オトナになるの
「やれやれ。涼の奴、案外と抜けてやがんだよな」
涼から連絡を受けた紘也は、ヒョイとコンソールに向き直り、あるソフトを起動させた。すると、地図の上を赤い光点が点滅している画面が表示された。
「ん? ……何だ、もうすぐここに来るんじゃねぇか」
モニターには、いま自分が居る大学のキャンパス内の地図が映し出され、光点は徐々に紘也の居る地点へと近付いて来ていた。そう、これはイリサの体内に内蔵されたGPS発信機からのデータを反映したもので、彼女の現在位置を示すものだったのだ。尚、イリサはこれまでの訪問で入館方法を覚えていたのか、守衛のチェックはパスできたようだ。
「ほぉ……俺に直談判、か。恐れていた事が起こった、って奴かな?」
先刻の涼からの報告によって、イリサは今、自分の出生の秘密を知ってショックを受けているらしい……という事が分かっていた。なお、紘也の存在は、普段のメンテナンスの時には『お医者さん』という事にしてある。だから彼女は、紘也の事を『先生』と呼んでいた。が、その呼び名もこれで終わりかな……紘也はそう思っていた。
「……せんせい……」
「来たな。涼が心配していたぞー? ダメじゃないか、勝手に……おいおい、靴も履かないで……」
イリサは、白と黒のロリータファッションのまま、靴を履かずにハイソックスをボロボロにして、ここまで歩いて来たのだ。寂しげに俯きながら、裸足で歩くロリータガール……一部のマニアに見付かったら、即、確保されてしまう事間違いなしの絵面であった。
「一体、どうしたんだ?」
「イリサをつくったのは……せんせいなの?」
「……!! ああ、そうだ」
「おねがいなの! イリサを、オトナにしてほしいの!」
「は!?」
その突拍子な申し出に、流石の紘也も間抜けな声を出してしまった。
「……からだが大きくならないなら、おおきなからだと……とりかえてほしいの」
「大人になって、どうしたいんだ?」
「お兄ちゃんと、ケッコンしたいの……」
「……!!」
やれやれ、コレは予想以上に厄介な問題だなぁ……と、紘也は頭を抱えた。
「おねがいなの……イリサはオトナになりたいの……」
その台詞を聞き、ふぅっと息をついて、紘也はイリサに諭すように言い聞かせた。
「……イリサ、良く聞きなさい。君が、涼の……妹の代わりに造られた存在だ……って事は、もう知ってるね?」
「うん……」
「死んだ女の子ソックリに、君の身体を作ったのは確かに僕だ。けど、それ以上の事は、僕には出来ないんだ」
「…………」
悲しそうに俯いたまま、イリサは次の言葉を待った。
「僕らが『命』を創る神様には成れないように……君も、『命』を持った人間に成る事は……出来ないんだよ」
「……!! 分かるの……でも……でも……」
「……でも?」
「イリサは……イリサは、お兄ちゃんが好きなの!!」
そう言ってポロポロと涙を流しながら、イリサは紘也の膝元に縋りついた。彼女の悩みは本物のようだ。
(参った……涙を流すギミックは失敗だったな。こりゃ男殺しだわ)
しかし、このままでは事が丸く収まるとは思えない。何か答えを導き出さないと……と、紘也は思考を巡らせた。
「……イリサ、君と涼は、兄妹だよね?」
「うん」
「兄妹でケッコンしたら、お巡りさんに怒られちゃうんだよ?」
「……!?」
紘也は、イリサにも分かる言葉で説明を施した。そしてイリサは、目を丸くして驚いた。どうやら本当に知らなかったらしい。
「……だからね? 君の身体をオトナにしても、涼とケッコンは出来ないんだよ」
「……そうなの……」
イリサは益々、ガクッと肩を落として落ち込んだ。だが、ここで話は終わりではなかった。
「ケッコンできなかったら、イリサは涼を嫌いになる? あと、かなみお姉ちゃんも」
「ううん、キライにならない。お兄ちゃんとお姉ちゃんは、大好きなの」
「いい答えだよイリサ。ご褒美に、身体はダメだけど……心をオトナにしてあげよう」
「……ほんと!?」
「ああ、嘘はつかない」
その回答を聞いて、それまで失意のどん底にあったイリサの目に、輝きが戻った。
(少し、狡いやり方だったけど……ま、仕方ないか……)
内心でコッソリそう思いながら、紘也はイリサの『心』を成長させてやる事にした。
「おっと、その前に……」
と、紘也は携帯電話を取り出し、涼に連絡を入れた。
「もしもし、紘也さんですか!?」
「おー、俺だ。イリサな、来たぞ」
「ホントですか!? 怪我とかしてませんか? 無事ですか!?」
「落ち着け、大丈夫だ。ハイソックスがボロボロに汚れてるけど、他は無傷だ」
「良かったあぁぁぁ……」
電話の向こうで心の底から安堵している涼の声を聞いて、紘也はやれやれと肩を竦めた。そして、手招きしてイリサを呼び、受話器を持たせると、謝っときなさいと一言添えた。
「お兄ちゃん……ごめんなさいなの」
「イリサ!? ダメじゃないか、勝手に出て行っちゃ……心配したんだぞ!!」
「もうしないの……ごめんなさいなの」
「ううん、いいんだ。お兄ちゃんも、ごめんな。イリサに酷い事を言って……」
「いいの。イリサはこれから、オトナになるの」
「……は!?」
涼が素っ頓狂な声を上げて驚いたタイミングで、紘也がイリサから電話を取り上げて通話を代わった。
「もしもし? 今、イリサが言った事だけどな……」
「紘也さん、もしかしてイリサを改造するとか!?」
「落ち着け。どうやら、心に大きなダメージを負ったようだからな。少しデータを弄るんだよ」
「記憶を消去する……とか?」
「そんな事はしない。ただ、言語アルゴリズムを書き換えて、精神年齢パラメータも修正する」
イリサに施すアップデート内容を、紘也はサラッと説明したつもりだったのだが、聞いている涼には魔法の呪文のようなものであり、理解する事が出来なかった。
「も、もう少し分かりやすく……」
「いいから、深く考えるな。とにかく、少し時間が掛かるからな。今夜は帰せない。明日、迎えに来てやれ」
「わ、分かりました……よろしくお願いします」
「ん。どうせ、かなみ嬢もそこに居るんだろ? 一晩空けてやるから、仲良くやんな!」
「紘也さんっ!!」
恐らく電話の向こう側で真っ赤になっているであろう涼の様子を想像し、紘也はカラカラと笑って通話を切った。この辺は至って普段通りのやり取りであった。
「どうしたの?」
「何でもないよイリサ。さ、洋服を脱いでそこに寝て。きれいな服が、シワになっちゃうぞ」
「ダメなの。だいじなお洋服なの」
「……あ、パンツは脱がなくていいぞ」
「わかったの」
イリサが半裸になって作業台に寝転がったのを確認すると、紘也はイリサの両肩のスイッチを押して電源を落とした。そして、まず裸足で歩いてきた事による足の裏の皮膚の損傷をチェックし、汚れていただけなのを確認してから、頭部のコネクターに複数のプラグを差し込み、コンソールを叩いた。
「ふぅん……短期間で、良くここまで育てたもんだ。これじゃ、このパラメータでおっつく訳がないわ……全部書き換えなきゃダメだな」
と、紘也はイリサが吸収した知識や感情パターンなどを解析し、膨大かつ複雑なデータをプログラムが処理しきれなくなっていた事を突き止めた。が、これはパラメータを書き換える事により解決できるようである。尤も、その作業だけで軽く数時間を要するのだが。
「さぁて……やるか!!」
指をパキパキ鳴らして、紘也は本格的にコンソールを叩き始めた。こうなった彼は、まさに超人の域に達するのであった。
* * *
一方、イリサの行方が分かって安心する傍ら、紘也に『かなみが一晩泊まる』という図星を衝かれた涼は、それまでとは違う意味で狼狽していた。
「どうでした!?」
「あ、うん。紘也さんの処に居たよ」
「そうですか、良かった!!」
「う、うん。良かった」
「……?」
イリサが見付かって、良かったと喜んでは居るが、何か落ち着かない感じの涼を見て、かなみは怪訝に思った。
「どうか……なさいました?」
「いや……イリサ、少しメンテナンスするんで、今夜は帰せないって……」
「……!!」
その返答の意味を瞬時に理解し、かなみもポッと頬を染めた。イリサが帰宅しないという事は、つまり……
「…………」
「…………」
「い、イリサ、オトナになるー……とか言ってたよ?」
「オトナに? ……外見が変わるんでしょうか?」
「いや、中身のプログラムに変更を加えるみたい。よく分からなかったけど」
「そうですか……」
会話をして雰囲気を変えようと試みた涼だが、そんな生半可な事で、この高揚感は払拭できない。ここは自分がエスコートして、一段ステップを上がるべきなのかな……と悩んでいるうちに、かなみの方から涼に擦り寄ってきて、その時点で答えは出た。
「あ……お客さん用の布団……無いんだけど」
「……一組あれば、充分ですわ」
互いに惹かれあっている男女が一晩中おなじ部屋にいて、『何も起こらない』という事はまず無いだろう。増して涼は、かなみの出現によって女性恐怖症を克服したばかりで、そういった事に対して強い興味を示すようになっていたのだ。その夜、何があったかは……まぁ、敢えて語るまい。
* * *
翌日。イリサを迎えるため、涼は大学へと足を運んだ。その隣には、前夜に彼の家に泊まったかなみの姿もあった。
「オトナになる……って、一体どういう意味なんだろうね?」
「さあ……?」
かなみが大学まで同行したのは、イリサが最後に残した一言の謎を突き止めるためだった。彼女がここに来るのは初めてではないが、イリサがどのように変わったのか……それが気になって仕方が無いのだろう。興味を惹かれてワクワクする気持ちと、純粋に心配する感情とが互いにせめぎ合って、落ち着かない感じであった。尤も、それは涼も同様だったのだが。
「紘也さん! イリサは……?」
「おー、早かったな。お嬢さんも、よく来たね」
「お、おはようございます……」
「はは……心配すんなって。ホレ、イリサはそこに寝てるから、起こしてやれよ」
と、作業台の上に、簡素な病衣を着た状態で寝かされているイリサの姿が目に入った。昨夜のロリータファッションは、ハンガーに掛けられていた。残念ながら、ハイソックスだけは欠損していたが。
「イリサ……!」
いつもの要領で、涼はイリサを目覚めさせた。が、次の瞬間、彼は面食らう事になった。
「……ン……! あ、お兄ちゃん! 昨日はゴメーン、ちょっとショックでさ。あ、かなみちゃんも、おはよー!!」
「い……イリサ!?」
昨日までのイリサとはあまりにも違う喋り方に、涼とかなみの二人は驚きを隠せなかった。イリサは、それまでは片言でしか喋れなかった言語能力を修正され、精神年齢も外見相応に直されていた。つまり、明るく元気な女の子そのものに『変身』していたのだった。
「ず、随分イメージ変わったな?」
「アハハ! でも、こっちの方がちゃんと喋れる感じ! ……お兄ちゃん、こんな私は嫌い?」
「いや、そんな事は無いよ。ただ、あまりに変わったんでビックリしただけで……ね、かなみちゃん?」
「ええ……一晩で、随分変わったものですわね?」
イリサの変貌振りに、二人はただ目を丸くして驚く事しか出来なかった。
「パラメータを全面的に書き換えて、言語アルゴリズムも少々更新した。これで彼女は、外見相応の言動をするようになった筈だ。イメージが極端に変わったのは、今までに蓄積されたデータ量が半端なかったって事さ」
「お兄ちゃん、お姉ちゃん! 昨日はちゃんと済ませた? 折角留守にしてあげたんだし……まさか寝てただけ、って事は無いよね?」
イリサが発したその一言に、涼とかなみはすっかり真っ赤になり、面喰らっていた。
「紘也さん……外見相応をかなり越えてると思うんですけど」
「パラメータは正しいぞ。おかしいとしたら、データの内容が設定年齢より上を行ってるって事だ」
涼の追及を受けた紘也は、ニヤリと笑いながら回答した。が、それを聞いたかなみは、思わずポッと頬を染めた。
「し、知りません!!」
その様子を見て、イリサと紘也は声をあげて笑い、涼は苦笑いを浮かべた。ともあれ、こうしてイリサは外見相応の『心』を与えられ、完全な『入沙の生まれ変わり』と言っても差し支えのない存在となった。強いて言えば、入沙に比してイリサの方がアクティヴな言動をするという違いはあるが、そんな事は最早、問題にもならなかった。
涼と結ばれる事は永遠に無いと悟り、その上で、今まで以上に人間に近い『心』を得たイリサが、果たして幸せになれるのか……それは誰にも分からなかった。
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