第49話 ニカの乱 3日目(3)
ぶち上げた謁見の間から退出して、奥の私的な部屋に戻る。
ごてごてとつけた装飾品を外して動きやすくするためだが、他にも理由があった。
相前後して謁見の間から退出したペトルスとナルサスが合流する。
そしてその3人の前に、男が後ろ手に縛られて跪いていた。
貴族らしいこざっぱりした男の背後には、その使用人らしい男も一緒に座らされている。そしてその横に、彼らを結んだ紐を持つ護衛兵が数名。
「捕まえたのは、彼らだけか?」
「はっ!」
ナルサスの問いに、護衛兵の隊長がきびきびと答える。
「朝儀の後、謁見の間から密かに退出した者は2名おりました!事前に官房長官から注意するように言われていた者たちです!
下使えに何やら指示しているところを押さえましたが、1人は激しく抵抗したため、これも官房長官の指示に従い、切り捨てました!」
「ご苦労」
まったく表情を変えないため、労っているように思えないナルサスの言葉だ。
「と言うことは、抵抗せずにお縄についたのがこいつというわけだ。なあ、プロコピオス?」
ペトルスに名前を呼ばれた縛られた男は、ビクッと震えておどおどと皇帝の顔を仰ぐ。
その顔にはテオドラにも見覚えがあった。いつもは取り澄まして、時折下層民出身のテオドラに対する嫌悪の顔さえ見せる男だ。もっともそんな貴族は山ほどいるので、別にも気にもならないが。
「青党軍人の中心とも言えるベリサリウス腹心の書記官殿が、内通者とはなぁ」
「も、も、申し訳ございません‼︎こ、こ、れは、その……、一時の気の迷いと言いますか……」
「3回も密使を送ることが、一時の気の迷いですか?」
そうナルサスに詰められて、プロコピオスは言葉が出てこない。
「あなたの裏切りを聞いて、ベリサリウス将軍も驚愕し謝罪の弁を述べてました。あなたの敬愛する将軍にそんなことをさせて、心は痛みませんか?」
「そ、それは、その……」
蛇の目とも称される、無表情なナルサスの尋問を受けてまともに答えられないプロコピオス。
ちなみに当のベリサリウスはこの場におらず、先ほどの謁見の間にて、トリボニアノスと共に武力鎮圧のための詳細を他の将軍や貴族へ指示確認している。
「官房長官。逃げ場なく責めては答えられるものも答えられぬだろう」
ペトルスが助け船を出すと、プロコピオスは助かった表情をあらわにし、ナルサスは無言で下がる。
「優柔不断な余の態度に動揺したのは、プロコピオスだけではなかろう。その意味では我らにも責任はあると言える」
あえて自らの責任を述べたようなペトルスの言葉に、コクコクと大きく頷くプロコピオス。目には媚びた色も見える。
「だが、我らを、しいてはベリサリウス将軍を裏切っていたのは事実。それは認めるな?」
「………はい」
視線をさげ、観念したようにプロコピオスが返す。
「ならば、今度は我らに協力することでその罪を相殺せよ。できるな?」
「……私に何をやれ、と?」
怯えたような表情で顔を上げたプロコピオスに、鷹揚に笑うペトルス。
「お前は走り書きの密書を、この下使えの男に持たせて競技場に行かせようとしたな。
その内容は……、『皇帝側は武力鎮圧を決定。警戒を厳にせよ』か。いや危ない危ない」
プロコピオスが書いた小さなパピルスを、ペトルスが読み上げる。
少し俯いたプロコピオスの耳元に口を近づけ、ペトルスが続ける。
「新しい密書をこの場で書け。内容は『皇帝側は都落ちを決定。空いた皇宮に速やかに占拠せよ』だ」
プロコピオスの頭がビクッと上がり、目が見開かれる。
「分かるな?その情報をあちら側が信じれば、警戒は解かれる。その功は、裏切りの罪を相殺するに値するぞ」
「やらせていただきます!」
勢い込んでプロコピオスが答える。その表情からは、安堵と媚びと必死さが混ざったような、なんとも形容し難い感情がテオドラには伝わってきた。
「手縄を解いてください!あと愛用のペンと墨も!部屋にありますから!」
文盲のテオドラにはわからないが、プロコピオスは美文家、能書家で知られているらしい。当然お気に入りの道具もあるのだろう。
いいだろう、とペトルスはにんまり笑って護衛兵に命じる。
内通者をあっさり協力者に仕立て上げたペトルスの手腕をみて、あらためてテオドラはこの男の凄さを知った。
その人の性格を瞬時に見とって、寝返らせるための最適の言葉で操る。
『そういや、あたしとの結婚の時も、抵抗するあたしを言葉ですぐ懐柔したっけ……』
以後、ペトルスの横で彼の説得と懐柔を受けた者を何人も見てきたが、彼に靡かない者はほとんどいなかった。
『でもまあ、これで仕込みは終わったわね。やっとアナの仇が撃てる』
テオドラは目立たないように、拳をグッと握った。
♢♢♢
約一刻後。
皇宮の扉が開き、武装した兵士がわらわらと飛び出していく。
少し遅れてベリサリウスが現れ、兵たちを指揮して東の船着場へ向かう。
続いて緋色の帝衣をつけた男、そして皇后らしい女性がいく人かの女官をつれて、慌てふためきながらその後に続く。その背後から箱や長櫃を持った兵士もやってくる。
護衛兵を連れて都落ちする皇帝夫妻、というふうにしか見えない。
「……なかなか演技上手よねぇ」
その光景を、本物の皇后たるテオドラは皇宮のテラスから見ていた。
「そんなに顔を出して、競技場の見張りにみつかりませんか?」
「ここなら建物の陰になって見えないわよ」
メッサリーナの言葉に答えるテオドラ。
テオドラがここにいるということは、眼下に見える皇后風の女性は偽物ということだ。
実は女性でもなく、小柄な兵士に女装させているだけだ。皇帝や女官も同じではあるが、遠く競技場の上から皇宮を見張っている暴徒側からは区別はつかないだろう。
「皇后陛下役の者は中性っぽい風貌の若い兵士だからいいですが、私の身代わりの兵士なんて髭を剃るのを嫌がって、結果髭のある女官ですよ?」
「そんなの遠くからは見分けつかないでしょ?ほら、扇子で顔を隠すようにしているし」
「それはそうなんですけど……、なんか納得いかないですよねぇ」
そんな会話をメッサリーナとしているうちに、眼下の集団はそのまま船着場に横付けされている船に入り、慌ただしくもやいを解いて出港していく。
船が遠ざかっていくのを見ながら、2人は屋内に入った。
廊下を進み、大本営と化した謁見の間に入ると、皇帝ペトルス以下青党貴族や護衛兵、駆け込んでくる伝令兵が、声を上げ活気よく動いている。
「当方の偽装部隊は船着場を離れました!」「競技場上層の敵見張兵、喜んでいる姿が見えます!」「よし、騙せたな」「他の高所の兵も、持ち場を離れ始めています!」「ふん、皇宮接収部隊でも編成するつもりか。甘いわ」
「よし、階下のムンド隊長に連絡せよ」
「はっ‼︎」
帝座に座ったままでペトルスが命令すると、伝令兵が走っていく。
敵の見張りが油断している今なら、破壊した壁を抜けて通用門に取り付いても、見つかることはないだろう。
と、競技場からは毎度毎度の「ニカの歌」が聞こえてくる。勝利を確信した暴徒側が、ここぞとばかり高らかに声を合わせ大合唱しているのだ。
「大丈夫だ、バレてない」「ご苦労なことだ」「それが最後の歌になろうとは思ってないのだろうな」
その場にいた青党貴族は目を合わせて不敵に笑う。今まで威圧されてきたニカの歌だが、こんな時に歌うとは、油断していることを図らずも暴露しているようなものだ。
やがて階下から、軍隊が移動する音が聞こえる。足音や鎧や剣が触れ合って起こる金属的な音が特徴的だが、ニカの歌にかき消されてしまう。
やがて、先ほどの伝令兵が戻ってきて、
「突入部隊、侵入に成功しました!相手に見つかった気配はありません!」
と報告すると「よし!」「やった!」と歓声が上がる。
「ご苦労!しばし休め。また走り回ってもらわねばならんからな」
「はっ‼︎」
『マキシ兄、無理しないでね。あんたなしには生きられないコミ姐や、かわいい娘もいるんだからね……』
テオドラは突入部隊の案内を買って出た義兄を思う。
聞いた感じ、奇襲は成功しそうだから危険は少ないと思いたい。もうこうなれば、マクシムスの強運を信じて祈るしかない。
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