第9話 がぶがぶ



 『とばりの王』を知ったニカ達の反応は、ターシャの予想外だった。

 流石に恐怖し、遠巻きにされると思ったのだが。

 彼らは先ずパースを救った事に感謝し、これで皇子の生存に一歩近づいたと喜んだのだった。


 また、パースの大らかな気風が彼らに同調したのか。

 巨人での旅は子供の様にはしゃぎ、たった数十歩しか歩いていないと残念がったのである。

 そして辿り着いた帝都の隣町、彼らが忙しく仕事に戻る中、二人は一番高級な宿屋の一室にて。


「…………」


「…………」


 豪華な寝台の上で、向かい合って座っていた。

 パースにしては、話し合う必要があると思っていたが。


(何でこうなってるのかな? 二人っきりの方が良いとは思ったけど。…………まさか誘われてる?)


(あらためて、となると少し緊張するわ。――でも、勇気を出さないと)


 だが馬車の中で痛感したが、ターシャの教育には偏りがある。

 性知識はあるようだが、情緒教育にはとても不安が。

 そんな彼女が、体を重ねる行為を求めるのだろうか。


「話をしますわパース」


「そうだろと思ったけど、なんでベッドの上?」


「今日は色々あったので、疲れてると思ったのですが……お風呂の方が良かったですか?」


「なんでお風呂なのっ!?」


「王国に居た頃、部下達がそんな事を言って水浴びしている所を見たのです。でも貴男の体の事を考えると水浴びよりお風呂を、でもわたしも乙女ですので……」


「ああいや、わかった。僕から切り出せば良かったね」


「何か間違いがございまして?」


「うーん、帝都に戻ったら。皇太子妃として色々学んで貰う予定だけど、その時に教育係に聞いてね?」


「はぁ……」


 腑に落ちないと首を傾げつつ、ターシャは頷いた。

 非の打ち所がない淑女としての仮面は被れるが、教育が足りていないというのは自覚があるからだ。


「さて、何から話そうか。僕らはまだ知り合って一週間もたってないからね」


「先ずはわたしから謝罪を、――申し訳ありませんわパース。契約を結んだというのに、貴男の事を何処かで信じておらず、歩み寄る事もしなかった」


「それを言うなら僕もかな、君に好きだと伝えて、触れられる事にのぼせ上がって。大事な事を隠していたし、君の事をちゃんと知ろうとしていなかった」


 彼の言葉に、ターシャは痺れる様な想いと苛立ちを感じた。

 正面から向き合ってくれている、理解しようとしてくれている。


(どうしてパースは、わたしが本当に欲しかった物をくれるのかしら)


 心に暖かさが灯る、だからこそ許せない事が一つ。

 それは、こうして二人っきりで話したかった事で。

 彼女はおもむろに、彼の手を取って己の胸に誘導する。


「……ターシャ?」


「分かりますかパース、わたしは今……怒っています」


「君の暖かさと胸の柔らかさは理解出来るけど……え? 怒ってるって言った?」


「はい、とても怒っています」


「貴男が、命を諦めている事に」


「……それは、一応あの時に謝ったよね」


「ええ、ですが。パースにはもっとわたしの事を知って欲しくて」


 その少し震えた声色に、パースは静かに頷く。


「聞かせて。君は何をあの時、何を思ったの」


「……苛立たしかったのです、嬉しかったから」


「どういう事だい」


「わたしは貴男の事を、ただの契約者にしか思っていませんでした。そして貴男も王国と同じでわたしを道具として見ているのだと、何処かで思っていました」


「まぁ、あんな所でいきなり求婚して、一目惚れだって信じる方がどうかしてるよね」


「ええ、だからこそ……あの時にわたしを逃がそうとした事、とても嬉しかったですわ。――そんな人、初めてでしたから」


 ターシャは続ける、衝動のままに言葉を紡ぐ。

 もっと、もっと知って欲しい、と心の赴くままに。


「わたしの力を見誤った事、それは此方にも責があります。だから」


「嬉しくて、でも苛立たしかった?」


「それもあります、しかし一番は……貴男が命を諦めていた事。いいえ、今も諦めている事」


「…………犯人が見つからない以上、僕は確実に死ぬ、君が刺客から守ってくれても……死ぬんだ」


 寂しそうに微笑むパースに、ターシャの苛立ちは増した。

 こんな感情は初めてだった、命じられるままに殺してきた彼女が、自分以外の誰かの命を惜しむなど初めてだったからだ。

 ――――彼女は、殊更に微笑んで。


「ふふっ、その態度が嫌なんですパース。わたしには非常に不快です」


「でも、仕方なくないかな? それとも君が何とかしてくれるとでも?」


「出来るとは言いません、わたしには暴力という手段しかありませんから。……でも、貴男が諦めたら、誰が貴男の命を救えるのですか?」


「今更だよ」


「ですから、わたしは考えたのです。――パースの心に踏み込もうと。拒否はしませんわよね? だってわたしは貴男の妻となるのですから」


 そう言って、ターシャはパースを押し倒す。

 有無を言わさず、彼の手と足を闇で縛って。

 感情を重視するあまり、自分が何をして、何を口走っているか冷静に判断出来ずに。


「はいっ!? ちょっとターシャっ!?」


「だいたい、わたしが好きだと言うならば何としてでも生き延びるのが筋ではありませんか?」


「だ、だから契約でも妻にしようと――」


「――足りません、ええ、足りないですわパース。もっと命に執着して貰いませんと。……わたしが貴男の好意に答えるかは別として」


「そこは答えるって言ってっ!?」


「本で読みましたわ、こういう時に答えると満足して死んでしまいそうですもの」


「なまじ当たってそうだから、反論出来ないっ!? というか本当に何をするのさっ!?」


「――――噛みます」


「はい? 噛む? 噛むって言ったの君?」


 にこやかに出された言葉に、パースの顔はひきつった。

 彼女の空虚な筈な仮初めの笑顔が、妙に意地悪く感じる。

 紫の瞳が、ギラギラと怪しく輝く。


「体を重ねるなんて、はしたない事は出来ませんわ。そもそも、その手の知識は不十分ですので裸で何かをするぐらいしか知りませんし」


「………………あー、今から実地で教えてあげるから放してくれない?」


「ふふっ、帝都についたら教師がつくのでしょう?」


「しまった……、というか何で噛むのさ」


 するとターシャは、楽しそうに微笑んで。


「だってキスはした事がなくて恥ずかしいですから、ですので噛み痕を残そうかと思いまして」


「そっちの方が何か恥ずかしくないっ!?」


「そうですか? でも原始的で分かり易いと思うのです」


「な、何が?」


「わたしの決意を、――わたしは貴男を諦めない。貴男の命を諦めない」


 次の瞬間、ターシャはパースの腕をがぶっと噛んだ。


「痛ったぁっ!? 本当に噛んだね君っ!?」


「――――ふふっ、貴男が命を諦める限りわたしは噛みましょう。そして噛み痕が消えない内は貴男も諦めないでください」


「……………………それって、これからも噛むって事?」


「はい、それから今日はもっと噛みます。――ええ首筋なんて噛み痕があったら、夫婦らしいのかもしれませんよ?」


「流石にそれは僕が恥ずかしいんだけ――――っ!? いやもうせめて僕にも君を噛ませてよっ!? 結構痛いんだけどっ!? ねぇ聞いてるっ!?」


「…………意外と疲れますのねコレ」


「なら続けないでよっ!?」


 がぶがぶ、がぶがぶ、指に腕に肩に首筋に。

 果ては耳に差し掛かった時、ばたんとドアが開いて。


「――――殿下っ! 何事で…………」


「ああっ、助かったよニカ! 君からもちょっと説得して欲しいんだ!!」


「ニカ? 申し訳ないのだけれど、もう少し二人っきりにして欲しいの。今、パースが命を粗末にしないように説得していますので」


 皇子の忠実なる筆頭騎士は、二人の体勢にまばたきを一つ。

 そして神妙に頷くと、扉を閉めながら。


「…………ふむ、それは喜ばしい事ですな。私からも頼みます、――――殿下、特殊な趣味を押しつけるのも程々に。殿下との婚姻を受け入れてくださった貴重な女性ですぞ? ではごゆっくり」


「ニカっ!? ちょっとニカっ!? 僕を見捨てる訳っ!?」


「という訳で、これは彼らの分まで噛まないといけませんね。……脱いでくださいましパース、服が邪魔です」


「うおおおおおおおっ! 唸れ僕の筋肉! それだけは阻止するんだあああああああ!!」


 その日、夕食に呼ばれるまで部屋は騒がしく。

 次の日、我に返ったターシャは馬車の中で恥ずかしそうにし。

 帝都に着くまで、パースの顔を見れなかった。

 そして。


「開門! パースリィ殿下のご帰還だ!!」


 馬車は帝都の中を進み始めたのであった。




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