第110話 attack disorder

攻撃性と言うと、悪い事のように見えるが

環境から見ると、人間の存在そのものが

異物であり、行動そのものが環境への攻撃

なのである。



生命維持の為の行動は仕方ないが。





ほとんどの場合、意味のない行動であるのは



餌を取る為に頑張らなくても良い社会のせいである。





それは、人間以外にとっては殺戮の恐怖であるし

その事を意識せずに生きている人間は、だから

不自然なのである。





人間の脳は、そうした人類以前の行動のプログラムで動いているので


常に、眠っていても思考を繰り返している。






例えば、宇宙飛行をすると誰でも幻覚を

見るが



それは、刺激が無くなるので

記憶を元に思考を続けてしまうからである。






NASAで、飛行士の訓練に

以前は、暗黒のプールに閉じ込めたりしたが


それは、その幻覚に堪える訓練であったりした。





そういう時、必ず怖い妄想に陥るが

心の中での、死への恐怖に起因するもの

であったりする。




行動力を発揮できない、つまり

動けない状態だと



運動すべきエネルギーのはけ口がないので

ストレスになってしまい、それが

悪い妄想に至る、と言う訳だ。






だから、行動力をどこかで発散しないと


人間はダメになってしまう。



日本で言うと、学校や事務的な会社組織などに

不健康なイジメが多いのは、そんな理由である。







賢いひとは、争う事の愚かさを知っているから

関わりにならないようにするのだろうし


そうする事が進化である。









そんな、進化し損なった投資家たちが

人間社会の価値観を、貨幣で置き換えようと

企んだ。





儲かる方が偉い、と言う考えだ。





しかし、日本には古来、あらゆるモノに

魂があり、心があると言う感覚がある。





古木には魂がある、などとされたりするし



そこまで行かなくても、長く付き合った

道具に思い入れを持ったりする。




西洋人にはわからない感覚である。






古くなった冷蔵庫が、壊れてしまっても


捨てられずに、磨いて

収納庫にして使ったり。





自動車が古くなって、廃車にする時

悲しくて泣く、なんて話は

ごく普通にあった話である。




そういう日本人の感覚の中で、日本の

工業製品は生まれ育ったから




使い捨て文化には馴染まないものがある。





もちろん、人間同士の関係もそうで

ずっと付き合うなら、相手を大切にするから


もちろん、イジメなど起こるハズもない。




エスカレーターで歩いてはいけない、と言われて



わざわざ歩いて行くような事は、できない。







そういう社会を、壊していったのは

外国人たちだったし



攻撃性だった。






元に戻そう。そう考えるのは自然である。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る