第7話「英雄と酔狂者」

”さしもの菅野も、南部隼人の扱いには困った様だ。

あいつは何なんだと、彼らしくもなく戸惑う様子を何人も目撃している”


コンラート・アウデンリート著『蒼空の隼』より



Starring:菅野直


 配属されてきた南部隼人中尉を見た時、菅野なおしは上層部に怒りを募らせたものだ。よくもこんな変人を押し付けてきたと。

 それは完全に自分のことを棚に上げた主張ではあったが。


 初対面でサインをねだってきたのはまだ理解の範疇だった。

 部下の女性パイロットに「師匠せんせい」などと呼ばせ連れ歩く。そのような人間は、「MMKモテてモテて困る」の隠語で有名な日本海軍士官でもありえない話だろう。

 また操縦技術戦技も、小隊長の中では最下位ドベである。


 ミスは少ないから長距離飛行だけ・・は妙に上手い。民間機か輸送機のパイロットなら優秀かも知れないが。

 はっきり言って、弟子を名乗る早瀬沙織少尉の方がはるかに上手い。


 着任早々格納庫に入り浸り、整備兵と飲み明かす。かと思えば同僚のパイロットや銃士・・を捕まえては質問責めにする。

 暇を見つけては早瀬少尉を伴って出掛けて行くが、雰囲気や会話から色っぽい様子は皆無。どうやら飛行機関連らしいと当たりを付けたが、詳細を知ってやっぱりかと苦笑した。


 規則を冒しているわけでは無いし、勤務に支障は出ないから文句も言えない。菅野自身も堂々と痛飲することがあるから余計に叱責しづらく、どうもそれを見透かして好き勝手やっている節がある。

 基地にいる間も、誰かが飛べば飛行場に貼りついて、ずっと飛行機を眺めている。その笑みは至福の時間と言わんばかりだ。


 早瀬少尉に彼の評価を聞いてみたところ、彼女は言い切った。


「南部中尉は最高の飛行機乗りです」


 彼女の相貌に失望の色が浮かんだ時には、ため息のひとつも吐きたくなった。原因は彼女の言葉に戸惑いを隠せなかったからだ。


 グレッグ・ニール中尉などは、彼の配属早々に談判にやってきた。


「なぜあんな男が新型機に関わるのです!」


 その時は「使い物にならなければ俺が直々に追い出す」と宣言して引き下がらせたが。




 印象が変わったのは、新型機を前線に移動させる時だった。

 故障で主脚しゅきゃくが折りたためなくなった〔紫電改しでんかい〕が出てしまい、パイロットごと機体を置いてゆく事になった。

 だが直前になって「死ぬ覚悟はできている。自分も連れて行って欲しい」と懇願され、情に厚い菅野はそれを捨て置けなかった。


「よしっ! 何かあっても俺が守ってやる!」


 パイロットは感激したが、機体の油圧系にトラブルが見つかる。このままでは離陸不可能と、泣く泣く彼を置いて前線に進出したのだった。


 ところが追いついてきたパイロットが、油圧系に異常など無かったと告げた。南部中尉が整備兵に頼んで故障を捏造したのと言うのだ。

 問いつめられた南部は、しれっと言い放った。


浪花節なにわぶしで戦争は出来ませんので」


 激怒した菅野は彼の横っ面を張り飛ばした。


 ところが数日後、主脚が故障したまま輸送しようとしたラナダ空軍所属の〔雷電らいでん〕戦闘機が、待ち伏せ送り狼に遭ってあっさり撃墜されたのだ。パイロットは即死だった。


 菅野は、自分が部下を殺す危険を冒していたことを悟る。

 南部中尉を殴り飛ばした手前ばつが悪かったが、菅野なおしは間違いを間違いと認めずそのままにしておくのが大嫌いな性分である。

 すぐに彼を呼び出して詫び、皆の前でもその事を告げると言った。


 ところが彼は、にこにこと人懐っこい笑顔で対応する。そんな事は忘れたとでも言うように。


「良いんですよ。大尉みたいな好かれるタイプのリーダーが率いる組織には、嫌われ者が必要ですので」


 菅野とて歴史に造詣はある。

 新撰組の例を持ち出すまでもなく、メンバー全員がリーダーにべったりな組織は危険だ。


「何故そこまでする? 周囲の怒りを受けてまですることか? 俺なら……」

「ええ、大尉の腕なら会敵しても故障機を守り抜けるかもしれない。でも、そうじゃない可能性もあります」


 腕を組んで唸る菅野に、南部中尉は口角を上げて見せた。


「それで戦死者が減るなら、喜んで殴られますし、嫌われますよ」


 参ったと思った。

 自分は、先頭を切って敵に食らいついて行くタイプの指揮官だ。


『貴方が取りこぼしたものまで拾ってあげますよ』


 彼は言外にそう言っているのだ。しかも、なんの気負いもなく。


そんな事・・・・より、こちらをご覧ください」


 差し出されたのは、分隊士たちの傾向や癖をまとめたものだった。

 よく短期間でここまで観察したものと、驚嘆を通り越して呆れてしまう。


「新型機を与えられるだけあって、皆腕利き揃いです。もっとゆっくり飛行機談義をしたいですが、それはそれとして気になる事が」

「気になる事だと?」

「大尉の真似をして危険な機動を行う者がおります。まずこれを禁止すべきです」


 菅野は憮然として腕を組み、返した。


「何故だ? そもそも戦闘は危険なものだろう?」


 南部中尉が不機嫌な口調に臆することなく返答したのは、まるで禅問答だった。


「菅野直以外に菅野直はいないからです」


 彼は中肉中背の優男で、その表情はころころと変わる。こちらが拒んでも懐に飛び込んでくるやり方は、内心を見透かされそうで大変やりにくい。

 この時の彼はストーブで温まったせいか、幼少時に受けたと言う左目の傷が浮き出ていた。「お姫様を庇って竜に引っかかれた」などと言うほら話を冗談交じりに話しているが、顔半分に刻まれた傷痕はなかなかに凄みがある。


「つまり大尉の真似ができるのは大尉以外いないということです」


 敵機に体当たりせんばかり肉薄する菅野の戦い方は”デストロイヤー”とあだ名され、敬意と畏れを以て語られていた。

 彼はそれがまずいと言う。


「大尉はそれでいいんです。武道でも相手の懐に飛び込んだ方がかえって安全なことも多い。しかし……」

「そのような技術や胆力たんりょくを持たない人間が真似をすれば大火傷する、か」


 我が意得たりと頷く南部中尉は、予想通りの提案をしてきた。


「射撃方法も、海軍式よりも陸軍式の偏差へんさ射撃を重視させましょう。こちらにはせっかくジャイロ照準器があるんです」


 敵機に肉薄して必殺の一撃を送り込む海軍式に比べ、敵の進路上に弾丸をばらまく陸軍式は弾薬の消費が激しく命中率で劣る。一方で攻撃中の隙が小さく、後ろを取られるリスクが減ると言う利点があった。

 すでに条約軍の戦訓研究所からは、今後は偏差射撃で行くと言うお達しも下りているのだ。その点、新開発のジャイロ照準器は大きな武器になる。偏差射撃を補助するシステムだからだ。


 菅野は海軍式を好むが、部下たちの多くが自分の真似をすることに、確かに頭を悩ませてはいた。

 かといって自分が率先してやっている以上、「やめろ」とは言いにくい。


「特に、グレッグ中尉が顕著ですね。彼はどちらかと言うと基本に忠実で丁寧な操縦が武器です。そう言うタイプの飛行機乗りに”デストロイヤー”の真似事は百害あって一利なしです」


 職務上仕方ないとはいえ、告げ口をしている彼は一切悪びれた様子がない。そこにかえって悪い印象を持てなかった。人の生死がかかっているのに、悪びれている場合ではないと言う事だろう。

 確かに、体面を気にしているのは自分の方だった。


「何なら、俺が告げ口したから暫くは大人しくしておけとでも言って頂ければ」

「そんな事を俺に言わせる気か? 皆には俺の口からはっきり言う。小賢しい物言いをするな」


 眉間にしわを寄せる菅野に、南部隼人はしてやったりとにやけ面で「でしょうね」と答えた。


「分かりました。ではお願いします」

「……こいつ」


 菅野がグレッグ達に注意するタイミングをうかがっていると見抜いて、発破をかけたつもりらしい。

 忌々しいことに確かに上手い退路の断ち方だった。

 それなりに頭は回るらしい。


「では、俺は格納庫へ行ってまいりますので、何かあれば呼び出してください」

「……またか」


 なるほど、こいつの奇行は機体特性やパイロットの癖を見る為だったかと妙に納得してしまった。

 実は一部において彼の人気は絶大だ。前にも他分隊の伍長が南部の悪口を言い、聞いていた整備科の軍曹に修正を食らったぶん殴られたらしい。


「南部、貴様は……」


 言いかけた言葉は途切れる。

 自分はいったい何を言おうとしたのか?

 振り返る南部に、菅野は頭を振った。


「いや、何でもない。程々にな」


 背中を見送った菅野は、自分が強い苛立ちを感じている事に気付いた。


(デストロイヤーのこの俺が、な)


 気分を落ち着かせようと、トウモロコシ茶をすする。

 義勇兵として祖国を離れ、ライズこちらに来てからこればかりだ。無性に緑茶が恋しかった。


 それから、何だかんだと南部中尉に相談を持ち掛ける事が多くなった。彼の奔放さを苦々しく思いながら。

 その奇行には散々手を焼かされたが、それでも激戦が続くカーラム戦線でその存在に助けられている事も事実。

 菅野直にとって南部隼人とは、頼りになる片腕ではある。


 だが同時に、喉に引っかかった小骨のような存在だった。

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