第5話 星の湖 その五



 ホテルのそばで亡くなったのは、どうやらキャンパーのようだ。近くのキャンプ場で行方がわからない人がいると、警察の調べでわかった。散歩中に火の精に遭遇してしまったのだろう。


 とは言え、人体自然発火事件は全国で一日に何件も起きていた。またかという空気がある。警察も持てあましているようだ。龍郎たちはとくに拘束されることもなく、自由に行動ができた。


 なので、アイヌの伝説を知りたいと言い、ウーリーと穂村、それに清美はやってきたガマ仙人をひきつれて、近辺の町へ出かけていった。穂村が運転をできるから、レンタカーで出ていったのだ。


 宿には、龍郎とヨナタン、それにガマ仙人をつれてきたあと、人間型になって、ちゃっかり泊まり客を装うマルコシアスの三人が残った。


「湖畔で釣りができるらしいよ。道具を借りられないかオーナーに聞いてみよう」


 退屈しのぎに釣り具を借りて、清澄な湖にボートをこぎだした。もちろん、貸しボートだ。釣りには遊漁料がかかるが、ネットでもチケットを購入できる。


 ボートに乗りこむと、湖水の透明感がきわだつ。陸地から見たかぎりでは、ここまで深みを見通せるとは思わなかった。


「めちゃくちゃキレイだなぁ。ほんとに樹木が透けて見える」

「釣りか。私は狩りのほうが得意だ」

「マルコは家に帰っても……」

「私をあの家に一人にするつもりなのか」

「……いや、いいよ。釣りを楽しもう」


 朱鞠内湖ではワカサギが釣れるらしいが、残念ながら季節があわない。今の時期ではトラウトが釣れるという。トラウトというのは、サケやマスのことだ。淡水で生涯をすごすサケ類のことをトラウトと呼ぶのだと、オーナーから教えてもらった。


「朱鞠内湖にはイトウっていう幻の魚がいるんだそうだよ。四万年前から同じ姿で生きてる。大きくなるとメートル級になるんだそうだ」


 ナイアルラトホテップに言われて、しかたなく来たものの、朱鞠内湖はいい観光地だ。何も起こらなければ、このまま北海道をあちこちまわってから帰ってもいい。

 そんなふうにさえ思う。


 これという釣果もないまま、一時間がすぎた。二時間、三時間。


「ああっ、ひいてる! ひいてるぞ、ヨナタン!」

「ヤー!」


 なかなかのひきだ。竿がみるみる、しなる。水面に魚影が近づくにつれ、数十センチはあるとわかる。


「トラウトだ! がんばれ、ヨナタン!」


 ヨナタンはドイツ語で早口に叫んだが、それは龍郎には聞きとれなかった。たぶん、ぼくに任せてとかなんとか言ったに違いない。


 しばらくリールを巻いたり、ゆるめたり、格闘のすえ、ようやく銀色のトラウトが水面から顔を出す。バシャバシャとはねて、水しぶきがきらめいた。龍郎は急いでタモですくう。ズッシリと重い。


「わぁっ、デカイな。おれが釣ったわけじゃないけど、ワクワクした」

「美味そうだな」と、マルコシアス。ぺろりと舌なめずりしている。今にも本体に戻って丸飲みにしそうだ。


「ホテルに帰ろう。今晩、料理してもらえないか頼んでみよう」

「ヤー」


 満足してホテルへ帰ることにした。オールでこぐのは龍郎の役目。男三人で乗っているので、ゆっくりとしか進まない。岸辺へと漂うように水脈みおをひいていく。


「龍郎」

「うん? なんだ?」

「あれはなんだろう?」


 マルコシアスが湖底をのぞきながら問いかけてくる。


「えっ? 何?」


 龍郎はオールをこぐ手を止めて、真下をながめた。クリスタルガラスの水槽をのぞきこんでいるような錯覚をおぼえる。澄んだ水のなか、立ちならぶ樹木のあいまをぬって、何かがこっちへ近づいてきている。


 魚だろうか?

 幻のイトウ?

 さっきのトラウトとはくらべものにならないほど大きい。

 白っぽく光って、その姿を目視することは難しい。


「大きい……な。なんだか細長いし。ウミヘビみたいな」

「ウミヘビは海にしかいないだろう?」

「ウミヘビだとは言ってないよ。ウミヘビみたいな長いものって意味で」


 イトウもサケ科の魚だ。体形は糸のように長い。あの大きさからすると一メートル五十はあるだろう。一メートルに達するまで成長するのに十五年はかかるというから、そうとうの大物である。


 そう思って見ていると、ウロコが陽光に乱反射するのか、さらに明るく輝いた。膨張して、ますます大きく見える。もう一メートル五十やそこらじゃない。ゆうに三メートルはある。へたすると、そる以上。


 凝視していた龍郎は、急にその正体に気づいた。


「魚じゃない! 火の精だ!」


 火の精の大群が水底から浮上してきている。その中心に魚のように細長いものがあった。魚……いや、あれは、人ではないのだろうか?


 龍郎はあわててオールをこいだ。両手でのんびりなんてやってられない。片方をマルコシアスに持たせ、二人で必死にこぐ。前進速度は倍にあがった。が、火の精の浮上する速度にはまったくかなわない。またたくまに、多くの火の精をひきつれた電飾の人形のようなものが、ボートの間近にまで迫ってくる。


 そこまで来ると、ハッキリ見えた。人形のものがなんなのか。全身が白く発光しているが、こっちをまっすぐ見あげるその顔は、まちがいなくフサッグァだ。


(おれを追ってきたんだ!)


 ついに追っ手が現実世界にまでやってきた。

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