第2話「竜神と太陽の国」
”人的資源に劣る条約軍は、あらゆるリソースを戦争へ活用しなければならなかった。その中には銃後の国民も含まれる。いや、既に銃後など存在しないのかもしれない。ニュース映画が映し出す瓦礫の街がそれを暗示していた”
とある工員の回想
その夜、ダバート王国
母親が子供部屋を覗き込んだ時、愛娘はベッドから空を眺めていた。お気に入りのぬいぐるみを抱える姿は、どうにも憂鬱そうだ。
「マリー、そろそろ寝ないと。明日の御寝坊さんになっちゃうわよ?」
笑いかける母親に、答える代わりにぬいぐるみを撫でた。不安そうな表情で。
「お月様にお祈りしてたの。明日失敗しませんようにって」
竜神に愛され、
彼らは5歳を迎えると近隣のコミュニティで竜神降臨の劇を演じる。寵愛への感謝を示すためだ。
彼女が暮らすダバート王国を筆頭に、多くの民が竜神を敬愛している。たとえ異教徒であっても敬意を払うのが暗黙の了解。ライズ世界の習わしである。
劇はほんのささやかなものだが、子供たちにとって楽しいばかりではない。
主要な役を射止める事が、子供社会ではこの上ないステータスになるからだ。貴族ともなると教育熱心な両親が演技の先生を探して来るなど、本人以上に配役に熱心だと聞く。
辺境の庶民でさえ、余暇にすることと言えば演劇絡みだ。彼らは地域の神殿や酒場に集まって劇の練習をする。その後はトウモロコシ酒をあおりながら、演劇談議に興じるのが楽しみなのだ。誰かが街で流行りの演目などを見に行けば、その日の夜は報告会に費やされる。
今まで領主による搾取に耐えていた農奴が、役人を惨殺して領主を追放した。役人が村にあった粗末な舞台を取り壊そうとしたから。
ダバート王国史に残された嘘のような実話だ。
ビジネスパートナーである地球人達が呆れ返るほど、ライズ人の演劇狂いは徹底している。
彼女は子供の劇で臆病になっているのは、そんなライズ人の血がなせる業か。
母親は穏やかに笑って、娘の髪を撫でる。
「いいじゃない。失敗すれば」
いつもは嬉しそうに身を任せる娘も、むーっと頬を膨らます。どうやら期待した励ましではなかったらしい。
「だめだよ。マルキア様に失礼だもん」
聖マルキアは、竜神に師事して魔法を学んだ10人の賢者の1人だ。
クロア公国を輿した聖人は、民を貧困から救うために力を使い果たしこの世を去った。子供たちは「マルキア様みたいに人の役に立つ人間になるんだぞ」と言われて育つ。
明日の劇は主要な役ではない。台詞も「この力、人々の為に使いましょう」の一言だけ。
それでも憧れが大きいだけに上手くマルキアを演じられるか不安なのだろう。
何かを頑張ろうとする気持ちは良い事だ。
母親は娘の成長を喜びつつ、その気負いを解いてやる事にする。
「じゃあ、お母さんが良く眠れるようにお話ししてあげる。竜神様のお話」
「知ってる。貧乏な私達のご先祖様に、竜神様が魔法を教えて下さったんでしょ?」
何をいまさらと。首を振っていやいやをする。
いいから聞きなさいと、母は穏やかに語り掛ける。
「そう、1000年前、方舟に乗って聖都ガミノに降臨された竜神様は、ご先祖様たちの姿に感動されたの。食べ物が無くても助けあって生きていたからよ。だから魔法を教えて下さり、トウモロコシやウシクジラの育て方も教えて下さったの」
「でも、竜神様は居なくなっちゃうんでしょ?」
「そうね。ご先祖様は失敗しちゃったの。魔法の力を独り占めしようとして、仲が良かったお友達同士で喧嘩しちゃったのよ。だから、竜神様は『人々が自分の為に争うなら、自分は居ない方が良い』っておっしゃって、他の世界に旅立たれたの」
娘はそらみたことかと唇を尖らせる。
「ほら、やっぱりご先祖様が失敗しちゃったから竜神様は居なくなっちゃったんだ!」
母親は悪戯っぽく笑う。そういえば、自分も祖母に同じ事を言った気がする。
拗ねた心を解きほぐすように、ゆっくりと言葉を続ける。
「でもね、その失敗があったから、私たちはそれを『いけない事』だと知ることが出来たのよ? 竜神様が去られた後、たくさんの人が『どうやったらみんなが仲良くできるのか』を必死に考えたの。だからライズを去られた竜神様は私たちを見捨てたりなさらなかった。おじいちゃんが子供の頃、魔法が効かない怖い病気が流行ったの」
「神官様が言ってた。『
母親は『皇帝熱』が魔法が効かない、それはそれは恐ろしい病気だったと付け加える。
何しろこの病気は、名前通りゾンム皇帝をあっさりと竜神の御許に送ってしまった。当時もっとも優れた医療を受けられる立場だったと言うのに。
「良い人も悪い人も沢山の人達が亡くなったの。でもそれ以上に大勢の人が病気を治す方法を見つけようと頑張ったの。亡くなる人を一人でも減らして悲しいことを止めようとしたのね。その気持ちが竜神様に通じたから、”門”を開いてくださったの。門の向こうには”地球”と言う世界の”日本”と言う国があったのよ」
「ナオキ君も日本人だよね!」
隣人の橘氏は、ダバートに工場の生産技術を教える為にやって来た技師だ。彼女たちとは家族ぐるみの付き合いをしていて、息子のナオキはマリーと兄妹のように仲が良い。
反対に日本人に魔法を教える為地球に赴くダバート人もまた多い。
母親は頷くと、話を続ける。
「その頃の地球人は魔法を使えなかったの。でも”科学”と言う力を持っていたのよ。日本の人達はおじいちゃんたちが苦しむ姿を見てとても悲しんで、その科学の力で病気の治し方を一緒に考えてくれたの」
「えらい!」
「とても立派な事ね。だからおじいちゃん達は日本が隣のロシアと言う国に攻められた時に助けに行ったのよ。病気を治してくれた恩返しだって。よくお話し聞くでしょ?」
「『
母親は苦笑する。
何度も同じ話をされてすっかり覚えてしまったのだろう。意味なんて分からないだろうけど。
「ダバートと日本が今も友達なのは、おじいちゃん達がちゃんと『ありがとう』を言えて、優しさに優しさを返してあげたからなのよ?
おかあさんがマリーくらいの頃『なんでわざわざ戦争に行ったの?』って聞いてみたの。そしたらおじいちゃんね。『ご先祖様が竜神様にしてしまった仕打ちを繰り返してはならんと思っただけじゃ』って笑いながら言ってたわ。
だからね。失敗しても良いの。ちゃんと『何で失敗したんだろう』って考える事が出来れば、それは貴方の宝物になるわ。ダバートにとっての日本の様にね」
そう語った母親が娘を見下ろした時、彼女は寝息を立てていた。
毛布を肩までかけてそっとおでこに口付けすると、静かにドアへ向かう。
子供部屋を出た時、廊下に積んである古新聞が目に留まる。
「大日本帝国からやってきた義勇兵の勇姿! 若き海鷲、菅野直大尉の活躍」
「ガミノ神国、条約軍捕虜300名を銃殺、日本及びダバートは非難声明」
「志願兵募集! クロア公国は君を必要としている!」
「防空訓練のおしらせ」
どれもこれもきな臭い物ばかりだ。
今、海の向こうでは竜神教徒同士が血で血を洗う争いを繰り広げている。
近所でも若者が何人か軍に志願し、先週そのうち1人の葬儀が行われた。
彼女が暮らすダバート王国は、条約国の盟主。もし戦争に敗れればどんな目に遭うか分からない。
このまま戦いが続けば、自動車工場で働く夫も召集されるのだろうか?
(どうかお願いします竜神様。あの子の未来が閉ざされませんように)
彼女は聖都の方向に祈りを捧げる。
マリーに言ったことは嘘やごまかしではない。彼女は信じているのだ。人は、学ぶことで前に進めると。
街の神官様は、竜神は最善を尽くした者に救いを与えると説いている。
自分に出来る事はそう多くは無い。自慢の娘が誇りを持って生きられるように愛情を注ぐ。ただそれだけだ。
それこそが、竜神が示した優しさに報いる事だと信じている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます