にんげんじゃ、ない?

「さ、着いたよ。ここが、お墓のあるところだよ」

「広い……」

 さながら、公園のような広い敷地に設えられた墓苑。それゆえに、お寺の墓地のような気味の悪さや辛気臭さは少ない。夜中に訪れるのは流石に遠慮したい所だが、こうした日中の時間帯であれば、気軽に来られるくらいの雰囲気である。涼は正面入口付近の売店で線香と花束を買い、桶に水を汲んで、両親と入沙の眠る墓の前へと歩を進めた。

「これが、おはか……?」

「そうだよ。ここに、お兄ちゃんのお父さんやお母さんが眠っているんだ」

「この中で、寝てるの?」

「んー、寝てるわけじゃないんだけど……まあいいや、後で説明するよ。さ、お墓をキレイにしよう」

 そう言って、カバンに入れて持って来たスポンジで墓石をこすり、柄杓で天辺から水をかけて汚れを洗い流した。そうしていると、段々としんみりとした気分になって来る。その後、墓石の周りの落ち葉やゴミを拾って、持参したビニール袋に入れた。こうした場所には屑篭が無いため、このような配慮が必要になるのだ。

「さ、イリサ。ここにお花を飾ってくれるかな?」

「うん」

 小さな手で、イリサが渡された花束を2箇所の花生けに立てた。そして、涼が線香に点火している間に、彼女は墓石の横の墓誌に目をやり、しげしげと眺めていた。

「どうした?」

「ここ、何が書いてあるの?」

「ああ、このお墓で眠っている人の名前だよ」

「ふうん……この人はなんていうの?」

 そう言って、彼女が指差したのは、一番左端に書かれた名前。なかなか火がつかない線香の束に夢中になっていた涼は、ついうっかり、その名前を読み上げてしまった。

「それは『いりさ』って読むん……!!」

「『いりさ』……? イリサとおなじなまえ……?」

 しまった! と思った時には、もう遅かった。イリサは自分と同じ名の人物が居るという事に注目してしまっていた。

「イリサ、しんじゃったの? うごかないの?」

「ち、違うんだイリサ。同じ名前だけど、イリサじゃなくて……」

「お兄ちゃん、何かかくしてる……このごろ、そういうかおする……おおくなった……」

「う……そ、それは……」

 純粋な目を向けられ、涼はもはや隠す事はできないと悟った。

「……その子はね、お兄ちゃんの妹だった女の子だ。イリサがお家に来る少し前に、死んじゃったんだよ」

「どうして、イリサはその子とおなじなまえなの?」

「お家に帰ったら説明するよ。今は、お墓にお祈りするんだ。ホラ、こうして手を合わせて……そうそう」

 来るべき時が来てしまった……しかも、自分の手でその時を早めてしまった……と、涼は自らのミステイクを心底から後悔した。重苦しい雰囲気が漂う中、二人はもと来た道を引き返し、家路に就くのであった。


* * *


「ホラ、この子が『入沙』だよ」

「……イリサのしゃしんじゃないの……?」

「違う。死んでしまった、人間の『入沙』だよ」

 生前の入沙の写真を見せて、涼はイリサに説明をした。普通なら、アルバムを開く時というのは楽しい雰囲気である場合が多い。だが、こんなに重苦しい気持ちでアルバムを開くのは初めてであった。

「にんげんの……? イリサはちがうの? にんげんじゃないの?」

「…………」

 その問いに、涼は答えられなかった。が、その沈黙は、イリサの問いが正しい事を物語っており、彼女もそれを感じ取っていた。そして彼女は、そういえば自分は、皆とは少し違う……という事に段々と気付き始めた。

「イリサは、お兄ちゃんたちが食べてるごはんを食べられない。お水の中でもくるしくない。汗もでない……」

「……もう止めてくれ、お兄ちゃんが悪かった。全部話すから、頼む……やめてくれ」

 自分と『人間』との差異を列挙するイリサの言葉に耐えられなくなり、涼は遂に自分から説明を始める決心をした。イリサを自分達と同じ人間として扱い、彼女自身の身の上を説明しなかった事が、こんな辛い結果として返ってくるなんて……と、彼はつくづく後悔していた。

「イリサ、君は人間じゃない。アンドロイド……簡単に言うと、機械で作られた命なんだ」

「イリサは……きかい? にんげんじゃ……ない!?」

「そうだ。だから、病気になったり、怪我をしたりする事はない。ホラ、イリサはお湯をかけられても、熱いって言わなかったでしょ?」

「うん……」

「その代わり……お兄ちゃんやかなみちゃんのように、身体が大きくなる事も……ないんだ」

 涼がそこまで話すのを聞くと、イリサは黙り込んでしまった。その後、涼は何故イリサが『入沙』と全く同じ容姿をしているのかという、その理由についても説いて聞かせた。そして彼女はトボトボと隣室に姿を消し、ボンヤリと窓の外を眺めていた。

(こんな思いをするなら、最初から『君はアンドロイドだ』と言い聞かせながら接していれば良かった……)

 後悔ばかりが彼の心を占領していった。だが、もう……どうしようもない事だった。


* * *


「こんばんは」

「……やあ、かなみちゃん。いらっしゃい」

「どうしたんですの? お顔の色が優れませんけど」

「う、うん。実はね……ここじゃまずい、ちょっとドアの外へ……」

 涼はかなみと一緒にドアの外に出て、今日あった事の顛末を話した。

「まあ……それでは、今まで良かれと思ってしてきた事が、裏目に?」

「そうなんだ。あの子、すっかり傷ついてしまってね」

 涼はそう言った後、ガックリと肩を落とした。そんな彼を見て、かなみは最初、掛ける言葉に窮していたが……やがて彼の手を握り、優しく語り掛けた。

「涼さんまで沈み込んでは、いけませんわ。イリサちゃんも、今はショックでしょうけど……きっと分かってくれますわ」

「そ、そうかな……そうだよね、うん」

「さあ、今日はシーフードパスタとサラダの予定ですの。美味しく作りますわよ」

「へえ……じゃ、お手並み拝見、かな。ピンチになったら言うんだよ」

「もう! その事は言わないで下さいませ!」

 気丈に笑みを作る涼を盛り立てる為に、かなみはわざと大袈裟に拗ねてみせた。

「……ありがとう、かなみちゃん」

「あら、まだお料理は出来ていませんわよ?」

 彼女は悪戯っぽく笑って、わざと話題の焦点をずらしていた。こういった気配りが上手な所も、彼女の褒めるべき点であった。

「イリサー、かなみお姉ちゃんが来てくれたよ。イリサ?」

 隣室に呼び掛けても、返事が無い。怪訝に思った涼は、そっと部屋の入り口から室内を覗いてみた。すると……

「……イリサ!?」

「ど、どうしたんですの!?」

「イリサが居ないんだ!! さっきまで、確かにこの部屋に居たのに……」

「え!?」

 室内はもぬけの殻で、窓が大きく開かれ、カーテンがパタパタとはためいていた。そう、イリサは涼とかなみが戸外で話をしている間に、窓から抜け出していたのだ。

「馬鹿な……まさか、ショックのあまり、家出を!?」

「そんな事……とにかく探しましょう、まだ遠くへは行っていない筈ですわ!!」

「そうだね……」

 すっかり青ざめてオロオロする涼を、かなみが取り成した。が、彼は自分の仕出かした事の重大さを、今になってひしひしと感じていた。

(イリサ……早まらないでくれよ!!)

 二人は大きな声でイリサの名を呼びながら、近隣を探し回った。が、彼女の姿は何処にも無かった。

「一体、何処へ……」

 と呟いた所で、涼はある事を思い出した。

「もしかして、紘也さんの処へ……?」

「え!? でも……」

「イリサには、イザという時のために、大学前までの運賃を財布に入れて持たせてあるんだ。俺に何かあったら、ここを尋ねるようにって……彼女の生みの親である、紘也さんがいつも居る場所を教えてあるんだよ」

「じゃあ……」

 その可能性に一縷の望みを託して、涼は切れたままになっていた携帯電話の電源を再投入し、紘也に電話を掛けた。

「……もしもし、紘也さん?」

「涼か? どうしたぁ?」

「イリサ、そっちに行ってませんか!?」

「あー? 来てないぞ……なんだ、何かあったのか?」

 紘也からの回答を聞いて、ここにも居なかったか……と、涼はその場で膝を折った。

「……居ないんです、イリサが。実は昼間、ちょっとした事から……イリサがアンドロイドだという事を、話してしまったんです」

「何でまた……」

「お盆ですからね、墓参りに……」

「ドジだな。まぁいい、もし来たら一報入れてやるよ。大丈夫だ、心配すんな」

「ハァ……」

 そう言って、涼は通話を切った。そして思いつく限りの手段を試し、イリサを探す当てが無くなった彼らは、トボトボと家路についた。

「大丈夫ですわ。いざとなれば警察に……」

「警察はダメだ、あの子には戸籍がない。調べられたら面倒な事になる」

「……!!」

 涼は真っ青になり、俯いたまま顔を上げる事も出来なかった。そんな彼を見て、かなみは暫し言葉を探していたが……やがて意を決したように、携帯電話で何処ぞへと連絡し始めた。

「お母様? かなみです。今からメールで写真を送りますので……その子を探してくださいませんか? ……ええ、そうです」

「……!?」

「それと……今夜はお友達のお家に泊まります……はい。ご心配なく、お察しの通りですわ……ええ。では……」

 彼女が一体何をしているのか分からないで居た涼だったが、彼は会話の内容から状況を把握し、驚いて声を上げた。

「かなみちゃん……?」

「言ったでしょう? お母様は、私の味方ですの」

  そう言いながら、かなみはイリサの顔写真をメールに添付して母親に転送した。イリサの情報を外部に漏らす訳にはいかない為、二宮邸の防災センターに詰める警備員に捜索を依頼したらしい。そして、イリサが見付かるまでの間、彼を元気付けようとしたのか……今夜は帰宅しないと、堂々と宣言していたのである。

「だ、大胆だね?」

「大丈夫ですわ、お母様は涼さんとの事も、応援してくださってますの」

「は、はは……俺、そんなに信頼されてんの?」

「クス……涼さんは、私が好きになった人ですもの。安心して両親に紹介できますわ」

 イリサの件で頭がいっぱいだった涼の思考回路は、かなみの行動で一瞬クリアされ、そして彼は落ち着きを取り戻していた。

「で、その……今夜は本当に!?」

「涼さんが泊めてくださらないと、私は今夜、野宿ですわ」

「ちょ、そんな事はさせないよ……ま、参ったな、緊張しちゃうよ」

「……こうでもしないと、涼さん……沈みっぱなしで、悲しそうで……」

「あ……ゴメン。俺……」

 赤くなりながら謝る涼の手を優しく握り、かなみはニコッと微笑んで彼を促した。

「さ、お家に戻ってお食事の支度をしましょう。イリサちゃんの分も……」

「……そうだね」

 そうだ、ジタバタしたって始まらない……と思い直し、涼はかなみの手を優しく握り返した。そして二人は、手を取り合ってアパートへと戻って行った。

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