第18話 食事と職業と華燭の典(6)
いいチャンスだから、あたしもあっちに行って戦車ドライバーたちに『営業』かけてくるわねー、とメッサリーナが離れていく。
ドライバーも各チームのエース級なら下手な貴族ぐらいには金がある。『青玉の酒場』にも欲しい客であるので、メッサリーナの言うことに間違いはないが、半分以上はテオドラとペトルスを2人きりにするためだろう。
メッサリーナは、客がどのスタッフを狙っているかをすぐ察する事ができる。それも娼婦としては重要な適性だ。
今までの2人の関係から考えても、場を離れた方が良いと彼女が思うのも当然といえる。
とはいえ、2人きりになったからといっても照れるような関係でもない。
2人ともワインの入った杯を傾けるながら、コミトとマクシムスの座っている主賓席の方を、並んで座って見ていた。
「ありがとね」
その沈黙を破ったのはテオドラだ。
「それは、何に対しての感謝?」
ペトルスは目だけをテオドラに向けて聞く。
「この結婚式だよ。リックスが口を効いてくれたら、今までのらりくらりしてた教会が信じられないくらいあっさり許可してくれたもの」
地元のこの教会の、細身で酷薄そうな目の司祭はせせら笑うような顔で「悔い改めが足りませんな」と、更なる献金をもとめてきていたが、異動時期でもないのに急遽恵比寿顔のふくよかな司祭に代わり、「主に感謝を!お2人に幸あれ!」と、とんとん拍子に婚姻の許可が降りたのだ。
「いや、いいきっかけだったよ」
ペトルスは、大したことじゃないふうに軽く笑って杯を口につけ、続けた。
「最近の教会は、皇帝の配慮をいいことに目に余る行動が増えてきたからな。賄賂はもちろん僧職売買や闇営業も目立つ。ちょっと引き締めをしようかと思っていた所だった」
「前の陰険そーな司祭は、どっかに飛ばされた?」
「教会に細かい人事までは口出しできんよ。だが、闇営業に下の者へのパワハラ、私的なことに配下の人々を使う、さらには稚児へ性的行為の強要と、結構やりたい放題だったらしいな。あの司祭は。内部告発も握りつぶしていたらしい」
「それだけ腐っていて、よく聖職者を名乗れるわねー」
「対応した教会の司教も苦りきった顔をしていたな。すぐに左遷されたのは自業自得というものだろう」
ペトルスは軽く酒を飲み、続ける。
「あちらさんも、教会人事に皇帝権介入はされたくはないだろうが、あんなのを放置していたのは、明らかに教会の監督不行き届きだからな。これもネタのひとつとしてちくちく教会を突いていくさ」
「あー、
テオドラも杯を傾けながら、ペトルスに突っ込む。
『こういう抜け目ない部分が、リックスが貴族たちから怖がられる理由なんだろうね……』
その言葉はワインと一緒に飲み込んだテオドラだった。
しばし会話がなくなり、再び主賓席の2人を黙って見る。
コミトとマクシムスの周りには、まだ人だらけだ。笑顔と笑い声が絶えない。
「もしかして、コミトさんの花嫁姿に見惚れているのか?」
顔も向けずに、ペトルスが話しかけてきた。
「花嫁姿?まさか。……あー、でもそうなのかも」
「お、ドーラも結婚に興味を持ったか」
「なんでリックスが嬉しそうなわけ?そうじゃなくて、コミ姉の笑顔が、さ」
テオドラは杯を持った手で、笑い声でうるさい中でも『お眠』になりかけているソフィアを抱き、慈愛の眼差しを向けているコミトを挿す。
「あんなに嬉しそうなコミ姉は、久しぶりだからさ。
あの人、『わたしは大丈夫だから』が口癖で。
大丈夫じゃない時も、そう言って笑って誤魔化しちゃうんだよ。でも嘘つけない人だから、その笑顔が痛々しい時もあってさあ……。
でも、今日はホントーにいい顔してる。
あんな顔をさせてあげられることができて、その笑顔を見ているだけであたしも嬉しくなるんだよ」
「それはわかる」
ペトルスが合槌を打つ。
「俺も為政者なんてやってるから、自分の政策で喜ぶ人を見ると思わず顔が綻ぶ。それが知り合いなら尚更だ。為政者冥利に尽きる。
まあ、
そう言って、照れ隠しのように、くいっと杯をあおる。
「統治者が大変なのは、いつもの愚痴でよくわかるわ」
空になったペトルスの杯に、テオドラがワインを注ぎながら言う。
最近は、『青玉の酒場』に来るとともに上にあがり、酒を傾けつつ溜まった不平不満をテオドラ相手にぶちまける事も多いペトルスだ。
「正直、よく政治家なんてやるよねぇって思っていたけど。まあ、こういう見返りがあるなら悪くないよねー」
「……だよなぁ。執政官を何年もやっているとさ、そういう基本的なことを忘れて、自分への支持とか派閥の力関係とか、そっちばかりに目がいってしまう。それは本来、やりたいことをやるための手段のはずなんだが、ともするとその基盤強化の方が目的となってることも多くてな。
時には初心に戻るのも、悪くないな。
……とか言って、この事だって教会への布石にちゃっかり使ってるがな」
「いいんじゃないの、それで。少なくともあたしはコミ姉の笑顔だけで充分」
ペトルスは返事がわりに、軽くうなづく。
テオドラもそれ以上は話さず、2人で並んで黙って酒を飲んだ。
少し離れた席では、アントニナを脇に抱えたベリサリウスが戦車ドライバーと飲み比べをしている。それをメッサリーナや他のスタッフがはやす。
主賓の2人には客が引きも切らず、完全に寝てしまった小さなソフィアを、オルガが代わりに抱きかかえていた。ここでも笑い声が絶えない。
徐々に傾く太陽が夕暮れを演出し始めるなか、テオドラは心地よい時間の中に身を委ねていた。
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