第十一話 羽化する天使
第11話 羽化する天使 その一
意識が遠くなったのち、青蘭はプラハの街路に立っていた。ナイアルラトホテップの姿は消えている。
(龍郎さんが、生贄に……)
目の前にはフレデリックもいる。真剣な瞳で青蘭を見つめていた。
「青蘭。私と一つになろう。今なら、できる。そうだろ?」
「…………」
たしかに今なら、きっと一つになれる。二人のあいだにあった共鳴を阻害する何かが消えた気がする。
しかし、ほんとにそれでいいのだろうか?
迷っていると、通行人がさわぎだす。みんな空を見あげて口々にわめいている。
つられて見ると、空にたくさんの鳥が飛んでいた。いや、ただの鳥にしては大きすぎる。それに……翼はあるものの、鳥というより……。
「天使だ!」
「見つかったらしいな。逃げよう」
フレデリックに手をひかれ、路地裏へかけこむ。とは言え、相手は上空にいるのだ。青蘭たちの行動は丸見えだろう。隊をなして、こっちへやってくる。
「追ってくる」
「せめて車じゃないとな」
このままでは、一分ともたない。まもなく追いつかれ、捕まってしまう。
長い路地を走りながら、フレデリックがマジメな声で言いだす。
「青蘭。今、ここで一つになろう」
「今?」
「そう。今だ。苦痛の玉と快楽の玉。二つを重ねてしまえば、もう君のなかからとりだすことはできない」
たしかに、そうだ。世界中を逃げまわるより、そのほうがずっと手っ取り早い。二つの玉が一つになれば、それはもう英雄の卵だ。そこから生まれるのがアスモデウスにしろ、ミカエルにしろ、ほかの天使たちには手出しできない。
(どうしよう。今ここで、ミカエルと一つに……)
バサバサと羽音を鳴らし、青蘭たちの間近に一柱の天使が舞いおりてきた。美しいプラチナブロンドを腰までなびかせ、エメラルドグリーンとベビーブルーのオッドアイが印象的。ガブリエルだ。
「青蘭。もう逃げるな。これからの大戦にそなえ、君たちは貴重な戦力だ。君がすぐにも天使として転生するのなら、我々は味方として迎え入れよう」
嘘だと青蘭は思った。彼は自分を嫌っていたはずだ。
「そんなことを言って、僕が油断したら、殺して玉だけ、とりだすんだろう?」
「賢者の石は対応する天使にしか使うことはできない。対応するのは、もとのその心臓の持ちぬしだけだ。我々が奪ったところで益はない」
ほんとうだろうか?
しかし、それなら、もっと早く——たとえば青蘭が子どものうちにでも教団から保護されてしかるべきだ。放置していたのは、青蘭が死んでも快楽の玉をとりもどすことができればよかったからだろう。
すると、ガブリエルは目に見えてイラだった。
「ハッキリ言えば、私自身はおまえが嫌いだ。しかし、今はそんなことを言っていられない。ラグナロクが始まる。これがどういうことか、わかるだろう? 我々のうちほとんどすべての者が戦いのうちに果てる。それでも、戦わなければならない。宇宙の永久なる安寧のために」
フレデリックも青蘭の手を強くにぎる。
「青蘭。今すぐ一つになろう」
「でも……」
「なぜ迷う必要がある? 私がミカエルだ。君の愛した男だ」
なぜか、フレデリックはあせっているように見えた。厳しい表情で、青蘭に決断を迫ってくる。
(ミカエルと一つになるか。それとも……)
もちろん、ミカエルと一つにはなりたい。ゆるされるなら、今、この場で。
だが、龍郎が生贄にされると言う。苦痛の玉をなくした龍郎をこのまますておけば、必ず死ぬだろう。目に見えた事実だ。
(龍郎さんを見殺しにする……そして、僕は天使に戻る……)
ミカエルと一つになりたい。ミカエルを愛している。でも……。
龍郎とすごした日々が、とつじょ、いっきに記憶から吹きだしてきた。
初めて出会った電車のなか。何度も再会したぐうぜん。最初はせまいアパートの一室で共同生活して、真冬の最中に窓ガラスが割れたこともあった。
(あのころ、僕はまだ誰のことも信用してなくて……)
龍郎のことも、ずいぶん疑った。どうせ、金目当てなんだろうと。
でも、今よみがえるのは、龍郎の優しい笑顔ばかりだ。手と手をつないで、あたたかかったこと。信じてほしいと、くりかえし、
ふと気づけば、涙があふれだしていた。
(龍郎さん……龍郎さんが死んでしまうなんて……)
やっぱり、ダメだ。
自分には我慢できない。
(……どうして? 抑えても、抑えても、やっぱり、龍郎さんが好き。僕は龍郎さんが好き)
もうこれ以上、自分をだましとおすことはできそうにない。会いたい。今すぐ、龍郎に会いたい。二人でなら、どんな困難でも乗りきれる。
たとえクトゥグア相手でも、恐怖をふりはらい、倒すことができる。
フレデリックは敏感に青蘭の気持ちの変化を読みとった。
「青蘭。ダメだ」
ひきとめる彼の手が青蘭の腕をつかんだとき、轟音が響き、何者かが空間をやぶって現れる。
「青蘭! 来い。龍郎が生贄にされてしまう!」
マルコシアスだ。
青蘭は決意した。
もういい。このまま、自分が生まれ変われなくても。
ミカエルより、フレデリックより、ほかの誰より、龍郎が愛しい。
「ごめんなさい。僕、行かなくちゃ」
フレデリックの手をふりはらい、青蘭はマルコシアスの背にとびついた。
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