第4話「不測の事態」

”菅野直大尉の指揮下で戦えると聞いた時は、随分と興奮したものだ。

実際に会ってみると、伝え聞いた人物と寸分たがわず大いに感動した。

共に戦ううちに、別の顔も見えてくるのだが”


南部隼人の手記より




Starring:南部隼人


 飛空艇ひくうていとは、マナの波に乗って滞空する空飛ぶ船である。マナはライズ世界に降り注ぐので、地球で使用できるのは”門”の周辺のみ。ライズ専門の輸送手段だ。

 かつては帆を張って風を動力にしていたが、地球人から内燃機関を学んだあとはレシプロエンジンで航行するようになった。

 60年ほど前、地球人と初めて接触したのも飛空艇だ。突如として上空に現れた門の先には、東京新宿の空があった。


 独飛どくひのパイロットたちは、艦底に固定された戦闘機のコックピットに滑り込む。艦底かんていにはハッチが取り付けられており、すぐ下に操縦席が来るように設計されている。

 機体はこれから火薬式のカタパルトで撃ちだされ、発進するのだ。


 このタイプの飛空艇は機体の回収を前提としていない。撃ちだされた航空機は何処かの飛行場に降りる事になる。航空母艦と言うより、航続距離に下駄を履かせるドロップタンクの豪華版とでも言うのが適当だ。


 着艦能力を備えた制空艦せいくうかんと呼ばれる飛空艇も存在するのだが、いきなり新型機で試すにはリスクが高い。数が少数の上に、着艦には高い技術と細心の注意が必要だからだ。

 よってまず空中発艦はっかんだけ試すことになったのだ。


「各機、クーリル諸島までの航空図は頭に叩き込んだな? この付近に敵はいないだろうが、遭難なんてことになるんじゃないぞ!」


 怒鳴るように叱咤する菅野なおしに、南部隼人は了解の声を返す。


 今回の任務は、隼人にとって得意分野と言える。

 長距離飛行は何事も丁寧な操作が求められる。

 風にあおられて機首が揺れたり、プロペラの回転トルクに引っ張られて進路を外れたりすると、その修正の為に無駄な燃料を使う事になる。

 一応自動操縦装置も装備されてはいるが、だからと言って手動による操作を必要としないわけでは無い。


『一番機、行くぞ!』


 炸裂音と共に菅野の〔紫電改しでんかい〕が飛び出してゆく。

 初の空中発艦だというのに、まるで迷いがない。流石は菅野なおしだと敬意を新たにする。

 だが隼人とて、機体特性の把握は彼に劣らないと自負している。


『南部機、発進お願いします!』


 無線電話の合図と共に、凄まじい重力が隼人を襲う。

 巨大な飛空艇から撃ちだされた航空機は、気流の乱れにぶち当たる事になる。

 それを上手く制御できなければ、飛空艇の離着艦資格章を肩に飾る栄誉にはあずかれない。


 隼人がようやく〔疾風はやて〕を安定させたとき、菅野機は既にいつも通りの機動で編隊集合を呼び掛けていた。

 唇を噛む。

 

 早瀬沙織に言った言葉は本当だ。自分は天才になりたいとは思わない。

 だが、天才に勝ちたい。


 菅野直に、勝ちたいのだ。




 振り返ると、分隊の戦闘機が次々撃ち出されてゆく。どうやら空中発艦は問題が無い様だ。


 これから向かうクーリル諸島は、後方の安全な基地だ。

 敵に奪われる心配がない。……と言うより、敵にとって奪う価値がないので無理をして守りを固める必要すらないのだ。


 島の飛行場ではまとまった数の爆撃機が駐機できるスペースは無く、戦闘機は片道でしかたどり着けない。

 敵が占領しても補給線が長くなって維持が困難。

 つまり、試験飛行には最適な場所と言えた。


『ふん、空中発艦というから、どれだけ大変かとおもったが、大したことはなかったな。そうだろう?』

『はい! 大尉』


 菅野と僚機ウィングマンのグレッグ・ニール中尉が余裕のやり取りをする。

 実際のところ、2人の力量なら余裕だったろう。

 隼人も初見で手間取りはしたが、繰り返し訓練すれば彼らに並ぶ事ができるだろう。

 だがそれを嗅覚でやってしまうのは、彼らと隼人の間に厳然と存在する壁だった。


 菅野にとっては退屈な旅だろうが、危険がない訳では無い。

 新型機〔紫電改〕〔疾風〕のエンジンは、大馬力化と小型化を両立させようとした結果、酷く整備が大変だ。

 新型エンジンの扱いに通じた整備兵の大量養成とイラストを多用したマニュアルの配布、予備部品の安定した供給。それらが条約軍が打ち出していた方針だが、まだまだ習熟途中の新型機は不具合も多い。


 極端な話、洋上でエンジンが止まったら極寒の海に不時着するしかない。

 緊急時のために救出用の水上機が待機しているが、死の寒中水泳などごめん被る。


 そんな心配をよそに、編隊は南へと進んでゆく。

 隼人ら空軍のパイロットは、海軍の人間ほど洋上航海が上手くない。海軍パイロットが操縦する〔紫電改〕が〔疾風〕を先導する形をとる。

 本来別々に運用されるべき空海の機体が、小隊ごとの混成になっているのはそんな理由がある。


『進路は間違いないな?』


 菅野がグレッグ中尉に確認を取った時、『たっ、大尉!』と上ずった声が聞こえた。

 後方を振り返った先には巨大な光の帯があった。それはどんどん膨張し、次々と戦闘機たちを呑み込んでいった。

 光はゆらゆらゆれながら、カーテンが窓を覆い隠すように彼らを攫ってゆく。


『落ち着け。スロットルを開いて振り切るんだ』


 流石に菅野は冷静なものだった。残る5機の新鋭機は得意の加速性能で光の帯との距離が開いてゆく。

 これで逃れられると僅かに安堵した刹那、光が一気に弾けた。


「!!」


 対応の暇など与えられず、隼人の思考はブラックアウトした。




 意識を失っていたのは恐らく数秒だろう。

 隼人は失速しかけた機体を素早く立て直すと、周囲の戦闘機を確認する。

 しかし菅野機の周囲を旋回する新鋭機は、自分を入れてわずか5機だった。


『畜生!』


 菅野は悪態をつくが、どうなるものでもない。


『各機、点呼だ。どいつが無事だ!?』


 残ったのは隊長機を別にして〔紫電改〕が1機〔疾風〕が3機。

 分隊12機のうち、実に半数以上が行方不明になったわけだ。


『南部機、異常ありません!』

『早瀬機、異常なしです!』

『グレッグ機、健在です!』


 異常なしの報告に胸を撫でおろした瞬間、アレクセイ・レスコフ軍曹の〔疾風〕のエンジンが煙を吹き出した。

 姿勢を崩した機体に無理な立て直しをしたせいだろうか。あるいはあの不思議な現象がエンジンに負荷をかけたのか。

 もちろんアレクセイを責めることは出来ない。


 設計者だってこんな事態は想定していないのだ。


「スロットルを絞ってエンジンに無理をさせるな。大丈夫、整備科と自分の腕を信じろ」

『はっ、はい!』


 隼人はアレクセイ機の横につけて励ますように指示を与えてゆく。

 彼はクロア時代の右腕である樋口曹長と交代で彼の小隊に配属された。士官昇進の為一時帰国した彼から、隼人をくれぐれも頼むと念押しされたらしい。

 以来彼にはいつも支えて貰っている。


『あの、大尉。信じがたいことですが……』

『なんだ、まだ何かあるのか?』


 なんて日だと菅野が訝し気に問いただす。

 沙織の声は多分に戸惑ったようだったが、それは朗報でもあった。


『友軍のビーコン誘導電波が来てます。この海域は他に基地はありませんから、おそらくクーリル諸島からだと……』


 通信機の向こうでは皆一様に「馬鹿な!」と叫んでいた事だろう。

 目的地であるクーリル諸島へは、あと1時間は飛ばねばたどり着けない。


『とにかく、降りる場所があれば何でもいい! ビーコンの誘導に従うぞ』


 危機的状況にあって、菅野の声は弾んでいた。

 もしビーコンが罠だったら……。その時は一戦した後敵中に着陸して、拳銃一丁で暴れまわってやる。

 そのくらい考えているに違いない。


 それはそれで悪くないなと舌なめずりするのが、”デストロイヤー”と言う男である。

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