第26話 遭遇

 すると、ぱきっ、と、枝が折れる音がした。

 後ろから聞こえた音だと分かったドリューは、咄嗟に、後ろを見ることはせず、とんっ、と真横に跳んだ。その場から大げさに、側転を加えながら離れたところで、音の方を見てみる――。

 そこに男が立っていた。


 白色の髪が逆立っており、白のコートを羽織っている――、背中に【男】、と黒く太い字で書かれており、その男は顔を斜め上に向けながら、目はドリューを見下ろしている。


 目を限界まで開いて、睨みつけている――言っては悪いが、驚きはしたものの、まったく恐くはない。この男は不良、もしくは暴走族……、そういう類の、暴力で相手を制圧するタイプの人間だ。暴力に関しては、ドリューも武器を持っているので対応できるし、暴力よりも圧倒的な攻撃力で攻撃することができる。

 だから恐くもなんともない。

 この男よりも恐い戦い方をする奴など、何百と見てきたのだから。


「……言葉は、いるか?」


「いらねえなあ……。おれっちの前に走ってる奴は、誰だろうが蹴散らして進むもんだからよお。……今までもそうだった――だから今回も、てめえも例外なく殺してやんよくそガキ!」


 逆立っている白髪の男の名は、ガスパンプ――これまでの道路にいた選手の全てをこの手で殺してきた、今大会の、もしもあれば、間違いなく一番の【最多殺害記録保持者】である。

 そして日常化してきた殺しの、次の標的に選ばれたのはドリューだったが――彼、ガスパンプは感じることもできていなかった。


 ホークを殺す気で行動している今のドリューが、一体どれだけ危険なことを、彼は感じることも、勘づくことさえも、できていなかった。


 ―― ――


 ホークがこのレースに望むことなく、臨むことになってしまったのとは真逆で、ドリューはこのレースに出場することを――、そしてメイビー・ストラヘッジを守るその任務を、彼は望んで受けたのだった。

 別にレースに出ることにこだわりがあるわけではなく、なにか、子供の頃からの夢でもこのレースに詰まっている、ということでもなく、かと言って、メイビー・ストラヘッジを守りたいということでもなくて――。これからの世界のためには、次代世界王はメイビー・ストラヘッジの方が良いと思ったわけでも、実はなかった。


 周りのことなど眼中になく、最初から最後まで、端から端まで、下から上まで、全てが自分のためだった。


 仕事以外では当たり前だが、仕事の中で遠慮なく暴れ回れるという任務は数少ない。だから【殺し】という、ドリューにとって過去、生き抜くために日常化していた、一定の期間で吐き出しておかなければ仕方ないその【殺人衝動】を遠慮なく発揮できるのは、レースに出ること……そしてメイビー・ストラヘッジを守ること。

 この任務は最適だった。


 血を見なければ落ち着かない――という行き過ぎた感覚までは、さすがに現在の年齢では持っていないが、数年前までは本当にそういう感情を常に持っていて、彼は自分自身と戦っていたのだった。

 しかし、彼もその頃はまだ子供であり、その感情を上手く抑えることができるかと言えば、そうでもなく、無法地帯の中で武器を持ち、平気で殺しをおこなう大人達でも手を焼いていた。


 ドリューの子供時代は、今のハイテンションというか、ノリが軽いというか……、そんな彼を見ている者からすれば、あり得ない、信じられないと思うだろう。

 子供時代――、殺しをしていなければ、彼は自傷をしてしまう癖があった。自分の血を見て笑い、【普通】を取り戻す。そんな少年・ドリューは、無法地帯の中でも最悪の異常者だった。


 それを見た誰かが報告したのかどうかは、過去から数年経った今でさえ分かっていないが、報告を受けた、当時、まだ出来上がったばかりの組織【ドリュー】は、すぐに少年・ドリューを保護したのだった。

 保護、という表現は勘違いか。実際のところ、組織も人手には困っていたし、戦闘員がいればさらに助かるので、殺人衝動を持つ、戦闘において高い能力を持つ少年を自分達の思い通りにできるよう、改造したのだった。


 改造とは言っても、体を弄り回す科学者のようなことをするのではなく、人間として――いや、飼い犬と同じような感覚で、調教をしたのだった。

 殺人衝動が彼を支配しても、敵と味方を判別して指示に従うように、と、少年を操作できるように改造しようとしたのだが、結果を言ってしまえば、調教には失敗したのだ。

 なにをどうしたところで、彼の殺人衝動が目を覚ましてしまえば、あとは本能のままに、殺し続ける――。味方だろうが敵だろうが関係なく、瞳に映る、男も女も、人間含め生物は、全て刈り取られていたのだ。


 命は全て、彼の手の平の上だった。


 それが少年・ドリューの、過去の人格だった。


 だが、もちろん彼自身、それでいいと思っているわけではない。無法地帯で生き延びるために生活していたことで、強制的に身についてしまった殺人衝動のせいで、そんな、もう一人の彼が生まれてしまっただけなのだった。


 当時は二重人格のようなものだったが、年齢を重ねるごとに、二重人格は段々と一つにまとまっていくようになっていった。

 とは言え、殺人衝動が消えることはなく、もう一人が目を覚ませば、やはり周りのものを壊して、殺してしまう。

 彼は泣きながら、嫌な顔をしながら――、

 動くものをひたすら殺し続ける、という、見ていて悲しくなる状態だった。


 彼の殺人衝動は抑えようとしても抑えられない。本人でも抑えられないし、他人でも抑えられない――そう結論付けた本人含め組織の人間は、諦める事にした。

 抑えようとしても抑えられないのならば、抑えようとしなければいい――、操縦が利かない殺人衝動を、限界まで野放しにしておくくらいならば、まともな人格が残っている内に放出してしまえばいい……、そう考えて彼は、定期的に殺人をおこなっているのだった。


 少年時代から今まで――。

 そのおかげもあってか、最近では殺人衝動に支配されぬまま、まともな人格を持ち続けたまま、生活することができている。

 ……定期的に殺人をおこなっているという表現は、それはそれで異常者に映ってしまい、間違いなく異常者なのは変わりはないのだが……それでも彼のためを思って言えば、現在、彼が受けている任務のように、殺しや戦闘が必要な仕事を優先的に彼に回しているのだった。


 犯罪者だから殺してもいい、と言うわけではないが、一般人を殺すよりは、だいぶマシという理由で、彼の殺人衝動を抑えるために、犠牲になってもらっている。


 この、メイビー・ストラヘッジを守るという任務も、戦闘が当たり前に存在する任務である。

 サバイバルレースに出場するのだから、当然、戦闘は起こり、殺しも平然と起こるだろう。


 彼は、この任務が始まる時期に殺人衝動が目を覚ますだろう、ということを感じて知っていた――同じく組織も感じて知っている。だからこの任務が優先的に彼に回ることは当然の結果であり、彼の望みが叶うのも必然だった。


 ホークとドリューの違い。


 この任務への――気持ちの違い。


 しかし結果、どちらもメイビー・ストラヘッジを守ろうという意志は、弱かった。ホークは望まないままに駆り出されて、嫌々やっているようなものだ――、だが仕事は仕事で、彼の性格ならば、任された仕事は最後までやるだろう。だが、それでも乗り気ではないはずだ。


 ドリューは依頼本編ではなく、過程に挟まれる戦闘をして、自分の殺人衝動を抑えるという違う目的があるために、言ってしまえば、メイビー・ストラヘッジを守れなくとも、実はそうダメージはない。殺しが当然になっている舞台に立ちたかっただけなのだから。


 そういうわけで。


 メイビー・ストラヘッジは安全圏内にいるように見えて、実際は危険、極まりなかった。


 本気で守る気がない護衛が側にいたところで、安心できるはずがない――もちろん、いないよりはいる方がマシであるだろうが、それでも中途半端に心を許してしまい、期待してしまうと、裏切られた時、その期待が消えてしまった時、精神的ショックは、途轍もなく大きい。


 そしてそれは、守られる側も――守る側も、同じことが言える。仕事だけの関係で相手に情を移して、良いことなどあまりないだろう――さっき挙げたような例に囲まれているのだから。

 確かに、得することは多いが、しかし損することもあり、天秤にかけたとしたら損の方が多い、と感じてしまうドリューだ。

 この任務だけではない他の任務の時もそうだが、彼は相手に情は移さない、と決めていた。


 だからこそ。


 同じ立場であるホークが、メイビーに少しの情を移していることに、敏感に気づいた。


『――君って、あのお姫様のことが好きなの?』



 無人島に辿り着く前の走行中の戦車の上で、のんびりと寝転がりながら、ドリューがホークにそう聞いたのだった。同じように寝転がっているホークは、その質問に体が反応――、は、ドリューから見ても、特にしていなかった。


 ホークは動じることなく冷静に返す。


『恋愛感情はないが、好きではあるかもな』

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