無口な少女と文芸部の僕
@kinnikusizyosyugi29
第1話 キミ、笑いたまへ
さえない人生を送る大衆。その生き方が、ボクには合っている。ひっそりと、誰に干渉される事もなく、ただ趣味に没頭し、自分の時間だけを生きる。
それが、なんか良かった。
小学生のころから体力に恵まれず、背の順だって一番前。周りはボクに『男らしさ』なんか期待してなかったし、運動会では数合わせ、唯一の見せ場足り得たのは、組体操における一番上のお飾りポジション。
ともすると、これがボクの人生におけるハイライトかもしれない。でも、小学生の頃は楽しかった。みんな、ボクを蔑む事もなかったから。
人生の転機なんて、いつ起こるか解らない。節目ごとの転機なら予測し、かつ対策を取れると主張する人だっているだろう。
こういう手合いに僕は既に辟易し、嫌悪すら感じるようになってしまった。実に手前勝手な言い草だ。
人生の苦汁をなめたこともなく、ただただ日々を安穏と生きている人間に、少なくともボクの、コンプレックスを抱えて生きざるをえない人生の、一体何を理解出来るというのか。
勝手な思い込みで人の深層領域に土足で踏み入るような、未開な野蛮人の如き真似を、ボクは断固として拒絶する。
知った風な口を聞くな。ボクは、ボク自身をすら理解するのに苦悩しているというのに、ボクでもない人間に、いったい何が解るというのか。ボクですら、ボク自身を半分も理解出来ていない。ボクの10%だって、他人には理解出来ないし、出来るという浅薄な戯言に対してボクは聞く耳を持たない。
余人は言う。何が起こるか解らない、だからこそ人生は楽しいのだと。
気休めにもならない詭弁だ。降水確率50%の気象予報ぐらい、無責任かつ当たらない、何だったらボクでも言えそうな、曖昧な予測など人生の航路において役に立つ筈もない。
仮に人生の今後について、全くの不明瞭な暗幕が張られ、その舞台を前にして右往左往するしかない無力な登場人物になったとして、それが果たして楽しいものか。
楽しい筈はない。だって、その様子を人生において達観しているつもりになっている聴衆が、その残酷かつ貪婪な眼(まなこ)でもって、さながらフリークショーを楽しむ気持ちでもって嘲笑しているのだから。
そんな人生が楽しいと言えるなら、悪いが精神鑑定に行くことをお勧めする。
では先行き見えぬ不明瞭な暗幕から、神の啓示とも言うべき奇跡の手が差し伸べられ、その隙間を覗き見る事が出来たと仮定しよう。
その隙間から見る景色が暗澹たる、今以上に惨めな、救いのない悲劇であったら、それは先見の明を与えられた哀れな登場人物に対し、
「良かったな、キミは未来を見る事が出来たんだ」
などと言えるだろうか。そんな無常をボクには出来そうもない。
未来を見るという人生の転機を予期し、以上のような悲劇を回避する為に対策を取るというのが、無難な答えに聞こえるかもしれない。
だが、その答えもまた詭弁である。
採った対策が最良かつ適当な効果を発揮したと、どうやって証明出来るというのか。結果だけが未来に反映されるのであって、採った対策がどうなるかは、現状では解析出来ない。
未知の箱に放り込まれ、当たるも八卦当たらぬも八卦の精神で見守るしかない。現状では対策が奏功するかどうか、半々でしかない。こんな思考実験は使い古された表現ではあるけれど、シュレディンガーの猫のパラドックスそのものであって、思考実験はあくまで思考実験に留めて置くというのが本当のように思われる。
そもそも、ボクは既に神様から見放されているのだから、未来の暗幕を覗き見るなどという蛇にそそのかされたエバのように大それた真似は出来そうもない。
仮に原罪を負う覚悟があったとしても、未来を読み解く果実は智慧であってボクに備わっている筈もなく、ボクは世間の底を這う、さながら蛇の人生を謳歌するしかないのだろう。
ボクの見えない転機は、中学生の時に訪れた。人一倍小さく、気弱なボクはイジメの対象としてはうってつけだった。
物言わぬ、事なかれ主義。
彼らの前でボクは笑った。笑うしかなかった。嫌な顔をすれば、それが彼らの嗜虐心を刺激する。無表情でいれば、不貞腐れていると余計な叱咤を受ける。泣けば笑われる。笑えば、彼らの上機嫌を保つ事が出来た。
惨めだ。ボクは、誰かにイジメられる為に生まれてきた訳ではない。
まして、中学に進学してまでイジメられたかった訳ではない。
でも、どうする事も出来なかった。
哀れなボクは、心の中でのみ復讐を遂げた。イジメている奴らも、どうせ僕と変わらない凡百(ぼんぴゃく)の人生を送り、いつか更なる強者によって理不尽な搾取に憤る日が来る。
その憤りたる私怨の炎は心の底流で燻るばかりで、相手を焼くどころか自分自身の精神を燻製にして感情という水分を飛ばし、終には焼き焦がし無残な残骸だけを残す。
現実の無情に打ち据えられた経験のない彼らに耐えられる筈もない。いつかは解らないが、願わくば、一日でも早く審判の日が訪れて死ね。
卑屈で醜い、ルサンチマンの塊。それがボクの、少なくとも中学時代の本性だった。
ボクの笑顔は自己防衛の仮面だ。仮面を外せば怨嗟の鬼が巣くう荒漠な魔境が広がるばかりで、何もなかった。
いいや、正確には、何もかもが破壊されていったんだ。
悲惨極まるボクの人生に、再び転機が訪れた。それが高校受験。
ボクは、彼らと離れたい一心で、勉強だけは頑張った。もう馬鹿と時間を共有したくない。
もっと高尚な社交場に、ボクを蔑むものの無い新世界に行きたかった。
体力に自信がない分、頭脳で立身出世するしかない。そんな事は、チビの生を嫌々享受せざるを得なかったボク自身が一番解っている。
まだまだ続くであろうボクの人生の中でも、一番の頑張りだったんじゃないか。
トップの大学を狙える程ではないにしろ、馬鹿の入学を拒む敷居はクリアしている。
ボクを知る人間の居ない都心というアクセス。
人生の閉塞感から解放して欲しい。よどんだ瘴気を一新して欲しい。そして、世界からボクを孤立させて欲しい。
ボクは俗世に触れ過ぎた。悪い事に、ボクには俗世が退屈で無意味で、知れば知る程に世間と僕との認識の隔絶に漠然とするだけだった。
得る人生よりも、捨て去る人生がボクには合っている。
そう、思っていた。
一方、これは胸の内に秘めていても良かったのだが、心に思春期相応の期待がまるで無かったかと言えば、嘘になるとだけ吐露しておこう。
都会は、田舎育ちのボクには全てが新鮮過ぎた。そしてまた偏屈な中学生の常識を、軽く吹き飛ばすだけのエネルギーを内包する魔都でもあった。
目に映る全てが、ボクの中には無かったもの。建物も、乗り物も、そして人間すらも。
この魔都を闊歩する人たちの、氷柱(つらら)のように冷たい無関心がボクは好きだ。
田舎にあった村社会の密閉された息苦しさが、ここにはまるでない。誰もが誰も、他人に対して無関心なんだ。
居心地が良かった。これがボクの人生の始まりなんだ、と本気で思った。誰もボクに興味がないけど、その分誰もボクをイジメない。
身体と一緒で心まで狭小なボクは、誰がどう見ても滑稽千万に映るだろう。その嘲りを、甘んじて受けよう。
王には王の、騎士には騎士の、平民には平民の生がある。生まれながらにして覆らない理不尽な楔。架せられた制約を、今更嘆くのは無意味だ。
そして迎えた入学式。平々凡々とした、どこにでもある、でも、ボクが死ぬほど嫌いだった馬鹿はいない。
臥薪嘗胆の気持ちで耐え忍んだ中学生活。今はもう、ボクの心に影を落とす事もない。不要な苦悩から解放されたんだ。
世間的に見られる高校生の青春とは程遠いボクだけど、それでも確かに、ボクの心には清涼な一陣の風が吹いていた。
入学以来、親友と呼べる人間はいなかったけど、孤独舐め合う友達は何人か出来た。彼らの薦めもあって部活を始める事にしたのだが、残念ながら彼らは囲碁部に入ってしまい、神経衰弱ゲーム以外はからっきし駄目なボクは、一人別の部活を探す事とした。
特に熱意があった訳でもない。
気まぐれだとしか言いようがない。
ボクは文芸部に入部する事を決意した。
中学時代は勉強の傍らで、読書の面白さに魅了されたというのも、引きこもりがちなボクの背中を後押しした要因の一つであろう。
その判断は正しかった。いいや、ボクの人生最大のファインプレーは、まさしくこの時の英断だと、生涯変わる事無く豪語する自信がある。
文芸部の一室の片隅に彼女はいた。天使が顕現したら、きっとこの容姿に落ち着くであろう絶世の美少女――そしてボクの価値観を根底から覆すに十分足る威光をもって『機械少女』とあだ名される彼女と、ボクはこの時初めて出会ったんだ。
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