第19話 何も分かってない【上】

「な……何の勉強もしてねぇよ!? 何の勉強をするっていうんだよ!?」


 バッと振り返るなり、幸祈はなぜかムキになってそう言い返してきた。

 何……? なんでそんな必死? しかも……何の勉強をするんだよ、てどういうこと? 勉強机……でしょ。勉強以外にそこで何をするのよ?


「じゃあ……なんで、そんなとこ座ってんのよ? そこで何してたわけ?」


 困惑しながらも訊ねると、幸祈はあからさまにギクリとして、


「何も……!? 何もしてねぇよ!?」


 怪しい――。

 一体、何をそんなに動揺してるの? 何か隠してる? でも、勉強机に知られちゃまずいようなものなんてある? カンニングペーパー……は幸祈に限ってありえない。もしかして、悪い点数のテストでも溜め込んでるとか……?

 よく分からない……けど、まあいいわ。幸祈の部屋なんだし、どこで何をしていようが自由よね。いちいち、突っ込むようなことでもない……か。

 ただ、それなら――何もしてない、て言うなら……。

 ごくりと生唾を飲み込む。

 遠慮がちに彼を見つめつつ、「じゃあ……」とおもむろに言って、ちょろっと布団を捲る。


「こっち……来れば?」

「……は?」

 

 『は?』って……!?

 一瞬にして、ぼっと顔に火がついたみたいに熱くなる。


「べ……別に、ただ……もう夜だし!? これ、一応……あんたのベッドだし!? 入ってきてもいい、て言ってんの!」

「……」


 ああ、もお! だから……きょとんとするな、てば。バカ――!

 何……よ、この空気? なんで……こんな気まずい感じになってんの?

 あれ? もしかして、私……間違った? 変……だった? このタイミングでベッドに来て、て言うの……おかしい? 

 え……でも、付き合ってるし、キスもしたし……? ちょっと添い寝するくらいなら、普通……じゃないの? 別に、その先まで誘ってるわけでもないし。一緒に寝るくらい、カップルならアリじゃないの? せっかく二人きりなのに、一人で寝るの変――ていうか、寂しい……し。おばちゃんたちが寝るまでの間、ちょっとの間だけでも……甘えさせてくれたって良いじゃない。

 なのに、何? 何なの? なんで、固まってるわけ? そんな……困らなくてもいいでしょ!?


「ほ……ほら……だって、そこに座られてると気になるし! ライト、眩しいし! 勉強してないなら、早く電気消して、あんたも休めばいいでしょ!」


 って……なんで、私もこんな必死に弁解まがいなこと言ってるんだ!?


「え、いや……でも、だな……」とようやく目が覚めたかのように口を開いたかと思えば、幸祈は視線を泳がせ、「さすがに……まずいというか……」

「まずい……? 何が?」

「何がって……!? だから、それは……いろいろ、だろ」

「いろいろ?」


 意味が分からない。

 私は小首を傾げつつ、「……なんなのよ?」とぶつくさ言う。


「私と一緒に寝るの……そんなに嫌なわけ?」

「嫌……なわけねぇだろ!?」

「じゃあ、何を迷ってんのよ? さっさと来ればいいでしょ」

「か……簡単に言うな! 無理に決まってんだろ!」

「無理……!?」


 無理って……無理って何!? 何が無理なの?

 なんなのよ? ここまで言ってるのに……なんで、頑なに拒否!?


「もういい! 好きなだけ、そこに座ってれば!?」


 ばか、と言い捨て、私はまた布団にくるまるようにして、ベッドの中に潜った。

 ぎゅっ……と体に染み付いた癖みたいに、胸にハンペンマンを抱きしめ、何よ……何よ……と瞼を閉じながら、心の中で独りごちる。そのまま、幸祈のバカ、幸祈のバカ……と呪詛の如く繰り返していると、どれくらい経ってからだろう、布団のぬくもりと幸祈の匂いに包まれて――今日は朝からいろいろあって、思いのほか疲れていたのか――段々とウトウトとして、ふっと意識が途切れた。

 あれ? 寝てた? ――て次に目が覚めたときには、ギシッとベッドの軋む音がして、すぐ傍に人の気配を感じた。


「――帆波」


 その声は確かに幸祈のもので。頭までかぶった掛け布団の向こうから、くぐもって聞こえてきた。

 そっと囁きかけるような、相変わらず、優しい声。それだけで、胸の奥がくすぐられるようで。キュンと胸が締め付けられ、息が詰まる。

 だから、すぐに返事ができなくて――。


「やっぱ……寝てんのか」


 あ……と思ったときには、どこか確信をもってそう呟く声が聞こえた。


「ほんっと……よく寝れるわ」とため息混じりの呆れ声が続いて、「人の気も知らないで。無防備もここまでくると嫌がらせだよな」

 

 え……? 文句言われてる?

 人が寝ている間に(寝てないけど)何を好き勝手言ってるんだ。ムッとして、なによ!? と布団から飛び出して怒鳴りつけてやろうか、と思った瞬間、


「――俺がどんだけ耐えてると思ってんだ」


 え……と思わず、息を呑む。


 『耐えてる』……?


 ギシリとベッドが再び鳴って、マットレスが沈んだ。


「そろそろ俺も限界だ、ていい加減、分かれよな。マジで襲うぞ」


 自嘲気味に放たれたその一言に、心臓がぼっと火がついたように熱くなる。

 お……襲う? 襲うって……言った? 幸祈が……?

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