両片思い編

一章

第1話 寝たふり【上】

 私には幼馴染がいる。

 物心ついたときから、ずっと一緒にいて、記憶を辿ればいつも隣にはそいつがいた。ガサツで不器用で。バカがつくほど真面目な奴。そして、超がつくほどの鈍感。――だって、毎日のように家に会いに行っているのに、私の気持ちにこれっぽっちも気づく様子が無いんだから。


 今日も帰宅するなり、Tシャツとショートパンツというラフな出で立ちに着替えて、彼の家に来ていた。

 誰もいない彼の家。夕暮れ時で、しんと静まり返ったリビングには橙色の光が窓から差し込んで、暖かなようで、寂しいような……そんな雰囲気が漂っている。

 ソファに座り、ポケットから鍵を取り出す。銀色にキラリと輝くそれは、この家の合鍵だ。子供の頃からウチの両親は共働きで、いつも帰りは夜遅く、彼のお母さんが心配して『何かあったときのために』と渡してくれたもの。

 もう私も高校生。別に、一人で家にいるのも平気だし、スマホだってある。何かあっても、大抵のことは自分でなんとかできる。もう、子供じゃ無いんだから。この鍵だって、返す時はとっくに過ぎている。そんなの、分かってる。

 それでも――。

 それでも、この鍵は……この鍵だけは返したくなかった。


 ぎゅっと鍵を胸に抱き、私はごろんとソファに横になる。


 幼稚園のときから、ずっと一緒だった彼――藤代ふじしろ幸祈こうき

 ぱっと見地味で学校でも目立たない奴。だけど、私は知ってる。重たい印象の長く伸びた前髪の下、私を見つめる優しげな眼差し。ふっと浮かべる笑顔はやけに大人びて色っぽいくらいで。馬鹿笑いすることはなくても、はは、と笑う声は爽やかで心地よく耳に響く。

 帆波――て、彼の呼ぶ声は、どんなときでも……たとえ、私のワガママに呆れ返ったときでさえ、暖かくて慈愛に満ちて。その声を思い出すだけで、鳩尾の奥がきゅうっと締め付けられる。

 ほうっと熱を帯びたため息吐いて、鍵を胸の前で握りしめたまま、瞼を閉じた。


 幼稚園のときから、ずっと一緒だった。これからも、一緒だと信じきってた――のに。

 高校生になって、私と幸祈は初めてバラバラになった。

 私は家からも近い高校へ。幸祈はここから電車で二十分はかかる、学区外の高校に進んだ。

 家も隣だし、偶然、出くわすこともあるだろう。でも……出くわさなかったら、きっともう会えない。

 連絡先は知ってる。会いたい、て連絡すればいい。そんなの分かってる。でも、出来ない。私には出来ない。


 なんで? ――て返ってきたら?

 なんで、会いたいんだ? ――て訊かれたら?


 その問いに正直に答える勇気が、まだ私には無い。

 だから、こうして、この鍵にすがって幸祈の家に上り込むしかないんだ。


   * * *


 ふわりと暖かく柔らかな感触がした。懐かしい匂いがする。

 なんだろう――心地いい。


「腹出して寝てんじゃねぇよ。無防備か」


 吐き捨てるようで……それでいて、やっぱり、優しげなその声に胸がドキリとする。

 幸祈だ。

 帰ってきたんだ――。

 じんわりと胸の奥が熱くなる。

 そっか……とすぐに悟った。体を包み込んでいるこれは、ブランケット。ソファで寝ていた私に、幸祈がかけてくれたんだ。

 ああ、もう……優しすぎ。好き。

 すぐそばに幸祈の気配を感じる。わずかに息遣いが聞こえる。目を閉じていても見つめられているのが分かった。今、幸祈の時間を独り占めしている。その感覚に背筋がぞくりとした。たまらない恍惚感を覚えて、苦しいほどに胸が満たされる。

 だから、もうちょっとだけ、このままでいたくて。この幸せを味わっていたくて。私は瞼を閉じたまま、寝たふりをしていた。

 そうして、どれくらい経ったときだろうか。

 幸祈の息遣いがふいに途切れた。そして、苦しげなため息が聞こえ、


「帆波。いつまで、俺は我慢すればいいんだ?」


 ぽつりと呟く声がして、「我慢……?」と私は思わず、目を開いていた。

 すると、すぐ目の前に、ぎょっと瞠目する幸祈の顔があった。

 ぶっちゃけ、地味――だけど、清潔感のある顔立ち。おっとりとしたお母さんに似て、目元は優しげで、気弱そう……という印象を持つ人もいるだろう。いつも無愛想でぼうっとしていて、爽やか美少年とは程遠く。キラキラしたものとは無縁で、日陰が似合うような奴。達観しているというか、やけに落ち着いていて腹立つくらい。――そんな幸祈が、見たことないくらいに驚愕の色を浮かべて、


「おま……お前、起きてたのか!?」


 裏返った声をリビングに響かせた。

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