第11話 第一関門 その2
メイビー・ストラヘッジが目で見て確認した、クラーケンの足の上を器用に走行するバイク少年――、あんな、バランス自体がクラーケンよりも脅威を振り撒く、あの場所で平然と走行できる彼の謎の種を明かしてしまえば……、
あれはメイビーの主観で言えば、に限った謎で、驚愕で、人間の技術ではないように見えているが、実のところ、バイク少年はクラーケンの足の上に、一秒と乗ってはいなかった。
勢いだ。全てが勢い。
最初から最後まで勢いだけで、力技でしかなかった。
たまたまメイビーが、バイク少年がクラーケンの足を走行している、限られた場面を見ていたに過ぎなかった。だからこそ、人外的なバイク少年の印象を受けてしまっていたのだ。
実際は全然――それでも普通だとはとても言えないが、印象と想像を越える程の異常性ではなかった。異常性を言えば、ローラースケートの少年の方がよっぽど異常だ。
小さな、たった一人の人間が、
巨大なクラーケンの巨大な足の攻撃を避けられるわけがない。
真っ二つに斬れるわけがない――。
『あいつ……!』
少年はしっかりと、スケート少年のその光景を見ていた。クラーケンの足に着地し、同時に跳ねてから、空中で、そう呟いていた。
今、完全無防備な状態だが、もしも攻撃されても、回避方法も迎撃方法も頭に入っているので、丸腰ではない。
彼には積極的にこのクラーケンを倒そうという気持ちはない。
『邪魔をするならば消す』というスケート少年と同じ思考回路をしている。
そして彼もまた、攻撃されそうになっているメイビー・ストラヘッジを助けるために動いたのだ。スケート少年と比べれば遅れて動いたが、彼とはまったく違う別の角度からの攻撃を、一つ防御し、メイビーにもスケート少年にも認識されないまま、彼女の命を救っていた。
目立たないところで、目立たないように――、それは、彼の意図でもあった。
とは言え、目立たないようにと言っても、攻撃方法、防御方法は、見ている者を楽しませるような激しい動きだったが、観戦者が少ない今に限っては、目立つことがなかった。
彼のバイクは他のバイクと比較して、圧倒的に軽い。メイビーのような線の細い女の子でも持てるくらいの重量しかなく、となれば、少年が自由自在に振り回せるのは、当たり前である。
軽いからと言って、元々の性能が落ちることもなく、バイクから出力されるエネルギーは通常のバイクと変わらず――、いや、それ以上かもしれない。
それ以上――確実にあるだろう。
細かくは語らないが、彼がおこなった防御方法は簡単なことだ。戦車の真横から迫るクラーケンの足を、向かい討つのではなく、脇の柵を無理やりに、垂直に上り、跳躍――。
そして真上からスタンプを押すように、クラーケンの足を踏み潰したのだ。
それで相手の動きを永遠に止めることができれば満足だったが、どうやらそれは叶わなかったらい。しかし、それで攻撃を緩めることはなかった。
バイクはクラーケンの足の上にある――、
タイヤはクラーケンの足の上にある。
それならば――、
全力全開でタイヤを回し、摩擦で焼き切る。
タイヤの回転は速く、ほんの数秒で、クラーケンの足を斬り、分断させた。
そこからクラーケンの足を、一秒にも満たない時間、走行して渡り、すれ違う他の足へ跳んで着地――、そこからまた跳んで……を繰り返して、今に繋がるわけである。
バイクに乗りながらのアクロバティックな動き――、もしもこれが通常のバイクならば、とてもじゃないが、できるわけがない。
空気のような軽さのバイクと、爆弾の衝撃を防ぐ、加えて自分の運動神経を補助して倍増させる機能を持つライダースジャケットを着ていなければ、ここまでの動きはできなかった。
クラーケンの足から足へ渡ることなど不可能だっただろう。
ここまで辿り着くことなどできなかっただろう。
彼は、ここで生きていることがバイクとジャケットのおかげだということを分かって、理解している。その自覚は後々の展開で、彼を不利な状況には決してさせないだろう。
そして今――、クラーケンの足というイレギュラー過ぎるコースを走ってきたが、今やっと、元の海上道路に戻ってくることができた。
前を走る戦車よりも随分と後ろに着地してしまったが、まだまだ追いつける距離である。
その時、
『……! ――なんだ、今の音!』
――破壊音だった。
前方から――破壊音が聞こえてきた。
少年の頭の中を占めているのは、嫌な予感と予想だ。
音を分析すれば、どういう原因で起こった音なのか、簡単に分かってしまう。
まあ、それよりも前に、視覚的になにが起きたのか、もう知ってしまっているのだが。
それでも、現実逃避はとりあえず、一度はしてみた。すぐに現実には戻ってきたが。
『……やられた、――道路が、壊されたっ!』
つまり、前に進むことができない。
道路から道路へ、中間を失った道路を通ることはできない。
自分ならばまだしも、あの戦車に『大きく跳躍』できるような機能があるとは思えない。
だから彼女はこのまま進み、海に沈んでいくだろう――水没してしまうだろう。
どうにかしようにも、考える時間があれば、まだどうにかできる可能性があったかもしれないが、今は圧倒的に時間が足りない。
距離を詰めて追いつけても、その時には既に、彼女は海中にいる。
そして現実は思った通りに――しかし、望まない方向へ進んでいく。
彼女を乗せた戦車は速度を落とすことなく、水の中へ跳び込んだ。
あの大きさ、重さの戦車が跳び込んだので、水飛沫は強力だ……、少し離れたこの位置まで飛んできている。
頬のあたり――、フルフェイスヘルメットを被っているので、皮膚で感じることはできないが、水が数滴、ヘルメットに付着した。
拭うことなく、その水滴は向かい風によって後ろへ吹き飛ばされていく――しかし、少年はそんな飛沫も目に入らなかった。
数滴の水よりも、意識を奪われる光景を今、見てしまったのだから。
『…………先を、越されたか……』
悔しそうに、ハンドルを、がんっ、と叩いたが、しかし少年はすぐに顔を上げる。
初手を先に仕掛けられたことに、怒りを覚えていても今は仕方ない。今は忘れて、前を見る――進むしかない。
すると、道の先、段々と水面が見えてくる。
このまま進めば自分も水の中へ跳び込むことになるだろう。
それでいい――。
そうしなければ、いけないのだ。
―― ――
どぼんっ、という鈍い音が戦車の中にいる彼女にもしっかりと聞こえていた。
目で見て理解はしていたが、やはり体感しなければ、現実をきちんと現実として、認識できないだろう――。どこか嘘臭くて、どこか現実離れてしていて、どことなく夢かと思ってしまう。
そう思ってしまうのは、今後の対応に関わってくる……、弱点となってしまうだろう。
なので、理解しなければまずい――。
彼女は、実際にゆっくりと浮遊感を体感することで、自分が乗る戦車が、海の中に跳び込み、海の中を進んでいることを本当のことだと認識できた――。
ここで認識できた強みは、かなり大きい。
彼女は現実をきちんと、しっかりと見つめる余裕があるということだ。
彼女は外の景色のきれいな水の中――、青色の景色……、前方、遥か先を見つめながら、なんとなくこういうこともあるだろうと思って、一応、搭載しておいた戦車の後ろの小さなポケットから、スクリューを出した。
スクリューの小さな駆動音を聞き、車体が前に、ゆっくりではあるが、進んでいることに頷きながら確認する。ひとまずレバーを離した。海上道路は真っ直ぐに伸びていた。
細かく、ここから何メートル先まで――、まではさすがに覚えていないが、海の中に存在する影で、道路がカーブしているかどうかが、確実に近い可能性で分かる。
そして、影は、しばらくは真っ直ぐだ。前に進みながら、重さで戦車は沈んでいるが、影が見えなくなることはない。
周りの色との違いを見るのだ。影の下はまるで世界が変わったように周りと比べて変化が大きく、光っているように明るい。どこまで沈もうが、影とそれ以外を見分けることは可能だ。
まあ、それも限度を過ぎれば、分からなくなるのは当たり前だが。
「ふう……」
背もたれに全体重を預けて、顔は真上に――。
長く伸びる金髪を、暇そうにしている手で軽く撫でながら、彼女――、メイビー・ストラヘッジは、溜まりに溜まった緊張を、溜息として吐き出した。
こうしてのんびりとしていられるのは、諦めたからではなく、
スクリューがどんどんと威力を強めていき、やがて、このピンチを走る戦車にとって、良い結果になることを分かっているからだ。
しばらくすると、戦車の向きが安定してきた。砲口が前に突き出している戦車は、タイプや構造にもよるだろうが、ともかく、彼女が乗っている戦車は、前方の方が重い。
なので前傾姿勢のまま、沈んでいくことになる。
だが、さっきまでは確かに前傾姿勢で沈んでいたが、今はさっきとは違って、真っ直ぐになっている――安定している。
スクリューが。
車体を平行にして、海の道を進ませているのだった。
「まさかほんとに、海の中に落ちるとは思わなかった……」
予想していたことではあったが、楽観的に「ないない」と言い切ってしまっていた予想であった。内心で思ってはいても、対策はしないという、万が一に備えない彼女の準備ではきっと、今頃は手の打ちようがなかっただろう。
しかしそんな『備えない』彼女に助言をする『誰か』がいたということになる――。
だからこそ今、彼女はこうして救われているのだ。
「ナスカには、感謝しなければいけないな――」
自分の世話役である、年の近い、とは言え、五つ以上も年が離れている男の顔を思い出しながら、感謝を込めた。
もしもあの時、あの場所で――、
もしもレースの前々日に彼が言ってくれていなければ、ここで詰みだった。
どうしようもなく沈んでいき、レース優勝という夢は破られていた。
父の意思を継ぐことなどできなかった。
父の気持ちに、応えることはできなかった。
すぐに脱出すれば、なんともないかもしれないが、最悪、死んでいたかもしれなかった。
だから――、
「帰ったら、手作りのクッキーでも焼いてやろう」
そのためには作り方を覚えなければな――と、普段の彼女だったら絶対に出てこない言葉と発想力が、なぜか今、平和とは真逆の世界で出てきた。環境が、彼女の見せない一面を見せたのだろうか――、そこで、だ。
彼女は、違和感を、抱く。
メイビーは座席の脇にある、小さな取っ掛かりを引っ張り、背もたれを倒す。
視界が広がった後ろの空間へ、顔を向けた。
振り向いた。
そこには、頭を下にして、足は上――、だが、力なく垂れ下がってしまっている足は、顔と同じ位置まで下がっている。
そして、その足には靴――、普通ではない、ローラーを装備している靴を履いていて、両の足の間から覗いている表情は、苦笑い……そんな少年がいた。
少年が言う。
「おいらは――君を助けに来た
「そんな体勢じゃあ説得力がまったくないぞ――変態じゃないか」
がちゃりと拳銃が向けられる。
ちなみに状況を説明すれば、少女が拳銃を向けて、少年が向けられている。
――拳銃の弾は、少年の玉を二つ、狙っていた。
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