第13話 完全体のドクマル
「ああ……?」
と、二足歩行で立っているライオンは、人間のような仕草で、片手で自分の頭を掻いた。
「騒がしいと思ったら、なんだこりゃ――向かいの建物が、この建物に寄りかかってるじゃねえか。いくらぼろい、廃墟だとは言え、自然とこうなるわけがねえよな……。
つーことはあれだ、これはお前の仕業なのか?」
わたしのことを指差した。
自然と指に注目してまい、指先、その鋭く尖っている爪を、認識してしまう。
「え、あ、っと……」
わたしは上手く言葉を吐き出せない。
言いたいことを上手く言うことができなかった――、だって、ライオンが二足歩行で立っている、それを見ただけで驚きを隠せない。
とは言え、アクシンをもう既に見てしまっているために、ライオンが二足歩行で立っているなんて不思議なことは、アクシンと比べてしまえば、小さな驚きだ――。
普段のわたしならば絶句してしまっていたけど、今はなんとか、言葉が出せる。
わたしの言葉をきちんと待ってくれているライオンは、優しいなと思ったけど、よく見てみれば、違うみたいだ。
わたしが助けた赤ちゃんが、ライオンの足元に自分の頬を擦りつけている――、それを受けて、ライオンはよしよしと、自分の息子なのだろうか――優しく頭を撫でてあげていた。
和む風景、幸せな光景――、もしも現実世界ならば、の話だけど。
アクシンが変化しているという可能性が頭のどこかにでもあってしまうと、この光景が偽りない本物だったとしても、悪い印象のせいで、信じることができなかった。
怖かった――アクシンという存在が。
今までの、比じゃない――、なにか違うと、なにかが決定的に違うと、このライオンから、そういう感情を抱かせる、なにかが漏れ出ている。
あのライオンは、赤ちゃんを見る時は、当然のように優しい、とろんとしたような目をしていて、安全だった。けれど最初のわたしを見た時、わたしだけを見ている時の目は、まだわたしを疑っているだけなんだろうけど……、それでも殺意を含んだ目だった。
いや、誤魔化さずに言おう、それしか含んでいない――。
あの目には疑いなんて越えて、殺意しかなかった。
それは赤ちゃんから目を離して、再びわたしを見た時の視線も同じだった。
「ま――こいつを助けてくれたことには感謝してるぜ、女。人間の女。
びびっているようだが、なにも俺は、無差別に殺すってわけじゃねえ。
きちんと選んで殺して、喰ってるさ」
「……喰ってるって、外に、血だらけで倒れている人達を、ってこと……?」
「おいおい、喰ってると言ったんだ。つーことは俺は、人間を喰ったということだ。俺は命を大事に扱うからな、残すことなく完食するんだよ――、たとえまずくても最後まで喰うさ……。
だから外にいる奴らは、……ふん、俺の知らねえ奴らが散らかしたんだろ。
完全体になってねえ、アクシン共だ」
「完全体じゃあ、ない、アクシン……。
じゃあ、あなたは、完全体になっている、アクシン?」
「黒くなければ、完全体のアクシンだよ――まあ、誰がどう決めたのかは知らねえが……。
いや、どう決めたかの部分は、本当に知らねえが、『誰が』の部分は心当たりがあるな」
ぶつぶつと、独り言のように、わたしに聞こえるような声量でライオンは言う。
『誰が』の部分――その『誰』かが人間だという確証はないけど、ヒントの少ないこの世界の中では、貴重な情報だった。
罠、という可能性もないとは言えないけど、たとえ罠でも、その情報を追って行く価値はある。その『誰』かがこの世界のこと――、なにもかもを知っているかもしれないのだから。
だからその情報に、興味が出てきたわたしだけど、聞いたところでどうせ教えてくれないんだろうなあ、と思ってしまって、だから聞くことができなかった。
というか、さっきから体が固まってしまっていて、満足に動かせず、口だってぎりぎり、かろうじてなんとか動かせるくらいで、完全に、状況に飲まれてしまっている。
嫌な汗が背中を流れていく。
棒立ちのまま、ライオンの動きをきちんと見る――、少しでも動けば、すぐにでも対応できるように、腰を落とす、つもりでいただけだ。動けない体は、さっきから変わらない。
「あーあーあー、もう」
ライオンは自分の指を耳に突っ込み、ぐりぐりと左右に繰り返し、捻る。
「人間なんてもういねえと思っていたから、油断しちまったな。敵意なくともこうして会っちまえば、怯えられるのは当たり前だってのによ――ったく……、
んで、こいつを助けてくれたお礼をしてえが、まあ、その様子だといらねえんだろうな」
寂しそうな顔をして、わたしを見てくる。
びびっているとは言っても、怯えているとは言っても、人間的にというのはおかしな話なんだけど……、このライオンの人間性は、嫌いじゃなかった。
だからそんな寂しそうな顔をしているのが、心にぐさっときたけど、でも、相手の言い分がそのまま自分に当てはまるので、言い返すことはできなかった。
だから、
「ごめんね――」とだけ。
「気にすんな、俺はお前のことをどうにかしようとする気はねえが、気をつけろよ――、
俺以外に、お前のことを、いや、お前だけじゃねえか。餌としてお前らを襲う奴らがいるからな……、主に真っ黒な、赤い眼光をしている、未完成なアクシン達だ。
俺みてえな完全体のアクシンは、目的がなくちゃあ、襲うことはねえからよ」
「……うん、色々と、ありがとう」
そう言った頃にはもう、体が自由に動けるようになっていた――、
ライオンからの殺意がなくなった、というのもあるけど、
たぶん、わたしの中の捉え方なんだろうなあ、と思う。
「優しいアクシンに会えて、良かったよ……」
「ふん――」と鼻を鳴らすライオンは、
わたしからの視点で見れば、照れているように見えた。
「あなた、名前はあるの? 良かったらだけど、教えて欲しい――。
このよく分からない世界で、頼れる人は多い方がいいからね」
「あん? よく分からない世界、だと?」
疑問符と怒りマークがイコールで結べるような口調で、ライオンが言う。
なにかまずかったのかな――、雰囲気が怪しい方向に向かいそうだったので、
「いや、比喩だよ比喩!」と誤魔化しておいた。
「そうか、まあいい――しかし、名前ね、一応あるにはあるが……俺自身、あまり気に入っていないんだよな。だが、それでも名前だ、言わないわけにもいかねえか――」
渋々と言った様子で、彼が言う。
「俺は、ドクマルってんだ」
「ドクマル……」
漢字で書くと、毒丸って感じなのかな――、
だとしたらなんというか、ミスマッチというか、名が体を表していないような……。
「なんだよ、不満か?」
「いやいや、そんなことないよ! 人の名前に不満なんて、そんな失礼なこと!」
「俺も思っていることだから別にいいんだが――仕方ねえんだよ、いつの間にかこの名前だったからな、由来は分からねえ。別にドク――毒を持っているわけでもねえんだけどよ」
どうやらわたしが想像した漢字の一つは合っていたようだった。もう一つの方は、他に解釈しようとしても、すぐには思いつかないので、たぶんこっちも合っているとは思うけど。
「さて、俺の名前を聞いたんだ――お前の名前も教えろよ」
え? と素っ頓狂な声が出てしまったけど、ライオン――ドクマルが言っていることは当然のこと、人間だって当たり前のようにやっている人間関係の構築の、まず一歩目である。
さっきまでのわたしならば警戒していて教えることはなかった、そもそもで相手の名前を聞くこともなかった――けれどここまで親密になってしまうと、自分だけ名乗らないというのは、わたしにはできなかったので、簡単に、名乗った。
名乗って、しまった。
ここが分岐点――いや、もう途中から、強制イベントみたいなものだったけど。
「比島サナカ」と、名乗った瞬間に、
ドクマルの呼吸が一瞬、止まり、
また、さっきまで続いていた殺意が、元に戻った。
「――え、と、どう、したの……?」
恐る恐る聞く――声を発した瞬間に首を刈られるような想像をしてしまったけど、勇気を出して、聞いてみた。まだ大丈夫な気がした――ドクマルなら、あの優しいアクシンとは思えないアクシンならば、まだ、わたしの味方でいてくれる気がしたから。
でも、ドクマルは言う。
「比島サナカ――お前が、サナカか。……悪いな、本当に悪いな……俺は喰う目的以外であまり殺戮ってのはやらねえんだが、今回ばかりは仕方ねえ――だってよ、命令なんだもんよ――」
ドクマルは自分に言い聞かせるように言う――やりたくはないけどこういう理由があるから仕方ない、と、本音を押し殺してプログラム通りに行動しようとしている。
「お前は今、指名手配されてんだ――殺すってのは、まあ俺が勝手に付け加えたもんだが、正確には、捕まえろ……生きていれば、体の状態は無視していい、だとよ」
一歩、ドクマルが踏み出す。
それにつられて、わたしは、
「――ひっ」と小さな悲鳴を漏らして、一歩、後退した。
「……命令って、なんで、どうして、一体、だ――誰に!」
「世界の意思だ」
一歩、また一歩、踏み出してくる――わたしは一歩、また一歩と、後退していく。
「やめ、ようよ、ドクマル……、
わたしは、あなたみたいな優しいアクシンとは、戦いたくないよ――」
「俺もだ。喰う目的ならばまだ全力でできたんだがな――なぜなら自分のために殺すわけだからだ。だが、捕まえるとなると、それをどこかの誰かに差し出すことを考えると、やりづらい、モチベーションが上がらない。
勘違いするな、俺は別に、お前だから、で、躊躇っているわけじゃねえ。
諦めろ――俺の中ではもうお前は、俺の獲物になってんだよ――」
だから遠慮するな、とドクマルは言う。
そして手を開き、爪で、空を切った。
なにもない場所を切った――、ただの牽制だと思っていたら、次の瞬間、
ドクマルの手が振り終えた瞬間、わたしの頬が、すぱっと、斬れた。
深くはないけどそれでも血が垂れてくる程には、斬れている。
つー、と、血が流れて、垂れて、地面へ落下する。
「
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