第16話「聖女の祝福」
”あんなにはめを外すリィルは、その後もほとんど見たことがありません。
よっぽど嬉しかったんでしょう”
早瀬沙織のインタビューより
Starring:早瀬沙織
「この国の人々と話してみたいです!」
リィル・ガミノがそう希望したとき、早瀬沙織はしばし考えこんだ。
「……やっぱりそうなりますよね」
と言っても勝手に民間人のいる場所まで連れてゆくわけにはいかない。
しかしながら問題はすぐに解決した。基地の人間を捕まえて聞いてみたところ、抜け穴を教わったからだ。
「医療部に行ってみれば宜しいでしょう」
ふたりはそこに足を運ぶ。
あのミズキと言うメイドは付いてきていないが、何処かでこちらをうかがっているような気はする。
「意外です。あの少佐さんにこんな一面があったなんて」
廊下でワイワイと談笑する島民たちを見ながら、リィルが感嘆の声を上げる。
「駄目なだけの人間なんて、いないんですよ」
自分で言っておいて、ごほんと咳ばらいをする。これは失言なのではと思い至ったからだ。
この基地の医療部は、一般に開放されている。
クーリル諸島は離島の御多分に漏れず医者不足。それなら配属されている軍医を島民の医療に充てようと発案したのが、あの胃痛持ちのゲオルギー少佐だ。
もっとも”患者”たちには、病気や体調不良と言った深刻そうな様子はない。持病にかこつけて条約軍の新兵器を見に来た。そんな感じだ。
基地側もおいそれと新鋭機をお披露目するわけもなく、シートを被せるか格納庫へ押し込んでしまったので、野次馬たちの目論見は外れたわけだが。
歩き出したリィルの足が止まる。
聖女とは言え、彼女はガミノの人間。どんな言葉を吐きかけられるか想像して躊躇しているのだろう。
背中を押してやろうと一歩を踏み出そうとした時、叫び声が響く。
「どいたどいた!」
漁師らしき日焼けした中年の男性が、同じく日焼けした少年を背負って駆け込んできた。
野次馬、もとい患者たちも文句ひとつ言わず、道を開けてゆく。
「どうした?」
流石に軍人だけあって冷静さを失わない軍医に、漁師はベッドに少年を寝かせながら言う。
「こいつ、うっかりガソリンを引火させちまって」
少年は気丈にも悲鳴ひとつ上げないが、膝から下の皮膚が剥がれかけている。
泣き叫びたいほど痛い筈だ。
「誰か、真水をありったけ持ってこい! 氷が必要だ! シッドの奴を呼んで来い!」
「先生、あいつ里帰りで隣島です!」
「仕方ない。昨日来た軍人で治癒魔法か氷魔法を使える者がいるかも知れん。聞いてこい!」
どうやら魔法で氷を出せる者が不在らしい。
冷凍庫など、この離島ではあるか怪しいし、あっても氷をここまで運ばねばならない。
「リィル?」
呼びかけた聖女は、何故か震えていた。
銀髪や赤い瞳、尖った目など、古代種の特徴を持つ者は、優れた魔法の才能がある事が多い。
ガミノの聖女は代々、強力な治癒魔法を持つ者が大半だ。
だが、彼女はけが人に歩み寄ることない。ただ手を震わせている。
「……大丈夫です」
沙織はその手を握って、彼女に微笑みかける。
リィルは頷いて一歩を踏み出した。
怪訝そうに彼女を見る島民たちを素通りして、患者の元へ……は行かず、タライに座り込んで手を当てた。
淡い光と共に、タライが握りこぶし大の氷で満たされた。
「まだ必要ですか?」
問いかけるリィルに医者は頷いて、野次馬たちに呼びかける。
「誰か! 移植する皮膚を提供してくれる者は!?」
島民たちは我も我もと手を上げ、医者は苦笑する。
「三人四人で構わん!」
そして、皮膚の回復が早そうな若者を何人か選んで行く。
(ここの島の人たちは、良いですね)
素直にそんな感慨を抱く。
リィルも手術に付きそう事になった。医学の心得があるそうだ。
終わるまでの数時間、沙織は島民たちと共にずっと彼女を待った。
手術成功の報と共に、疲れ切った表情で施術室から出てきたリィルを、島民たちがわいわいと出迎えた。
純粋に感謝の気持ちもあるだろうし、高位の聖職者が珍しいのかもしれない。
挙句の果てに何処から持ってきたのか、トウモロコシ酒まで薦めてくる始末。
ライズに未成年の飲酒を禁じる習慣はないが、それでも程度と言うものがある。
「あの、私、ガミノの……」
恐る恐る切り出したリィルに、島民たちは押し付けた盃に酒を注いで行く。
「まー
彼らはきっと、全部気付いていたのだ。
涙もろいリィルは、既に涙腺が決壊しかかっている。
沙織も、
「これ、収拾つけるの私ですよね?」
「沙織ぃ、わらしが今日、どれだけ嬉しかったか分かりまふかぁ?」
「はいはい、それはさっきも聞きました」
泥酔したリィルを背負って、基地が用意した客室に向かう。
「いいえ、分かってまへん。わらひは、とーっても嬉ひかったんでふ」
やっぱりこの子、面倒くさい。
あれからリィルは島民たちと語らい、竜神教の説話を話して聞かせ聖歌を歌い、そして痛飲した。
男社会で生活している沙織などは、この手の誘いをやり過ごすすべは心得ている。
が、箱入り娘の彼女がそんな方法を知るわけもなく、受け入れられた嬉しさにまかせてトウモロコシ酒をひたすら胃に流し込み、結果はご覧の有様である。
「どうもお世話になりました」
客室の前ではミズキ・ヴァンスタインが待っていて、全部知っている様子でリィルを受け取る。
背負うのではなく。肩に担いで。
「あの、それはちょっと……」
「調子に乗りすぎたお馬鹿な聖女はこのくらいで良いのです」
そう言って、客間の扉を開け、背中越しに語り掛けた。
「……早瀬様」
「はい」
「お嬢様は、古代種なのに治癒魔法を使えません。その代わり、強力な氷の魔法を授かりました。ガミノの聖女が聖なる癒しの力を使えない。お嬢様はそのせいで教皇猊下の御心が離れたのではと悩んで、ご自分の力を嫌っておられました」
あの子は、まだそんな事を隠していて、悩んでいたのか。
やっぱり、面倒くさい。
面倒くさいけれど、またあの小さな体を抱きしめてやりたくなった。
「またひとつ、お嬢様の戒めを解いて頂いて、お礼を申し上げます」
ミズキは言うだけ言って、部屋に入ってしまう。
残された沙織は、満足げに囁いた。
「いいえ、どういたしまして」
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