第13話 二つの思想
「……お前、なんなんだ? 誰なんだ? 私を優勝させて、お前に得なんてあるのか?」
「あるよ。ないならこんな面倒なことなんてしないし、こんな命懸けのレースになんか出ない。
あるからこそ、命を懸けてまでレースに出て、君を優勝させようとしているんだよ。
……君の質問の答えは、詳しくは話せないけど、名前だけでも教えておこうかな。
と言っても、これは偽名なんだけどね――」
偽名ならば聞かなくてもいいだろう――、と思ったメイビーは、少年の口が開く瞬間に言葉を遮ろうとしたが、しかし、第一声である言葉の始めの文字の口の形が気になって、止めることはしなかった。
口の形を追いながら、平行して音も聞き取る。
彼は言った。
「おいらの名前は――『ドリュー』」
ドリューという名は、組織名は、メイビーでも聞いたことがある。
姫様であろうがなかろうが関係なく、というか、知らなければいけないことでもある。
この世界では一般常識化されている二つの思想の一つ――、
片方の思想を目的として掲げている組織が、【ドリュー】である。
水位が異常に増えたこの世界。人間が過去に住んでいた都市は【旧都市】と名を変え、水没してしまっている。彼らドリューの思想は『水位を減らして旧都市を現都市に戻そう』という動きであり、考えである(具体的な方法は度外視した上で)。
水位が上がった過去があるということは、これから先の未来も同じように水位が上がる可能性があるということになる。このままでは水位が上がりに上がって、そのまま大気圏を抜けて、地球から押し出されてしまうかもしれない。
そうなれば地球という星自体が、水没してしまうという、イメージしにくい描写になってしまうが、そういう可能性が隠れているのが、今の現状だ。
そう予言されている。
だから水を減らす。
そして、過去の遺産を再び利用する。
住みにくくなってしまった地球を、住みやすく、水の生物に支配されていない人間の世界へ作り戻す。それを実現させるために、今回の、ドリューの動きである。
しかし、人間の未来を見て、この考えならば、小細工などしなくとも積極的に活動するべきだとは思うが、だが、そう簡単に行動に移せる程に、人間の全員が同じ思想を持っているわけではなかった。
真逆の考えを持つ者もいる――。
すると、少年――、ドリューが目を見開いた。
「――ねえ、メイビー。後ろから、音が聞こえない?」
「勝手に人を呼び捨てにして、慣れ慣れしく呼ぶな。
……まあ、耳を澄ませば、聞こえるが」
微かな音で聞き逃しても責められない、蚊のような音だったが、しかしメイビーにも聞き取ることができた。目の前の少年の話をもっと聞きたかったが、もっと情報を探ってみたかったが、それよりも今は、後ろから聞こえる音の問題を片付けるのが先だった。
ドリューを跨いで、戦車の後ろにある小さな窓から外を見る――、海の中ではあるが、透き通っていて、きれいな水の中なので、後ろの様子がよく分かる。
ぶくぶく、という音は聞こえないが、泡が真上に上がっているので、そうイメージできた。
メイビーは外の景色を見て、言葉が出ない――、
視線の先には黒い物体が、こちらに近づいて来ているのだ。
「なんだ、あれ……は」
見ているだけで分かるのが、どんどんと距離を詰められているということ。
相手が人間なのか、魚なのか、さっきのクラーケンのような、かつての伝説上の生き物なのか、まったくの未知の敵なのかも、分からなかった。
種類はともかくとして、相手はこの戦車よりも圧倒的に速い。
追いつかれるのも時間の問題だった。
「あれは――バイクだね」
と、メイビーの後ろから声が聞こえた。振り向けば、そこにはドリューがいた。
彼は両手は縛られていたが、両足は縛られていないので、立ち上がることができるし、歩くこともできる。彼が座って拘束されていた場所から、今のメイビーの位置まで、距離はあまりない。そのため、彼でも移動できる距離である。
小さな窓から二人――、メイビーとドリューが、外を見る。
「なんで、バイクだって、分かるんだ……」
「君の目は意外と抜けてるね」
気味の悪い表現に少し嫌な顔を示したが、ドリューは構わずに続ける――。
というか、彼はメイビーの変化に気づいてすらいなかったが。
「海の中でも分かる黒の存在感――、そして真上に向かう泡。
空気が出ているだろ? しかも、常に、規則的に、等間隔で空気を吐き出しているということは、ないとは言えないが、生物ではないと思うし、となれば、機械ってことになるだろ。
あとは、シルエットからして、バイクに乗る人間ってところだろうし。
あのシルエットはおいら、見覚えがあるしね」
メイビーも見覚えならばあるのだが、だが当時、見た時は一瞬であり、記憶に残っていなくとも無理はなかった。だが、バイクよりは目立つ、ローラースケートのマシンを使用している彼のことは、遺憾なことに、記憶に残っていた。
その彼――ドリューが、見覚えがあると言っている。その言い方はまるで、行動を共にしていた、と言っているような雰囲気を、彼女は感じ取った。
彼と一緒にいた――ということは。
あの時の、あのバイクの少年。
「――あっ」
メイビーがそう声を出して思い出したのを聞いて、見届けてから、ドリューが言った。
もしも、の可能性であるが、彼の中では確実となっている予想を、口に出した。
「早速、追って来たか……【ホーク】」
―― ――
【ホーク】という名の組織は【ドリュー】とは犬猿の仲だった。
なぜなら掲げる目的は、対になっていて、真逆である。どちらかの組織が目的を達成させれば、片方の掲げた目的は、考えは否定されて、これから先、実行されることも達成されることもなくなってしまう。
どちらかが肯定されて、どちらかが否定される。
相容れない。
両方を取ることはできない。
どちらか――。
どちらか、一つなのだ。
ドリューは増え過ぎた海の水を減らす思想を持っている――、過去を取り戻す、まるで後ろ向きとも取れる思想だが、それはホークの中だけの考えであり、彼らドリューにとっては、もちろん、前向きなのだろう。
そんなことは分かっているが、敵の位置にいるホークはそうでもして、そう言い聞かせて、ドリューを敵として、認識を刷り込ませている。
組織として。
教育として。
そして、ドリューの思想とは真逆で、ホークが掲げる目的は、増えた水を『さらに増やす』というものだった。ドリューは人間としての価値を取り戻す、という未来への目的があるのだが、だがホークの場合は、そういう未来への、人間のための目的は、
その掲げる思想の中には、なにもなかった。
なに一つとして。
あるとすれば、それを強いて挙げるとすれば――、
彼らホークは【神】を信じている。だから空に、天に近づくため、水を増やすという目的は神に近づくための手段でしかない。
救われるための、過程でしかない。
神がいるだなんて証拠はないし、救われるだなんて確証もない。
まるで――というか、それはもう、宗教そのものだった。
だが、それでも現に、世界ではこの二つの思想が、真正面からぶつかり合っている。
水を増やすことは、それでも確かに、神頼み以外にも、理由はある。
海の生物がなぜ人間を襲ってくるのか――、もちろん猛威を振るってきた人間への復讐という側面もあるかもしれないが、しかし考えてみれば、そんな感情論で襲ってくる生物は、極少数でしかなく、大半の生物は人間と思考が似ていて、危害を加えなければ襲ってはこない。
人間だって同じだ。わざわざ敵対しようと行動する人間は、いない。いたとしても、人格が破綻している者で、そうでない人間でも、敵対したとしても、相手を殺そうだなんて思わない。
そこにはやり過ぎという、精神的なストッパーが存在している。
生物だって、同じ。
海の生物が人間を殺そうと本気で動くのは、自分の領域を、世界を侵食されたから。
危害を加えられない保障があれば、生物だって人間を襲うことなんてないのだ――、理由がないのだから当然だ。弱肉強食の世界ではあるが、それでも海の生物は同じ海の生物を狩ることで食事はできるのだから、わざわざ人間を襲うことはない。
味はどうだか知らないが。
海の生物にとって人間は、高級品なのかもしれないが。
今の段階では、人間の世界と海の生物の世界は――近過ぎるのかもしれない。
区別ができていないのかもしれない。
さっき現れたクラーケンも、海の生物の基本的な領域と、人間が住む海面上の距離が近いからこそ現れたのかもしれない。
だったら、その距離を離してしまえば――、さらに水位を上げて、海の生物が海面までわざわざ来る、そのやる気を削ぐ程に距離を離してしまえば、現れることはないのではないか――。
支配者となって君臨している海の生物に、襲われることはないのではないか――。
もちろん、これにだって確証はないし、問題はいくつかある。海の生物が諦めないという可能性もあるのだから、距離を離したところで、現実はなにも変わらないかもしれない。
それに、水位が上がってしまって、人間が食べる食事が、主に魚関連になってしまっている。
肉などは、人口的なもの――。
魚は直接、獲らなければいけなくなり、結局は『関わらない』という手は使えないのだ。
関わりは切れない。
切っても切れない縁になっている。
水を減らすことで、海の生物と戦う道と、
水を増やすことで、海の生物から逃げる選択。
どちらかが正しくて、どちらかが間違っているなんて――分からない、決められない。
決め切れないからこそ、長くこの問題が続いている。
議論しても意思をぶつけ合うだけで、話し合いにならない。
全てが一人一人の宣言になっているのだ。
会話とはとても言えない。
そんな不毛な争いはそろそろ、終わりを迎えるべきだ。
そろそろ――決めるべき頃合いだろう。
海の生物がこれ以上、待ってくれるとは思えない――。
いつ、人間の世界を壊しに来ても、おかしくはないのだから。
だったら――、
決めてもらうしかない。
世界の代表である――【世界王】に。
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