第4話 炎の神域 その二



 ウーリーだけ残していくわけにもいかないので、三人と一匹になった一行は、森のなかを歩いていく。


「風が強くなってきましたね」

「そうだな。それに火の精の数がいっそう増えた。これは異常だぞ。本柳くん」

「ええ」


 強風にあおられるように火の精は森の一点から流されてくる。そのまま、森の外へ飛んでいく。まさかと思うが、世界中に散らばっている火の精が、人界に最初に現れているのは、この場所なのだろうか?


「急ぎましょう。あの火の精が流れてくる方角から、イヤな匂いがする」


 穂村はクラシックな紙の手帳にメモをとりつつ、ブツブツとつぶやく。


「悪魔の匂いはかぎとれるんだな。ふーむ。エクソシストの能力そのものは基本的にあるってことか」

「ちょっと、やめてくださいよ。先生。人を実験体みたいに」

「ハッハッハッ。いいじゃないか。減るもんじゃなし」

「何を減らすつもりですか! 臓器ですか?」


 ほんとに実験体にされそうで怖い。

 ゴチャゴチャ言いあっているうちに、風はさらにきつくなった。ものすごい向かい風だ。もともと出雲地方は強風の吹きあれる地域だが、それにしたって、これはスゴイ。前に進めないどころか、立っていることも厳しい。風に背を向けなければ、風圧で鼻や口がふさがれ、息もできないほどだ。


「何か、変な声が聞こえませんか?」と、ウーリー。

「うん。そういえば」


 風の轟音のせいでほとんど聞きとれないが、切れ切れに咆哮ほうこうのようなものが届いてくる。



 ……あ…………いあ……ぐるい。………………ふたぐん。いあーッ!



 これは、どこかで聞いたことがある。呪文だ。


「クトゥルフを呼びだす呪文がこんなだったんじゃないですか?」


 即時、穂村の返答があった。

「クトゥルフだけじゃない。邪神の召喚呪文はたいてい、あんな感じだね」


 クトゥルフは死んだ。呼んでも召喚できない。と言うことは、誰かが別の邪神を呼びだそうとしている?


「止めないと!」

「さぁて、今の君にできるかどうか」

「たしかに……」


 だからと言って、ほっとくわけにもいかない。ふるさとが邪神に蹂躙じゅうりんされるのは、あまりにも忍びない。


 風に抗い、一歩、また一歩、ふみしめながら進む。

 すると、深い森の木立ちが、とつぜん、ひらけた。空き地がある。円形の空間に巨石が配置されている。この風景は以前、団地の近くでも見たことがある。


 巨石の描く円の中心に、男がいた。両手をふりあげ、声高に叫んでいる。


「フングRUUI MUGUルーNAFU クトゥグア フォーMARUハウト NNGA・グアAA ナフルTAGUN イア! クトゥグア!」


 長い黒髪が風に乱れ、黒衣がハタハタとはためく。髪のあいまから死人のように青ざめた肌が見えた。

 龍郎はようやく、それが誰なのか気づいた。


「ナイアルラトホテップ!」


 長身の男。この姿のナイアルラトホテップは何度か見たことがある。


「きさま! そこで何をしてるんだ!」


 この邪神はいつも、こうだ。以前にはクトゥルフを召喚しようとしていた。次は何を呼びだそうというのか?


 穂村が不審げにつぶやく。


「変だな。ヤツはクトゥグアを呼んでいる。だが、ナイアルラトホテップはクトゥグアとは対立していたはずだ。ナイアルラトホテップは何を考えているのか目的のわからないヤツだが、クトゥグアのことだけは憎んでいた。地球に用意していた自領をクトゥグアに燃やされたんだ」

「じゃあ、なんだって、そんな相手を召喚しようとしているんでしょう?」

「わからんが、何かしらの意図はあるんだろうな」


 巨石の内には魔法陣が描かれていた。そこから大量の火の精がポコポコと湧いている。この場所の火の精の増殖は、ナイアルラトホテップのせいだ。


 龍郎は召喚を止めるために、陣のなかへとびこもうとした。

 だが、その直前、思わず立ちどまる。そこにありえないものを見たからだ。


 森の向こうに巨大な階段が伸びている。天をめざし、果てなく高い。そのいただきには古風な社があった。


(これは、古代の風景か?)


 今の出雲大社の社は延享元年——つまり十八世紀に建立されたものだ。が、かつてそこには百メートル近い高層ビルにも匹敵する本殿があったという。


 おそらく、今、龍郎が見ているのはそれだ。背後の八雲山とほとんど大差ない。


「なんだ? あれ? なんで、あんなものが見えるんだ?」

「本柳くん。ここは結界だ。我々は誰かの魔術におちいったようだな」

「ナイアルラトホテップですか?」

「いや、どうもよくわからない。何やら気配が……これは……」


 穂村は考えこみながらブツブツ言っている。


 そのあいだにも、ナイアルラトホテップはひたすら詠唱を続けていた。しかし、彼の邪気と、天空の社の放つ神気には、それこそ天と地ほども差異がある。


 やがて、天の社がまぶしく輝いた。


「まさか、クトゥグアですか?」

「いや、違う。クトゥグアなら魔法陣から現れるはずだ。そのための召喚だからな」


 そう。あきらかにクトゥグアではない。太陽が出現したかのような目のくらむまぶしさは、この上なく神々しい。


(天使——)


 光の中心に、背に翼を持つ人型のものが立っている。発する輝きのせいで、その姿を真っ向からながめることはできない。



 ——わが神域で不敬するのは何者ぞ? ゆるさぬ。



 音波が風に舞い、あれほど際限なく湧いていた火の精がいっせいに消えた。

 ナイアルラトホテップの立つ円陣の巨石は突風によって倒れる。ナイアルラトホテップはチッと舌打ちをつき、影のなかへ沈んだ。逃げだしたらしい。


 パンと目の前でシャボンがはじけるような感覚があり、龍郎は我に返った。気がついたときには、出雲大社の境内にいた。大社の千木ちぎが見える。参道だ。両側に松の大木がならんでいる。


「穂村先生。今のは、なんだったんですか?」

「天使だな。それも、かなり位階の高い天使だ。熾天使セラフィムだろう」

「なんで、そんな高位の天使が。これまで人界で何が起こっても、天使が現れたことなんてなかった」

「ここは古代、天使たちにとって大事な要塞があった場所だ。どうやら、本格的に戦の準備をしているようだな。両陣営とも」

「…………」


 邪神と天使の最終決戦。

 それが、まもなく始まるというのか……。




 了

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