第6話 生き物図鑑騒動

 



 

 昼休み。


 教室に男子が集まって騒いでいる。

 裕也が図書館から『生き物図鑑』を借りて来たらしい。

 めったに本を読まない裕也にしては珍しいことだった。

 

 ボスの譲治が興奮して叫んでいる。

「すんげえ。こいつの顔を見てみろよ。こんなツラして、よく生きていけるよな」


 親友の春花と窓際にいた藍子は、心臓の音が聞こえるほどドキッとした。

 胃の底から湧き上がって来た酸っぱいものが、口のなかに広がっていく。


 男子グループの笑い声がどっと弾けた。

 裕也がもったいぶった口調で追随する。


「そういえば、アンコウって魚、だれかに似ていねえ?」

 みんなの視線が藍子に突き刺さる……ような気がする。


「アンコウ目アンコウ科。平べったい身体に大きな口を持った、お魚さんでーす」

 ひと区切りずつ読み上げるたびに、譲治の一味のはしゃぎがふくらんでいく。


「おおっと、あぶねえ。みんな気をつけろよ、こんなことも書いてあるぜ」

 すっかり気をよくした裕也は、ますます図に乗って意気揚々とつづける。


「アンコウは水深100メートルほどの海底に棲んでいて、あまり動きませんが、餌になりそうな小魚が近づいて来ると、大きな口の上の部分をひらひらさせて巧みにおびき寄せる習性が……ひぇー、こえー。まるでだれかみたいじゃないっすか」


 こういう場面での裕也の役者ぶりといったら、まったく大したものだった。

 ここ一番の毒舌に大いによろこんだボスの譲治は、興奮のあまり60キロはありそうな巨体をゆっさゆさと揺すぶり、奇声を上げながらゴリラダンスまで始めた。


 ボスの上機嫌に舞い上がった裕也は、ますます得意満面の小鼻をひくつかせる。

「顔がグロテスクなので、そのままでは買い手がつきません。なので、ふつうは身や内臓をさばいてパック詰めにし、100グラム300円ほどで販売しています」


 果たして、いっせいに嬌声きょうせいがどよめく。

 お腹をよじって転げまわる者までいる。


「煮ても焼いても食えないやつも、パックに詰めれば買い手がつくんだってよ~」

 とどめを刺すような裕也のブラックジョークに、教室の興奮は最高潮に達した。


 騒ぎを聞きつけ、ベランダにかたまっていた女子のグループまで集まって来た。


「なになに、なんのこと? だれかに似ているって、まさか、あたしのこと~?」

 甘ったるく鼻にかかった声は、アイドル系の顔立ちが自慢の麗羅れいらである。

 肩にかかる髪を振り払い、まばたきもせず、じっと裕也の目をのぞきこんでいる様子が、うしろ向きでうつむいている藍子にも、手に取るようにわかってしまう。


 黒目がちな大きな瞳で見つめられると、大方の男子は、どぎまぎして赤くなる。

 そのことをよく知っている麗羅は、ここという場面で存分に効果を発揮させる。


「いやいや、とーんでもないっすよ~。やだなあ麗羅さん、冗談がきついっすよ」

 細い目を無理に見開こうとするあまり、へんてこな三白眼になっている失態にも気づかず、大げさに手をひらひら振り、弓なりにのけぞってみせる裕也のど阿呆。


 そこへ割って入って来たのは、やっぱり譲治だった。

「麗羅のことなんか、だれも言ってねえよ。それよかさ……な、わかるだろう?」


 照れくさそうな訛声は麗羅に、つづいて藍子に向けられる。

 くすくす……棘のある含み笑いがクラス中に広がっていく。


 八方を敵兵に囲まれた兵士のように、藍子は進退きわまって立ち尽くした。

 藍子のとなりで、同じく顔色を青ざめさせた春花が黙って下を向いている。


 おとなしい性格の春花は、こういうとき、即座に言い返すことができない。

 藍子のそばに立っていることだけが、いまできる精いっぱいの抵抗だった。


 譲治のグループに絡まれ、麗羅を筆頭にした女子グループの視線にも耐えて藍子の横に立っていることがどれほど勇気のいることか、藍子にもよくわかっていた。


 わかってはいるが、だけど……と藍子は思ってしまう。

 

 ――春花だって、お雛さまみたいに可愛らしい顔立ちをしているじゃないの。


 こんな顔に生まれたわたしの気持ちなど、絶対にわかるはずがない。

 気の毒に思っている? かえって傷つくだけの同情なんかいらない。

 いや、それどころか、お腹のなかでは馬鹿にしているにちがいない。

 

 上履きの爪先を見詰めた藍子は、女子としてはいかつい肩を堅く尖らせていた。

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