第21話 蹂躙せよ
死の森の砦に夜が来た、そう錯覚しそうな。
違う、夜の闇そのものが来たのだ。
進軍開始直前で整列していた兵達は、誰もが戦慄に震えた。
だって、そうだろう。
「どうなってるんだっ! さっきまで日が出てたじゃねぇかっ!? 今は昼だろう? なあ、誰かそうだって言ってくれよっ!!」
「火だっ! 誰か灯りをつけろっ!!」
「うわあああああああああっ、何だよこれっ!? おかしいだろっ! テメェら何を暢気にしてるんだっ!! これが分からないのかっ!? この神気が本当に分からないのかよっ!? なんでこんな――死の森の魔獣なんて目じゃねぇよっ!! この前の巨人? いやそれ以上の――」
その中で一際、恐慌状態に陥った兵に周囲の者は恐怖を誤魔化すように怒鳴って訪ねた。
「わかんねぇよっ!! こんな暗闇の中でお前は何がわかるってんだっ!!」
「これだから祝福を持ってねぇ奴はっ!! ああ、お終いだっ!! 俺らは全員ぶっ殺されるっ!! ああ、あの巨人が現れた時に帝国に逃げときゃよかったんだ畜生っ!!」
「だから分かるように言えってっ!!」
混乱が続く中、誰かが呟いた。
「――――来たのか? 本当に? イキシアの死神が?」
「イキシアの死神? は? あれ王子は嘘だって……」
「オマエはそこに居なかったから知らないんだっ!! あれが嘘なもんかっ!! たった四人で共和国の大軍追い返したんだぞっ!! 朝になったら、て、敵が――うわあああああああっ、殺されるっ、俺たちも殺されるんだっ!!」
動揺が広がる、冷酷な死がやって来たのだと。
決して敵わぬ存在が、殺しにくるのだと。
だが、現場に指揮官は声を張り上げて一喝した。
「狼狽えるな我が兵達よっ!! こんなモノは虚仮威しだっ!! こんな大きな力があって、今すぐ我らを殺さないのはそれが出来ないからだっ!! ――臆するな帝国解放連合軍の勇者達よっ!!」
彼の激に、兵達は落ち着きを取り戻すかと思えた。
「おおっ、見ろっ!! 闇が晴れて――」
「本当だっ、やっぱり虚仮威しだったんじゃないか!!」
「待てっ、だから祝福を持ってない奴らはバカなんだっ!! オレは逃げる、逃げるからなっ!」
「はぁっ!? 何をオマエ敵前逃亡なんて……っ!?」
聡い者が逃げだそうとした、正にその時だった。
闇が一点に凝縮し、砦を越える高さの巨大な黒騎士が。
「――――ご機嫌如何かしら?」
彼女の声は、とても透き通って不思議と全員に届いて。
そう、巨人の肩には婉然と微笑む一人の女の姿。
この場にそぐわぬ、そして目立つ白の清楚ドレス。
肩や胸に鎧の一部があれど、装飾にしか役立たない華美な格好の美しい女。
「――用件は一つ、今すぐ武装を解除して降伏しなさい。でなければ…………貴方達を殺します」
「っ!? は、はったりだ!! そんな虚仮威しに誰が乗るかっ!! 全軍戦闘開始っ!! あの巨人と女を討ち取れぇええええええええええ!!」
指揮官の命令により、剣が、盾が、槍が、そして矢が放たれる。
巨人は剣を地面から出現させ、――彼らにはそれが酷く緩慢な動作に思えた。
だが次の瞬間、目にも止まらぬ早さで振るわれ。
「っ!? 矢が届かないっ!? ――第一軍突撃っ!! 第二は右からっ、第三は左からっ!! 急げ急げ急げっ!! ええい奇襲とは卑怯なっ!! 出撃直前だったのが幸いだったわっ!!」
「はぁ……降伏はしてくれないのね」
ターシャと闇の巨人を囲むように、陣形が動き始める。
その時だった。
「――――告げる、今より蹂躙しなさい貴方達」
静かな声だった、背筋が凍り付くような冷たさがあった、戦場に響きわた命令に自称・解放軍の者達は巨人の背後を睨む。
「盾兵構えっ!! 突撃に備えろっ!! 弓兵まだ打つなっ! 限界まで引きつけろっ!! ここは我らが拠点っ!! 地の利は我らに在りっ!!」
「ふふっ、…………誰がわたしの後ろに居るというの?」
「何っ、――――――ま、まさか」
直後、指揮官である彼の後ろから地響きが。
あり得ないと思考が硬直する、今この場で彼が一番後ろに居るのだ。
この解放軍は帝国に悟られぬよう、帝国だけではない周辺国に、王国の貴族の大半にも、各地を治める領主達にも秘密裏に集められたのだ。
「敵襲うううううううううう!! 正面は囮だっ!! 本命は背後!! 奴ら木に隠れて後ろに回りやがったっ!! 挟撃されるぞっ!!」
(不味い、不味いぞこれはっ!!)
故に、戦力はこの場に存在する一個師団のみ。
今はそれを三分割し運用している、彼がいる第一軍は凡そ四千人。
これが平地なら、敗北の目は無かっただろう。
「反転っ! 全軍はんて――いや! 第二は巨人にっ! 第一第三で当たるっ!」
だが、この場は深い森。
そして進軍直前だった故に、結界の効果範囲の限度まで砦から離れており。
「砦を落とさせるなっ!! 絶対に落とされるなっ!!」
「うわああああああっ!! 巨人がっ、巨人が迫ってくるううううううう!!」
「畜生っ! 誰が虚仮威しなんて言ったんだっ!! あんな化け物に誰が勝てるってんだっ!!」
「――――あれが、イキシアの死神……。今から降参して間に合うか?」
(最悪だっ!! どうしてこなったんだっ!!)
ただ、背後に回られただけなら勝ち目はあった。
しかし、今回だけはそれが致命的な弱点であった。
「――見つからない様に、正面以外は崖で囲まれた所に砦を作ったのが仇となったわね」
砦は崖の下に、崖に食い込む様に作られている。
左右をまた崖が迫り、入り口は狭く侵入者を阻む天然の城壁。
万が一、誰かが通りがかってもそう簡単には発見できない作りであった。
万が一、攻め入られても簡単に防ぐ事が出来た筈だった。
(パースリィ殿下が、陛下達がナスターシャ様を戦力として数えたくない訳だ。――こんな簡単に策が成るものかっ!!)
夜に見間違うターシャの闇に紛れ、二カ達は手薄となった背後。
砦の地上部に直接降り立った、いくら自然を利用した強固な門があっても空からの大軍侵入は想定されておらず。
後は彼女が敵軍を引きつけている間に、数少ない見張りを殺して配置に着くだけだ。
「護衛騎士団及び皇太子妃直属兵団!! ナスターシャ殿下の働きに負けぬように、その場を死守しろっ!! 地の利は我らにこそ在るっ!!」
「さぁ、蹂躙を始めましょう――――」
前には、動く城塞とも思える巨大な黒騎士が。
背後には、乗っ取られた砦が。
自称・帝国解放軍は絶望的な戦いを始める他無かったのであった。
一方その頃、パースはコンバ達三人を引き連れて崖の上から砦の内部への侵入を開始していた。
彼らの目的は、第一にターシャの母フィローソウの奪取、第二にラウルス公爵の発見。
「――よしコンバ、最終確認だ。これより砦の上に降りる訳だけど」
「砦の中の人員は、封鎖された扉を開こうと躍起になっている筈です殿下」
「そうでなければ、マヤリスが一階まで先行し。そうなる様に誘導します」
「問題はターシャの母上の身柄が移される、或いは封印を解き殺されてしまう可能性がある事だね」
「こればっかりは、運と時間の問題かと。――殿下は運に自信が?」
「勿論、ターシャという幸運の女神がついてるからねっ! 進軍直前に間に合ったのもそのお陰さ、……でもこれだけの規模なら叔父さんだけじゃなくて、最悪の場合はコールムバイン王が居る可能性がある」
「……一層、気を引き締めてかかります」
「よろしい、――――では始めようか」
そして彼らは、崖から飛び降りた。
そこから砦の屋上まではかなりの高さがあったが、パースにはターシャの闇の力で鎧を身に纏っている。
コンバ達は慣れたものだ、全員危うげ無く着地して。
「――――おうおう、雁首ならべてノコノコと来たな? 絶対に誰か来ると思ってたがオレは幸運だ、……まさか帝国が誇るバカ皇子様が直々に来るとはなぁっ!!」
「っ!? 待ち伏せっ!」
「お下がりください殿下っ!」
そこに居たのは、剣を持った男が一人。
背が低く、肥満気味、そして控えめに言って頭部が薄い。
彼に襲いかかろうとするコンバ達を目で制止し、パースは相対した。
「…………コールムバイン王国第二王子、コリウス殿とお見受けするよ」
「そういうテメェは、セレンディア帝国第一皇子のパースリィだな。お初にお目にかかるぜ」
「隣国の友情の為に、君とは一度ゆっくり話し合って親交を深めたいと思ってるんだけどね。――今はそこを退いてくれないかい?」
「はいそうですか、って退くと思うか? というかテメェは瀕死の筈だろう。何で平気な顔して侵入しようとしてんだよ」
怪訝そうな顔をするコリウスに、パースは目を細めた。
今の言葉は、つまり。
「成程、僕のを呪ったのは王国の仕業だって認めるんだ」
「ぬかせ、この期に及んで今更というモノだろう? ……どんな手を使って生き延びているか知らないが、貴様がもう直ぐ死ぬのには変わりない。――帝国はもう終わりだぜ、あのクソ親父の手に落ちる」
「それこそ、はいそうですかって受け入れられる訳が無い、――力付くでも押し通る、殺される覚悟は出来てるかい?」
「貴様こそ、その覚悟をしとくべきだな。オレは貴様の様と同じで祝福なんて持ってない、だが貴様と同じように遊び呆けていた訳でもない。――王国随一の剣技、その命を持って味わう栄誉を与えよう」
コリウスが剣を構える、対しパース達も剣を抜き。
一触即発、誰が最初に動くかと緊張が走り。
「一つ聞かせろ、貴様のその剣は何処で手に入れた? 見事な業物だが、普通の金属では無いだろう」
「剣の収集家と聞いているけど、噂に違わぬみたいだね」
「はっ、答えろよ。貴様が死んだら、その鍛冶師はオレのお抱えにしてやる」
「当人が拒否すると思うよ、だって君が手放したんじゃないか」
「何を言っている? オレは一度も専属の鍛冶師なんて――」
「この剣は金属じゃない、鎧だってそうさ。――ターシャの力で出来ているんだ。どんな宝剣より頑強で鋭いよ」
「――――――今、何と言った?」
瞬間、ガラリとコリウス王子の気配が変わった。
尋常ではない怒気、殺気、歴戦のコンバ達がたじろぐ程の……敵意。
だがパースは、それをそよ風の様に受け流した。
「この剣も鎧も、ターシャの力だと言ったんだ」
「ターシャ? ターシャだとっ!! おい貴様ァっ!! あの女は今、貴様の所に居るというのかっ!!」
「は? 何だい? 自分から捨てておいてそんなに気にするのかい? ターシャなら今、向こうで君達の軍を蹂躙しているよ。――なんで手放したんだい?」
「五月蠅い五月蠅い五月蠅いっ!! アイツはオレの女だっ!! 返せっ!! 貴様如きが手にしていい女ではないッ!!」
「…………訳が分からない。コリウス王子、貴方がターシャを死の森に捨てたんじゃないのか?」
「オレもターシャと呼んでいないのに、貴様がターシャと愛称で呼ぶんじゃないッ!! 不愉快だッ、嗚呼ッ、不愉快極まりないッ!! アイツはオレの女だッ、捨てたのも拾うのもオレだけだッ!!」
激高するコリウスを、パースもまた怒りで以て答える。
なんて勝手な言い草だろうか、彼女を手放したのは彼自身で、彼女を虐げていたのも彼自身だというのに。
「貴様は殺すッ!! アイツを好きにしていいのはオレだけだッ!!」
「君には死こそ相応しい、ターシャが来る前に絶対に殺す、――――かかれっ!!」
一人の女を賭けた戦いが、今始まった。
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