第30話 愛の執着と独占欲 -忍び寄る空色の、-

「ねぇ、ランドルフ。あなたの夢は何?」


 鮮やかな赤い髪に、金色の瞳。少しつり上がった目が印象的な彼女は、柔らかな笑みを携えて言った。


「僕の夢? ……そうだなぁ……今はまだ、父さんのあとを継ぐことしか考えてないや」


 静かな街での、幸せな生活。その中での、なんでもない会話だった。


「アンジェラには夢があるの?」

「夢……というのかしら。こうしたい、と思うことはあるわ」

「へぇ。どんなこと?」


 アンジェラは少し照れたようにはにかんで、風に靡く赤い髪に触れながら答えた。


「生涯共にあると決めた人の隣に並んで、同じ道を歩いていきたいの。苦しいことも楽しいことも分かち合って……その人が困っていたら支えてあげたいわ。悩んでいたら、一緒に悩みたいわ。そんなふうに生きていけたら、素敵だと思うの」


 頬を染めて、ランドルフに視線を向ける。

 そうやってあなたと生きていきたい。――そんなふうに言われている気がして、ランドルフの表情も自然と緩んでいた。

 その瞳も、髪も、表情も、仕草も、何もかもが美しい。その微笑みが自分に向けられていると思うと、堪らない気分だった。

 他の誰にも見せたくない。自分だけのものにしたい。……いや、自分だけのものにする。今はまだ無理でも、いつか必ず。


「……僕は、生涯共にいると決めたひとには幸せになってほしい。何も気にすることなく、ただそばにいて、微笑んでいて欲しい。それが僕の力に、支えになる」


 いつかアンジェラを王妃に迎え入れて、国を治めよう。

 彼女が隣に居てくれたら、それだけで何だって出来る。彼女が望むなら何だってしてやりたいと思うし、叶えてやりたい。

 ランドルフがじっとアンジェラを見つめると、彼女は恥ずかしそうに視線を動かし、顔を伏せる。けれどその顔から笑顔は消えておらず、小さく頷いた。


「そう……そう、ね。きっとそれだけで充分……一緒にいることが出来たら、それだけで……」


 うっとりと、熱に浮かされた瞳で言葉を紡ぐアンジェラは、とても可愛らしく、美しく。

 早く触れたいと思った。抱きしめて、彼女を自分のものにしたいと強く感じた。

 彼女も自分を愛してくれている。自分たちは相思相愛だ。

 この社会勉強が終わったら、彼女の住む国に迎えに行こう。僕の妻に、クラウディアの王妃になってくれ、と。



 なのに。

 それなのに。



 なぜ、あんなことになってしまったのか。


 炎に包まれた街、黒い「もの」になってしまった住民。昨日まで笑っていたひとたちが、優しく手を伸べてくれたひとたちが。「竜族の炎」によって、何もかもが変わってしまった。

 アンジェラと同郷のシンシアは、アンジェラがやったと言った。信じたくなかったけれど、あのときのランドルフには信じることしか出来なかった。

 彼女だけが変わらぬ姿でいたから。彼女が「お気に入り」だと言っていたドレスを纏い、自分の前に現れたから。彼女一人だけまだ、幸せの中にいるような気さえしたから。


 聡明な彼女がなぜそんなことをしたのか信じられなかった。裏切られたのだと思った。

 彼女は最初からこうするつもりで、自分に近づいたのだと。前日に約束した彼女の言う「見せたいもの」は、その地獄絵図であったのだと。

 ランドルフは絶望から、彼女に言ってはいけない言葉を向けた。彼女の顔をろくに見ず、その言葉を聞かず。


 思えば彼の心はその時点でもう、壊れていたのだろう。

 もしかしたらそれより以前に兆候はあったのかもしれない。彼のアンジェラに向ける感情は執着と独占欲。彼女を自分のものにして閉じ込めてしまいたいと、そんなふうに考えていた。


「……ソール国……」


 濁った空色の瞳のままで、ランドルフは呟く。

 エスメラルダに強制的に国に戻されてからしばらく、当然のことながら彼はまだアンジェラを諦めてはいなかった。ドラグニアにいる可能性が高いと思ったが、もしかしたらそうではないのかもしれない、と、ふとした瞬間に思い始める。


 アンジェラを連れ去ったあの男。自分から彼女を奪った憎むべき相手。


 彼がもし本物のソール国王子であったら。そうでなくても、ソール国と何らかの深い繋がりがある男だったら。そいつはアンジェラを連れて、ソール国に逃げたのかもしれない。エスメラルダの力で一度はドラグニアへ飛ばされたが、そのあとソール国へ向かったのではないか。


「そうか……僕としたことが、盲点だった」


 アンジェラのことしか考えていなかったために、その他のものへの関心がほとんどなくなっていた。

 だが今もランドルフの脳内にはアンジェラの姿しかない。アーノルドたちの姿を彼は、記憶していなかった。

 アンジェラを疑い、事実を知って――アンジェラが離れてしまってから彼の心の病の進行は益々加速した。そして本人にその自覚は全く無い。彼の行動に意見するものも、その言葉に反論するものも、彼の周りには一人としていなかった。

 皇太子である彼の言葉は絶対。それがどれだけ理不尽なものでも、拒否は反逆を意味する。


 それがクラウディア国王家の在り方。


 ランドルフは一人、地下牢へと向かった。

 一番奥の部屋には、ぼろぼろになったシンシアがいる。ランドルフは感情のない笑顔で、シンシアに声をかけた。


「シンシア。きみにチャンスをやろう」


 ランドルフの声に、シンシアの身体は震えた。彼女もまた心を壊しつつあるが、ランドルフの様子に恐怖を覚える程度にはまだ理性があった。


「アンジェラを連れ戻すんだ。彼女を攫ったものたちから彼女を奪い返す」


 目を見開き、シンシアは乾いた唇を動かす。


「……何を……言っているの……」


 ランドルフは憂いを帯びた表情を浮かべて言った。


「僕はね、思うんだ。彼女はとても優しいから、人攫いに丸め込まれてるんじゃないかって。僕の印象が悪くようなことを吹き込まれているんじゃないか。もし僕が迎えに行っても彼女が応じなかったら何の意味もない。彼女を攫ったやつらに邪魔される可能性だってある」


 シンシアは、ランドルフが何の話をしているのかわからなかった。それもそのはずである、彼の言葉は全て想像のものでしかない。彼の心が生み出した「アンジェラ」という存在。

 本物のアンジェラが自分の意思で離れていったのだと、微塵も思っていないのだ。


「だから、さ。シンシア。きみのその今の姿を見れば、優しい彼女はきっと同情するだろう。きみが縋れば、彼女はきみの言葉を聞く。……彼女が一人で僕のもとへ来るように仕向けるんだ」


 シンシアは表情を引きつらせ、喉を鳴らした。

 そんなこと出来るはずがない。自分はアンジェラの全てを奪った。憎まれこそすれ、同情するなんてことがあるわけがない。


「もしきみがアンジェラを連れ出せたら、きみの願いを叶えてあげるよ」


 口元だけにっこりと笑い瞳を細めたランドルフが言うと、シンシアは身体を強張らせ目を見張った。


「……なん、……ですって……?」

「そうだなぁ、少しばかり歳はくってるけど、裕福な伯爵がいるんだ。そこに嫁がせてあげる。以前のきみよりも高い爵位で金持ちなんだ、いい条件だろう?」


 楽しげな声であるのに、ランドルフの顔は少しも笑ってはいない。シンシアは自身の身体を抱きしめ、縮こまった。

 ランドルフは冷たく目を細め、がしゃん、と鉄格子を蹴飛ばす。口元からも笑みを消して、シンシアを蔑むような眼差しで見やった。


「どうしてすぐに返事をしない? きみに拒否権があるとでも思っているのか? 僕からアンジェラを遠ざけたきみに、何の権利があると言うんだ? アンジェラを取り戻すか、死ぬよりつらい拷問を受け続けるか、きみの選択肢はその二つだよ」


 選択肢と言いながら、結局のところシンシアに許された返事はひとつしかない。

 そして今シンシアは、その選択に縋るほかなかった。

――現状の地獄から抜け出すために。

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