Gold can Stay #12

 テレビの天気予報なんかでよく見かける江ノ島の姿にひのでは興奮し、写真を数枚撮ってクロッキー帳を出した。ざっと描き終え周囲を見渡すと人混みに三郷が突っ立って手帳に絵を描いていた。きっと自分と同じように橋の入り口から見た江ノ島を描いている。ひのでが覗き込むと三郷は手帳を隠した。

「下手だから見ないで」

「上出来上出来」

 退屈しのぎだとしても三郷が筆を取ったことに頬が緩んだ。

 ライバルが増えるのは困るけれど人間はもっと気軽に絵を描くべきだとひのでは考えている。下手でも上手くても構わない。美術科と音楽科。専門は違えど創作意欲は移るのだと確信し、しめしめと喜んだ。  


 橋を渡る。まずは腹ごしらえだ。せっかくなのでしらす丼を食べられる店を選びしばらく列に並んでようやく朝食と昼食にありつけた。

「僕、行ってみたいところあるんだ」

 ひと先早くしらす丼を食べ終えた三郷が観光パンフレットを広げた。

「ここ、岩屋。洞窟みたい。深川君は暗いところ大丈夫?」

 最後の一口をもぐもぐ噛んで飲み込み、ひのでは返答する。

「大丈夫だと思うけど」

 ひのでは昔から一人でお化け屋敷に入ることができる子供だった。作られた恐怖が好きであった。自然にできた洞窟はどうだろうか。観光地なら不安に思うこともないだろうと承諾した。


 岩屋は地図で見るより遠かった。長く続く階段が食後の運動になったようでひのでの左の横腹が痛み出していた。このことは三郷に伝えなかったが途中で猫の写真を撮ったり土産屋を覗いたりゆっくり歩いたおかげで悪化することはなかった。

「深川君、あれ見て!富士山かな?」

「おお…富士山だ…」

 階段を上りきって海の向こうの存在を眺めた。天気がいいと学校からでも見えるが見え方は頭抜けていた。

「やっぱ本物はでっかいなぁ」

「昔、岩屋の洞窟の奥と富士山のどっかが繋がってるって聞いたことある」

「ええ?本当かよ」

 目で確認できる範囲に富士山はあるが流石に距離がありすぎるだろうとひのではその話を信じなかった。そしてここでも写真を複数枚撮っておいた。


 入場料を払ってパンフレットを渡される。壁に歴史や自然について説明が書かれているパネルがかけられていた。三郷が真剣に読んでいるようだったのでひのでもざっと目を通す。徐々に涼しくなってきた。

 第一岩屋への分かれ道を進んで行くと随分暗くなり案内人に蝋燭を手渡された。

「なんか未開の地への冒険みたいだね」

 満員電車のように混雑はしていないものの自分たちの他にも人はいるし照明もあるので蝋燭は必要ないだろうとひのでは思ったが、三郷が楽しそうにしていたので黙っていた。雰囲気作りには小道具も大切だ。

「ほら!深川君!ここが富士山の氷穴に続いてるんだって!」

 三郷が見つけた説明文を読むとその通り書かれていた。柵がありその先には進めない。

「え~?言い伝えみたいなもんだろ~」

「きっと繋がってるよ!繋がってるといいなぁ」

 二人が軽い問答をしていると後ろから大きく高い複数の声が近づいてきた。振り返ると六、七人の集団がいた。年は二人より少し上の大学生くらいの若者だ。聞きたくなくても聞こえてくる彼らの話によれば岩屋にさして興味はないようである。それでいて非常に楽しそうに騒いでいる。

 これにはひのでも不愉快になり三郷を気の毒に思った。二人は何も言わずアイコンタクトを取り第二岩屋もささっと見てすぐに出た。外がとても明るく感じられた。


 その後は花を見たり鐘の音を聞いたりしてしばらく歩いた。心残りはないとお互い確認して江ノ島を出てイタリアンのチェーン店に入る。おやつと夕飯の間の中途半端な時間だった。食事を終えて店を出るとすっかり夕方だ。二人は海辺を歩いた。

 海も空も雲も夕日に染まりかけている。青空が夕と夜に溶けそうだ。ひのでは写真と絵に残そうと考えることもせず目を凝らしていた。陶然としているとシャッター音が真横で鳴った。

「うわ!?びっくりした!急になんだよ!消せ!」

「変な顔してたから」

 珍しいこともあるものだ。三郷がひのでをからかっている。

 向きになりかけたが一瞬で小さい驚きと怒りはどこかへ消えた。笑っている三郷と見事な夕日が追いやった。こういう彼を描きたいとずっと思っていた。自分の手で収める他に映像で残しておきたいとも思った。ふと八㎜フィルムという単語が思い浮かぶ。昔のものだけど、なんだかとてもいいもののように思えた。

 きっといつか思い出す。悲しくて仕方がない日なんかは今日を振り返って尚のこと寂しがりながら慰めにするに違いない。明るさと暗さが混ざった空も、周りではしゃいでる人々の声も、潮の匂いも波の音も、口の中にまだ少し残ってるチーズと卵の味も全部きっかけになるはずだ。

「泳がなくていいからさ、また海来ようよ」

 短い歌を口ずさんだように三郷は言った。海へ行くのにお前は泳がなくていいのかとひのでは疑問を持ったが別の問いを投げかけた。

「いつ?」

「秋とか!文化祭終わった後くらい」

「秋かぁ」

 逆のことを考えるといくらか気分が変わるものだ。

「秋の海。いとをかしだな」

「あはは。風流でしょ」

 空も夜に変わっていた。

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