらから出向きますわよ」
「イザベル嬢ならそう言ってくれるだろうけど。一応ね」
効率が悪いのに、と思いながらも、この世界では待ち合わせという習慣がないので仕方がないと思いなおす。
「とりあえず、あまり他の方に見られたくないですし、さっさと行きましょう」
「そうだね」
ヒルデベルトの後ろを一定の距離を保ち歩き始める。イザベルの隣にティモが並んだ。万が一誰かに見られたとしても噂にならないようにだろう。とはいえ、ティモの人気もすごいのでこの二人と一緒にいるのを見られただけで何か言われそうだ。
周りが気になっていたが、地下牢付近になると人とすれ違うことも無くなり安堵する。
仄暗い階段を下りると、重厚な扉の前に門番がいた。扉が開けられ、ヒルデベルトが先に入る。後に続いて入ると、どことなく淀んだ陰鬱とした空気を感じた。血の匂いも微かにする。
想像はしていたが、あまり長居したい場所ではない。貴族専用の地下牢でコレだ————もう一つの方はもっとすごいのだろうな。ゾクリとしたものが背中を走る。
「女性用地下牢はこっちだよ。……行けるかい?」
足を止め、顔色を伺うようにして尋ねられる。イザベルは震える手を隠すようにして握ると頷いた。
背中にヒルデベルトの手が触れ、その場所へと促される。
イザベルは血の匂いが一際濃い場所へと足を踏み入れた。
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