第10話 第一関門 その1
クラーケンの出現によって、道路はぼろぼろで、いつ崩れてもおかしくない。
だが、海の上に設置されている道路は、丈夫だった。まともに怪物の足で叩かれてしまえば、当然、破壊されてしまう程度の耐久値ではあるが――それでも、衝撃に乗って叩いてくる海の水だけでは、その耐久値を削ることはできない。
津波の打撃だけでは、道路はゆらゆらと揺れ動くだけで、根本からぼきりと折れることはない。それだけが救いだったが、とは言え、安心ではない。さっきも言ったように、クラーケンに足で攻撃されれば、ひとたまりもなく破壊されてしまう。レース続行は不可能である。
海に落下してしまうのだから。
それはそうだろう。
だが、海の中に沈んだところで、レース的には問題はない……とは思うが――、という曖昧な認識ではあったが、勝手な予想というよりは、決めつけだ。大丈夫だろうと、安心を作り出す。
なのでレースについては、海に落下したところで、優勝はまだ狙える。
それだけでも頭の中に入れておけば、この混乱している状況でも、迷わず前に進める。
ぎゅっと、汗でびちゃびちゃな――そういう感触がしているのが分かる両手で、レバーをしっかりと握り、操作する。
戦車型マシンは道路の上を進み、クラーケンの足に注意を払いながらも、ここは攻撃をせずに通り過ぎることで危険を回避しようとした。
空中で不規則に動くクラーケンの足は、まったく読めない。関係ないところに移動したかと思えば、すぐ隣の地面を叩くこともある。だからいつ、このマシンが叩かれてもおかしくはない。
最悪の想像に、覚悟だけは決めておき――ひたすら、ここは逃げに徹する。
あんな怪物に、真正面から攻撃を挑むなんて、馬鹿のすることだ。
そう――馬鹿のすること。
「……は?」
きょとんとしながら声を出してしまう、メイビー・ストラヘッジは、戦車の速度を無意識に、驚きによって落としてしまう。減速は死を近づけさせる。それが分かっていても、広がる視界の中に映る光景が、どう考えても、どう考えようとしても、理解できなかった。
前方――、
迫るクラーケンの足へ――、跳んで立ち向かう少年がいた。
クラーケンの足の上を――、器用に走行している少年がいた。
あの少年二人は、さっき彼女が、『なにかを勝手に期待して、勝手にがっかりして』しまっていた、身勝手なお姫様のわがままの対象になってしまっていた、あの少年二人だった。
「…………」
メイビーは、薄らと笑っていた。だが、自分へ迫る危険は変わらないことを頭の前方に置いているので、思い切りは笑えなかったが。
そして、自分の表情の変化を冷静に分析して、メイビーは自覚した。
「…………期待通りで、嬉しいのか――」
期待通りのその『なにか』は、自分の中でもまだ答えが出ていない、謎のままだったが。
彼女自身、自覚はなかったが、この時点で彼女の中――心の奥底で、一つの計画が練られていた。さすがに彼女でも――自己の評価が高い彼女でも、自分一人の力でこのレースを優勝することは難しいと考えている。
自分一人の力で優勝するからこそ、次代世界王として認めてもらえるだろうという当初の目的意識は既に消えてしまっているが、それはそのまま――、他人の力を上手く使ってこそ、利用してこそ、それも自分の力だと解釈できる。
だからだ――、ともかく彼女の中には、現時点では形として出現していなかったが、それでも眠っているように思考として存在しているのは、他選手との『手を組む』という――、
協力作戦。
あの二人のどちから――、もしくはその二人……二人とも。
期待通り、というのは、彼女の中では共にこれから先のレースを生き延びることができるのか、彼ら二人の基本的な能力を見てのことだったのだ。
さっきは実力を出すことができずに見られなかったからこそのがっかりだったが――、今は、見ている、観察している。期待通りだったからこその、『期待通り』という発言だったのだ。
メイビーの計画は、ひっそりと水面下で、見えないくらいに薄く張られている。
―― ――
ローラースケートの少年が、振り下ろされるクラーケンの足に、真っ向から勝負を仕掛けたのには、もちろん理由がある。
基本的に軽いノリで、おふざけが過ぎてしまう性格で、彼ならば理由がなくとも無駄に危険の渦の中、中心地点へ跳び込むことはあり得るが……、
それでも今回はきちんと、目的のためだった。
誰かのためだった。
彼女のためだった。
クラーケンの足は、次代世界王メイビー・ストラヘッジを叩き潰そうとしていたのだ。戦車ごと、彼女の体をぺっちゃんこに――、などという可愛らしい表現では足らないだろう。見るも無残な状態になるだろうことは、予想できた。
彼女にいま死んでもらっては困る。だから少年は、斜め前方から見えていた、戦車を叩き潰そうとしているクラーケンの足に気づいてすぐに動き、戦車を足場にして前方へ跳び――、
真っ向から勝負を仕掛けた。
勝てるかどうかは今は考えず、関係なく――、
その一撃をどうにか逸らすことだけを意識する。
とは言え。
「余裕がなければ逸らすだけ――余裕があれば、それ以上の成果でもいいんだよ……ね!」
語気を強めたと同時に、回転刃を出して空中で横に一回転。
自分の体よりも数倍以上の大きさもあるクラーケンの足を、横に真っ二つにぶった斬った。
くるくると舞う千切れたクラーケンの足は、道路からは離れていき、海へ落下した。
水面が乱れて、小さな津波と水飛沫による、一瞬の雨が降り注ぐ。
クラーケンの足はこれで七本――、だが斬った足は、しかし短くなっただけで、その短くなった足でも攻撃が実はできる。
リーチが短くなっただけで、それはそれで、大きな変化で大きな影響を生み出すが――しかし状況的にはあまり変わらない。
残りの七本の足が今みたいに牙を剥く可能性は、当然と言える程にある。
まだ終わりではない。
ここからだ。
ミクロン糸線を使ってタコの足へ糸を飛ばし、引っ掛け、空中で舵取りができる状態にする。
これで空中を飛ぶように移動できるようになった。しかし、レース中であるので自分の体の位置は常に前へ動かさなければならない。
糸を使っての戦いで、その動きは少年にとって、初めての戦い方だった。
(ミスするかもしれないな……。
でも、だからっていつも通りの戦い方ってわけにもいかないでしょっ!)
そう――状況を考えれば。
レース中でなく、目的の少女が一位を狙うために、レースを中断することなく前に進んでしまっているという今の状況でなければ、戦い方も今までのものでいいとは思ったが、残念ながら、そんな上手い話はない。
条件は少年にとって、厳しいもののまま、確実に固定されていく。
不利な状況でも、しかし少年にとっては小さなことだった。
(丁度いい……新技の開発でもしようかな――って、んんんん!?)
少年の心中で、言葉が乱れた。しかし、少年の肉体に関して、これからの行動を妨げるようなものなど、少年がそこまで取り乱すようなことは起こっていなかったのが――、
だから彼に関してのことではなかった。
彼が心中で取り乱したのは、道が無かったからだ。
道路が途中で破壊されていた。恐らく、クラーケンの残りの七本の内のどれかの足が、少年の気づかないところで道を叩き、破壊していたのだろう。
そう言えば、前を走っているはずの他の選手がどこにもいない。クラーケンに殺されたか、クラーケンに出会う前に通り過ぎたか……、
少年にとってはどちらでも良かったが、現実は半々と言ったところだろう。
証拠はなにもないが、なんとなくの解である。
それよりも問題は――、道が途切れているということは。
走る戦車は、このままでは水の中へ飛び込むことになる。
(――どうする!?)
もう少し気づくのが早ければ、やりようはいくらでもあった。
考える時間があれば、やりようはいくらでもあったが――、そんな過ぎたことを悔いても、反省していても仕方ない。今は、今、できることをやるだけだ。
ここで再び、問題が浮上する。
彼は力強く、自分へ向けて問いかけた。
「――どうする!?」
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