第23話 初恋の君、どうか聞いて -アーノルドの告白-
その日アーノルドは、夜が更けてもアンジェラと言葉を交わしていた。
ローレンスとマリアベルは空気を読んで席を外していて、彼らは文字通り二人きり、であった。
アンジェラはベッドの上で身体を起こしており、アーノルドはベッドの横に椅子を置いて座っている。
「そういえば、気になっていたのだけれど」
「うん?」
「アーノルドたちとロンは、一体どこで出会ったのかしら? あの子からあなたたちのような友達がいるという話は、聞いたことがなくて……」
アーノルドの身体がぎくりと強ばる。ローレンスとの出会いは、アーノルドが「初恋の君」を探していたことがきっかけだった。初恋の君ーーアンジェラを探して訪れていた街で、偶然絡まれているローレンスに出会った。もしかしたら彼女に出会えるかもしれないと、思い切り下心込で声をかけた。
結果的にアンジェラと出会うことが出来たのはいいが、それを正直に告げていいものかどうか。
ドッ、と冷や汗を浮かべたアーノルドにアンジェラは、不思議そうに首を傾げる。何かまずいことを聞いてしまったのではと、視線を動かした。
「あ、あの、私何か……」
「え! あ、いや! あぁ、と、その……」
手をわたわたと動かし、アーノルドの顔は真っ赤に染まっていた。
随分と長い時間想い続けていた相手が今目の前にいて、邪魔をするものは誰もいない。告白するにはまたとない機会である。
だが彼女にはつい先日まで想う相手がいて、ようやくその相手を吹っ切ることが出来たばかりだ。果たしてタイミングとして適切なのだろうかと、アーノルドは唇を閉ざした。
「アーノルド? ……ええと、言いたくないのなら無理には……あなたたちにも、何か理由はあるのだろうし……」
ね、と笑顔を浮かべるアンジェラに、アーノルドの胸はきゅぅ、と切なく締め付けられた。
たった一度、出会っただけの相手。すれ違うときに少しだけ、挨拶を交わした程度の。
赤色の髪に金の瞳、初恋の君は、竜族であることしかわからなかった。もしかしたら見つからないかもしれない、そもそもその出会いすら幼い頃の夢でしかなく、現実に彼女は存在しないのではないか、と思ったときもあった。
それが今、目の前に。手の届く場所に、彼女はいる。
マリアベルが言っていた。とんでもない性格であったらどうするのかと。
会ってみないとわからない。そう答えた覚えがある。
会ってどうするのかとも聞かれた。
まずは友達になりたいと答えた。貴族だ王族だというしがらみに囚われたくないから、平民として会うのがいいと思っていた。
「……それはもう、失敗してるんだよなぁ……」
「え?」
アンジェラの顔をじっと見つめて、アーノルドは眉を下げて笑う。それから姿勢を正し深呼吸をすると、緊張した面持ちで口を開いた。
「その、アンジェラ。……最初にいくつか、言い訳をさせて欲しい」
「言い訳?」
「あぁ、そうだ。まず第一に、オレはきみが竜族だからお近づきになりたいとか、そういう考えはもっていない。オレは王族だけど、それを理由にきみと仲良くなろうとは思っていないし、出来れば平民として会いたかったというのが本音だ」
「? えぇ……」
相槌を打つものの、アンジェラの頭にはいくつも疑問符が浮かんでいる。それに気づく余裕もないアーノルドは、さらに早口で言葉を続けた。
「あとこれは一番大事なんだけど、傷心のきみに付け入ろうとか、あわよくばって考えは少し、ほんの少ししかない。でもあの、不快だったらはっきり言ってくれていい。きみを傷つけるような真似だけは絶対にしたくないから」
「あの、アーノルド? 言っている意味が、よく……」
口元には笑みを携えつつ、けれどもやはり戸惑った様子のアンジェラにアーノルドは眉を下げて笑った。
「オレは、さ。アンジェラ。ずっと、きみを探していた」
「ずっと?」
「あぁ、そうだ。もう十年以上、長いこときみのことを探し続けていた」
「――それは、どうして? なぜ、私を」
その疑問はもっともだ。アンジェラはあの闇マーケットでアーノルドと出会うまで、彼の存在を認識していなかった。見も知らぬ男にずっと探していた、などと言われてはむしろ、不気味さすら覚えるかもしれない。
一途過ぎて、気持ち悪い。誰かにそんなふうに言われたこともある。
だけれどもう、言わずにいることは出来ない。
彼女に想うひとがいると知って、伝えることを諦めた想い。それは長い時間秘められた、彼女への恋心。
「きみはきっと覚えていないと思うけど……ずっと昔、まだ幼い子どもだった頃。オレときみは一度だけ、出会ったことがある」
アンジェラがぱちりと瞬きをする。
「きみはちょうどその街を出るときで、オレはその街に来たばかりだった。一度だけすれ違ったきみに、オレは、」
鼓動がうるさく鳴っている。汗も滲んで、声も少しばかり震えていた。マリアベルがいたら、背中をバシンと強く叩かれていたことだろう。
「……恋を、した」
金色の瞳が、大きく揺れた。
「信じられないと思う。ひょっとしたら気持ち悪いって思うかもしれない。だけど、本当なんだ。オレはきみに一目惚れして、もう一度きみに会いたくて、今までずっと、ずっと長いこと探していたんだ」
「え……っえ、……わた、私、に……」
「うん、きみに。本当は平民として会いたかったんだ。きみが、その……ランドルフと出会ったみたいに。立場とかそういうの関係なく出会えたらいいなって思ってて……あ、結局それは、うまくいかなかったんだけど。でも、それでもきみに会うことが出来てとても嬉しかった。きみに想うひとがいると知ったときはショックだったけど、オレはきみが幸せであるならいいと思った。炎舞を捧げたいと思うほどに慕った相手なら、と。……きみが今も、彼を恋い慕うと言っていたらおれはこの話をするつもりはなかったんだけど……その、……ほら。恋心が、なくなったって言うから。だから、……えーと……」
最後の方はしどろもどろとして、視線は泳ぎっぱなしだった。何度も拳を握っては脱力し、手にはじっとりと汗をかいている。
アンジェラは何も言わなかった。驚いた顔でアーノルドを見つめて、それからゆっくりと両手を口元へ寄せる。きゅっ、と眉が寄せられた。
「あ……あ、えっと、ごめん。やっぱりタイミング間違えたか……」
「ち、違うの! だ、だって、アーノルド、……あなたがその、私を、す、好き、なんだとしたら、……私、ずっとあなたに酷いことを、」
アンジェラには、正気を失っていた頃の記憶が残っている。アーノルドに向かって、ランドルフに会いたいと縋った。それがどれほど残酷な行為であるのか、アンジェラはショックを隠しきれないでいた。
「ごめんなさい、謝って許してもらえるとは思っていないけど、」
「あ、え、ちょっとまって、謝らないで! さっきも言ったけどオレはきみが幸せなら良いと思ってたんだ、それにあのとき会いたいって言わせたのはオレだし、とにかくアンジェラが謝る必要はどこにもないって!」
泣き出しそうにも見えるアンジェラの表情に、アーノルドはめいっぱいに慌てた。泣かせたいわけじゃない、傷つけたいわけじゃない。ただ真実を知ってもらいたいと、そう思っただけなのだ。
「あ、だからえっと、今! 今はその、ランドルフへの恋心は、もうなくなったんだろう?」
「え、えぇ、それは、そうよ」
「じゃ、じゃあ! それじゃあ、オレと友達になって欲しい!」
上体を前に倒して、必死な表情で言うアーノルドにアンジェラは、思わずぽかんと口を開けてしまった。
「あ、もちろんゆくゆくは……って思ってるけど、オレが初恋の君に出会ってまずしたいことはきみと友達になることだったから、」
あぁくそ、締まらない! と頭を掻きむしるアーノルドの様子を見ていたアンジェラは、次の瞬間にはぷっ、と吹き出して笑っていた。くすくすと楽しげに笑うその表情に、アーノルドの動きが止まる。
「アーノルド、何を言っているの? 私とあなたはもう、友達でしょう?」
「……えっ」
「あなたは私を救ってくれた。竜族を理解してくれたわ。マリアベルだって友達なのよ、あなたが友達じゃないわけないじゃない」
「――アンジェラ」
アンジェラは瞳を細めて、アーノルドを見つめた。
狂気の国に囚われていた間、暖かさを感じた紫紺の瞳。いつかの空色と被せていたけれど、今は違うものであるとはっきりわかる。
「アーノルド。すぐにはあなたの想いに応えることは出来ないけど、……それでもいい?」
恋に溺れて心を壊した事実は、アンジェラを少しばかり臆病にさせている。新しい恋を否定するわけではないが、まだ心の準備が必要だ。
「私はまだ、あなたを良く知らないから……知るところから、始めたいの」
アーノルドは信じられないものを見る眼差しで、アンジェラを見つめていた。
まさか、受け入れてくれるなんて。すぐに応えることは出来ないとアンジェラは言ったが、それはつまり、アーノルドの恋心を認めるということだ。幼い頃の初恋をずっと引きずっていた愚かな男を馬鹿にするでも、引くでもなく。
受け入れる準備をさせてほしい、と。
彼女は柔らかな笑顔を浮かべて、そう言った。
胸の奥に込み上げるものを感じて、アーノルドはばっと口元を抑えた。油断すると、嗚咽が漏れてしまいそうなほどに感動していた。
「あ、アーノルド……? どうしたの?」
「……その。……う、嬉しくて、……泣きそうに……」
アンジェラはまたぽかんとして、それからまた声を上げて笑った。
「マリアベルがしっかりしている理由がわかったわ」
それは楽しそうに、嬉しそうに。
アーノルドがずっと求めていた笑顔を浮かべたアンジェラに、堪らなく愛しさがこみ上げたアーノルドは、今度こそ本当に少しだけ、泣いてしまったのだった。
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