第10話「早瀬沙織と泣き虫聖女」

”一人で泣いているあの子を見て思いました。

彼女は昔の私なんだ。だったら私が手を差し伸べないとって”


早瀬沙織のインタビューより



Starring:早瀬沙織


「私ね、子供の頃はピアノをやっていたんです。へたくそだったけど、子供なりにプロのピアニストを目指していたし、練習も楽しくてしょうがなかった」


 食堂でトウモロコシ茶が入ったマグカップを渡しながら、早瀬沙織は自分の過去を話し始める。


「……分かります。私の親友も、音楽家を目指していましたから」


 続きを促すリィル・ガミノに、沙織は苦笑して告げた。


「でも、見つかっちゃったんです。魔法」


 それだけで、リィルは理解した。彼女に魔法の才能が芽生えたのだ。


 ライズでは優れた魔法使いを国家的な資源として扱う。

 たとえ庶民の子供であっても栄達が望めるが、悲劇が訪れる事もままある。それは本人の望む進路と魔法の特性が食い違った時だ。

 沙織は、あの日々を振り返る。


「子供だった私は、『娘が祝福を得た』なんてはしゃぐ両親を説得なんてできませんでした。入れられた養成校にはピアノなんてありません。毎日寮のベッドで泣いていたのを憶えています」


 言葉を失うリィルを見て、笑いかける。


「もう過去の事ですから」


 沙織の言葉は諦観と受け止められたのだろうか?

 話を聞くリィルの表情は暗い。


「それから、私は思うようになったんです。ピアノをやる私はいらない子なんだ。魔法使いの私だけが私なんだって」


 リィルを見やると、小さく嗚咽を漏らしていた。

 他人の事なのに、ここまで相手に寄り添えるのはやはり聖女の名前は嘘ではないと思う。


「私は風魔法の才能が見込まれて、空軍に引き抜かれました。パイロットの適性があると判断されて、気が付いたら戦闘機に乗りです。魔法も飛行機も、特に好きでもありませんでしたが、模擬空戦では負けなしでしたね」

「でも、本当はピアノをやりたかったんでしょう?」

「ええ、その時そうでしたね」

「え?」


 問い返したリィルは、沙織の顔を見て驚いた様だ。

 自分が、とても晴れやかな顔をしているからだろう。


「出会っちゃったんですよ。師匠せんせいに」

「先生って、南部中尉ですよね?」

「ええ、あの時の彼は天狗になっていた私の鼻っ柱を折って、言ったんです。『お前、才能ありすぎて基本をすっ飛ばしてるな』って」


 リィルは目を丸くする。

 確かに先程の師匠からは、凄腕のファイターパイロットだと言う印象は持たなかっただろうから。


「そ、そんなこと言われて、怒りませんでした? 好きなピアノと引き換えに得た魔法なのに」

「怒ると言うか、とにかく悔しかったですね。あの人を負かせてやりたくて、必死に勉強して訓練して、それでも勝てなくて。そこで気付いちゃったんです」

「何を、でしょうか?」


 戸惑いがちに聞いてくるリィルに、沙織は迷わず答えた。


「ピアノの練習に打ち込んでいる時の気持ちと、師匠に勝ちたくて必死になっている今の気持ち、どちらも自分にとって同じだったなって」


 返事が無いのでリィルの顔を覗き込むと、彼はせっかく拭いた顔を再びぐちゃぐちゃにして涙していた。

 またタオルが必要だなと苦笑する。


「……良かったです。沙織は、自分の生き方を見つけたのですね。きっと竜神様のお導きです」


 リィルの鼻にタオルを当てる。ちーんと音を立てて溜まったものは吐き出された。


「そんないいものじゃないですけどね。私アクア教徒ですし。あ、ピアノはまた始めましたよ? プロを目指すにはもう遅いし、今は飛んでいたいからそのつもりもありませんが、やっぱり弾く事も好きですから」

「是非、聞かせてください!」

「ええ、機会があれば」


 そう答えるが、それは難しいかもしれない。

 今後彼女がどうするかは分からないが、直ちにもっと後方の、しかるべき対応ができる場所に移動するだろうから。


「それで、沙織は南部中尉を愛しているのでしょうか?」


 ちょうどトウモロコシ茶に口を付けたところだったので、沙織は大いにむせかえった。


「何でその話題に戻るんですかっ!?」

「だって、もしそうだったとしたら、私は南部中尉だけでなく、沙織まで傷つけたことになります」


 再び鬱々とした空気を発するリィルに、ちょっとだけ思う。


(この子、いい子だけど面倒臭い)


「……本当は、気付いていたんですよ。師匠は本当に私に良くしてくれて、私の事を見てくれてるけど、私の向こう側にも誰か見ているなって。今回の事で納得してる自分もいるんです。だから、私のことは気にしなくていいです」

「駄目ですよ! それじゃ誰も幸せになれません!」


 そう叫んだリィルは、自分の発した言葉に衝撃を受けたらしい。

 「そうか、私は……」と自分に言い聞かせるように呟いた。


「私、南部中尉に謝罪します。許してくれないかもしれないけど、それでも心から謝ります」

「……リィルさん」

「リィルで良いです」

「じゃあリィル。あなたはまだ勘違いしていますね。うちの師匠は誰かを憎んだり恨んだりする事が極端に下手です。このくらいの事であなたを許さないなんてありえないですよ」


 リィルは「そうなんですか?」と半信半疑の様子で聞き返してくる。

 もちろん沙織は自信満々で頷いた。


「賭けても良いです。今頃、『あああ、やっちまったぁ!』とか叫びながらどうやって謝るべきか必死に考えてますよ」

「でも、謝るのは私の方では……」


 沙織は、にっこり笑って自慢げに語った。


「それが、私の師匠ですから」


 それは師弟の絆を誇る弟子の言葉であったのだが、駄目なダンナの手綱を握ったカカア天下の女房のようでもあった。

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