第34話 最高責任者

『どうして、ですか……。昔から思っていましたが、察せないものですかね――』


 ナスカと呼ばれた男――、

 本名、ナスカ・ワームアームが、やれやれと肩をすくめて言う。


『私がこうしてメイビー様を襲ったということは、つまりは、そういうことでしょう?』


 そういうことでしょう? と言われても、メイビーは分からなかった。

 予想だにしない光景に、事実に、混乱――、

 信じたくない本音が邪魔をして、思考が上手く回らない。

 いつもならば、さすがに頭の良くないメイビーでも分かるようなことでも、今は分からない。


 ドーム状になっている円盤、ガラス越し、アメンボ内部にいるナスカは、メイビーの未だに、本当に分かっていないような表情を見て、はあ、と溜息を吐き、眼鏡をくいっと、指で上げる。

 オールバックになっている艶のある黒髪は、いつも通り、同色のスーツを着ていて見た目だけならばいつも通りだが、だけど優しく包み込んでくれるような内面は、再現されていなかった。


 恐い。


 怖い。


 メイビーは目の前にいる知っているはずの男が誰だか分からなくなった。一体、誰なんだ、こいつは――、私の知っている彼じゃない、嘘だ、嘘、幻覚で、幻影で、自分のネガティブが生んだ想像の物体でしかない、生命なんてあるように見えているだけで、生きていない、死んでいる、そうだ、このナスカは偽物で、本物は今ものんびりと王宮で待っていてくれて――、


 自分の帰りを――待っていてくれて。


 いつだって、私の味方でいてくれて。


 だから、


 だか、ら――、


 だから?


「――お姫様!?」

 と、呼ばれて、背中を受け止められたが、自分が膝を折ったまま、膝立ちのまま、背中から倒れていたということに、メイビーは受け止められてから気がついた。


「あ、あ……あ、あ……」


 言葉にならない声が、途切れていながらも、しかし止まらない。さっきと同じく、継続して体は自分の思い通りに動かなかったが、そしてこれは錯覚かもしれなかったが、さっきよりも体が動かなかった。体だけではなく、頭の中さえも固まってしまったように、脱力してしまったように――活動が停止したように。


 動かない。


 見えるのは、真上から心配そうな顔をして覗き込んでくる、ドリューの顔。

 メイビーの視界にはそれしかない。

 ドリュー以外が黒く塗り潰されてしまったように、景色が取り込めない。

 

 このまま、ドリューのことも。

 周りの黒に溶け込んでしまうのではないかと、不安になって、涙が、溢れてくる。


 一人にしないで。


 誰も、どこにも行かないで。


 ――私の味方を、やめないでっっ!



 そんな訴えをみっともなく、顔をくしゃくしゃにしながら言って、ぎゅっと、これはきっと無意識だろう――、普段の彼女ならば絶対にしない、まるで赤子のような行動。

 メイビーはぎゅっと、ドリューの指を握っていた。

 赤子とは比較にならない程の握力を持つメイビーが、無意識に全力で、思いを乗せて、握っている。指一本。一本というのは不安な数だ――、鍛えていても不安が拭い切れない防御力しか持っていない指を全力で握られていても、しかし、ドリューは表情を崩さなかった。


「……おいらは――おいら達は、どこにも行かないさ……」


 言って、ドリューは、自分の指を握る小さくて綺麗なメイビーのその手の上から、自分の手を、覆うようにして彼女の手に被せた。

 握ることはしない、力を込めることはしない、そこにいるだけという――、

 だが、メイビーにとっては、一番、安心するやり方だった。


 偶然だった。


 メイビーがそれを望んでいると、ドリューは思ったわけではない。


 自然と行動したことが、メイビーが望んでいることと一致しただけのことである。


『……なるほど、メイビー様は、良い、利用できる駒を見つけたようですね――』


 すると、ナスカがメイビーとドリューのやり取りを見て、言う。


『ここまで生きて来られたのも、あの無人のアメンボを倒せたのも、これを見れば納得ですね。

 あなた達は、想像以上に、できるようだ』


「――っ! 今、なにを言った、あいつ――……!?」


 ドリューが見上げて呟いた。今、メイビーから視線をはずすことはできることならばしたくはなかったが、しかし咄嗟に顔を上げて、メイビーから視線をはずしてしまう程に、ナスカの言葉に驚いたのだ。


 あのアメンボ――、どのアメンボのことなのかなど、問うまでもない。


 あの時の、円盤島でのアメンボ以外に、いるわけがない。


「なにを驚いているんだ、ドリュー。

 分かっていたことだろう――お前だって、大体の予想はついていたんだろう?」


 ドリューよりも前に出たホークが、振り向くことなく見上げ、ナスカを見つめて冷静に問う。


「あいつが姫様を襲う理由と動機も、あのアメンボとこのアメンボが同一犯の仕業だろうことも、予想はついていたはずだ」


 確かにドリューもホークも、あのアメンボが運営側の兵器であり、運営側の仕業であり、メイビーが狙われているということは予想をつけて、分かっていた。

 ホークはその事実を覚えていて、そこから枝分かれのように様々な可能性を頭の中でシミュレーションしていた。

 だから現在のこういう状況も、考えた予想の中には存在していた――。

 なので驚きはしたが、ドリューよりも全然、驚いてはいなかった。


「姫様がここまで崩れる程に、信頼をおいていた相手、ということになるのだろう、あいつは。

 となると――世話係、ってところか。まあ、近い存在ならばなんでもいいが、常に側にいるような存在だった――、でないとここまで信頼するわけがない……。

 あの姫様がそうそう簡単に、他人を信頼するはずがないだろう」


 メイビーからすれば、失礼過ぎる評価であるが、肝心な、本人である彼女は意識が朦朧としているために、ホークのその言葉に反応することができなかった。

 なにも見ていないような、ただ開いているだけの目で、宙を見ている。


「姫様に最も近い存在となれば、世界王が亡き今、それなりの高い地位に就くこともでもできるんじゃないのか? たとえば、そうだな――このレースの責任者、とかな」


「……そうだね、責任者ならば、どうとでもできるしね――お姫様の位置は、いや、お姫様だけではなく、選手全員の位置は特定できるだろうし……。

 監視カメラ、見えない程に小さい粒子型の監視カメラを使えば、簡単だ。

 粒子型カメラを使えるのならば、そこから粒子型の爆弾だって作れるはずだしね――」


 その爆弾が、上で使われたということだろう。

 カメラで追って特定し、アメンボを使って移動して、粒子型爆弾を使って道を壊し、お姫様をここまで、この湖まで叩き落した。


 全てはお姫様を脱落させるため――。

 次代世界王・メイビー・ストラヘッジを脱落させるため。


「――他の役職でもできないことはないが、責任者ならばやりやすい、やりやす過ぎる環境だろう。怪しまれたところで、報告される場所がない。最高責任者が実行犯なのだから、反乱でも起きない限り、自分の持っている兵器よりも強い兵器で反乱をされない限りは、計画に支障はないはずだ――、まったく、上手くできている。

 この状況を意図的に組み上げたのならば、気に喰わないが、俺も感心するしかないな」


『ちっ、ガキが。上から目線がいちいち気になるが、だがまあ、しかし、ここで嘘を言っても仕方ないな――。そうだ、お前の言う通り、そのままで正解だ。

 ただ、意図的にゼロから組み上げた計画だという点は、唯一のはずれだったがな』


「……つまり、どういうこと? 偶然だった、ということ?」


「いや、元々から組み上げられていた――。

 そうだな、土台、舞台が出来上がっていた、と取るべきか」


『メイビー様を、中には命令されて仕方なくの者もいたが、それでも、嫌っている者は多かった。あの性格であの人格だ――、惹かれる者もいたようだが、やはり天秤にかけたら、片方が圧倒的に多かった。寄せ付けない、その点で言えば、メイビー様は確かに、姫様気質だ』


 ちらりと、ナスカの両目が、メイビーを一瞬だけ捉える。


『圧倒的なんだ――気品がな。

 纏うオーラも常人とは一線を引いている。寄り付きたくない感情が、心の奥から溢れ出てくるような感覚なんだ。メイビー様の近くにいたからこそ、分かる。彼女の傍にいれば比べられる、その恐怖から、肩を並べたくないと思ってしまう。

 たとえメイビー様が子供で自分が大人だとしてもだ。そんな境界は存在していない』



 だから――、


『あの人に味方はいない――、誰一人としてな』

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