人を呪わば

けい

 

序章




人を呪わば穴二つ。




人を呪うのならば、呪う対象と呪った人の二つ分、墓穴を用意しろという、まぁ昔からよく言われている言葉だ。




人を呪うことは外法である。それを使うのであらば自分が死ぬことを覚悟せよってね。




俺はこの言葉が嫌いだ。




人を呪わずにはいられないほど追い詰められた側が、なぜ一緒に死ななければならない。




相手に死んでほしいのに、なぜ自分の命を差し出さなければいけない。




それこそ不条理だ。不公平だ。




人を呪うことの目的は相手を殺すことじゃない。




呪い殺して、平穏になった世界を生きることだ。




邪魔者を排除したいだけだ。相手が悪いのだから、相手だけ死ねばいい。




だから、人を呪うなら穴は一つで十分だ。




それ以上いらない。




いや、正確には違うか。人を呪うならば、穴は呪いたい人数分だけで十分だ。




一人なら一つ。




二人なら二つ。




四人なら四つ。




じゃあ、俺はいくつ穴を用意すればいい?




答えは、三つだ。




弟を追い詰めた三人組。弟を入院に追い込んだ三人組。




引きこもりで駄目な俺と違って、頭もよくて運動もできる弟を苦しめた三人だ。




俺は今夜、その三人に呪いをかける。




俺は、大けがを負って病院のベッドの上で寝ている、弟の前で固く誓った。






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一章




ここは少しシャッターが目立ち始めた商店街。俺の家はその商店街のメインストリートから横道に入ったところにある。




代永よなが古書堂』




先祖代々古本屋を営んでいる、俺の家だ。




人が訪れることはめったにない、時々古書マニアの変人たちが覗きに来るだけの寂れた店だ。




その変人たちが言うには、ジャンルは偏っているが、かなり珍しい本が置いてあるそうだ。




確かに古い怪しい本の類が大部分を占めている。




どこで手に入れてきているのかは、店主の爺さんしか知らない。




そんなことに興味はないから聞かないけど。




さて、短いが、店の話はもういいだろう。次は俺のことを話そうか。




俺は、引きこもりだ。




社会に馴染めず、親とも馴染めず、爺さんと一緒に暮らしている。




俺の世界は狭い。この店で完結している。




交友関係は無いに等しい。




親には見捨てられ、爺さんとは生活リズムが合わないせいでほとんど会話しない。




もうかれこれ一年は話していないのではないか。




まぁ、気楽だから別にいい。




メシの準備だけしてくれていたらそれでいい。




ただ、そんな俺の少ない交友関係が店に来る変人たちと、弟だ。




弟は、出来た人間だ。




俺と違って社交的で、誰に対しても分け隔てなく接してくれる。




だから、こんな変な兄に時々会いに来てくれるのだろう。




俺はそんな弟が自慢だった。




他人に興味が無い俺が、弟だけは楽しく、幸せに生きて欲しいと願うくらいには。




ただ、たまには家に帰ってきてほしいと言うことだけは止めてほしいけど。




俺は、ここで死ぬまで引きこもると決めているのだ。




こんな奴、外に出ちゃいけないことくらい俺にだってわかる。




そんな引きこもりの俺の楽しみは、家の倉庫でほこりかぶっている、店に出すことも出来ない本を読むことだった。




怪しげな知識なら弟にだって負けない。




妙な都市伝説や怪談、嘘か真かわからない噂話など、誰が好んで読むのかという本ばかりだ。




そして、もちろん俺は呪いに関する本も読んでいる。




俺が一番好きなジャンルだ。




同じ本を何度も読み直した。今では空で言えるほどに。




どの呪いがどれに効くのか、熟知している。




だから、俺はどの呪いを使うか決めていた。




米子まいこさん』




それが呪いの名前だった。




本にはこう書かれていた。




人の死とは何か。




それに向き合うことが出来る者のみに使える呪法。




呪う人数に制限は無し、呪いが返される心配も無し。




呪いを行った者の命を代価として払う必要も無し。




注意すべきは一点のみ。答えを間違えるな。




つまり、これはリスクなしで複数人を呪い殺すために作られた呪いだ。




答えを間違えるながどういうことかわからないが、正しいのは俺だ。だから大丈夫。




・・・たぶんな。




時刻は夜中。




俺は本に記されていた陣を書いた紙の上に、米粒を置き、目を閉じて呪いを呼び出す呪文を唱えた。




「米子さん、米子さん、私と一緒に踊りましょう。狂い狂いて踊りましょう」




しばらく待ってから、目を開ける。




何も変わりは無かった。




やり方を間違えていたか?




いや、間違えていないはずだ。




なら、この呪法は偽物だったのか?




くそっ。




時間を無駄にした。




次はどれを試す?




どれが・・・。




「おい、そこの浮浪人みたいな男」




下から声をかけられた。




小さい子供の声だ。




「今は何時代じゃ?早う答えい」




俺が視線を下に落とすと、黒髪のおかっぱ頭で、赤い着物を着た、幼稚園生くらいの女の子がこちらを見上げていた。




「なんじゃ?お主耳が聞こえんのか?それとも話せぬのか?」




その少女は腕組みをして真っ直ぐ俺を見てくる。品定めでもするかのように。




「君が、米子さん?」




「そうじゃが?他に誰に見えるというんじゃ。というか、儂の質問に早う答えい。いつまで待たせる気じゃ」




米子さんは明らかにイラついてきていた。




右足でとんとん床を叩くのは止めてほしい。




「今は、確か令和です」




弟が言っていた。




「令和ぁ?それは大正からどの程度たった時代じゃ?」




大正?えっと、大正って何年前だ?




平成は31年あったはずだ。




昭和は、・・・50数年だったか?いや、60年とちょっと?




どっちだったか。暦に興味なんて無いから、ちゃんとしたのは覚えてないぞ。




「・・・貴様は阿呆か?」




俺が思い出す前に米子さんは声を出した。




「さっき儂が言うたことをもう忘れたのか?鳥頭め。儂の質問には即返せ。儂は待たされるのが嫌いなのじゃ」




米子さんの右足の動きが早くなり、音が大きくなる。




「よいか?もう一度だけ聞くぞ?これが最後じゃ。その令和とやらは、大正からどの程度たった時代じゃ?」




それは、誰がどう見ても最後通告だった。




これに答えられなければ、先は無いと感じる程の圧迫感だった。




「少なくとも、32年以上は経っています」




俺は、自分が分かる範囲で答えた。




平成しかちゃんと覚えていないのだからしょうがない。




以上って言っておけば嘘にはなるまい。




「やればできるではないか」




米子さんの足の動きが止まる。




「なんじゃ、それだけしか経っておらんのか。やれやれ、人というのは馬鹿じゃのう。こんな短い間で儂を呼び出すとは。嘆かわしい」




米子さんは首を横に振る。




心底、呆れているようだ。




「貴様もそう思うであろう?」




同意を求められた。




「え、まぁ、そうですね」




とりあえず頷いとこう。




米子さんはその答えに納得したのか、うんうんと今度は首を縦に振る。




どうやらこれで良かったらしい。




「・・・にしても、貴様、随分と楽そうな衣類は身に纏っておるのう」




俺の来ているジャージを米子さんがまじまじと見てくる。




突然なんだ?




「それは何で出来ておるのじゃ?綿か?麻か?よもや絹ではあるまい?」




この人どんだけ服に興味あるんだよ。




目がキラキラしている。




呪いでも、女はおしゃれの話題が好きらしい。




「これは確か、ポリエステルだったかと」




「なんじゃって?ぽり、・・・えっと」




「ポリエステル」




「なんじゃ、その、ぽりすえすかるごとやらは」




たぶん意味は知らないんだろうけど、凄い言い間違いだな。




カタツムリの警察ってなんだよ。すっげーのろそう。




きっと、役立たずなんだろうな。




「ポリエステルです。化学繊維ってやつですね」




米子さんは首を傾げた。




「かがくとはなんじゃ?繊維はわかるがのう」




随分と答えづらい質問がきた。




正直、こんな話に付き合っている余裕なんてない。




俺は、一刻も早く、弟を追い込んだ奴らを殺したいのだ。




「化学っていうのは、いわば神通力です。神通力で繊維を作り出しているんです」




だから、適当に答えることにした。




どうせすぐいなくなるのだ。




嘘を吐いたところでばれやしない。




「ほー!人は30年でそこまで辿り着いておったのか。儂はそのような日は絶対来ぬと思っていたがのう」




米子さんが驚いている。口をぽかんと開けていてアホらしい。




「他には?」




米子さんが目をキラキラさせながら尋ねてきた。




「他?」




俺は何か嫌な予感がした。面倒なことになる気がする。




「他は他じゃ!せっかく会得した神通力が、繊維を作るだけで終わるわけがなかろう。他にはどんなことが出来るのじゃ?」




米子さんは楽しそうに、笑った。




「世の中そんな変わっておらんじゃろうから、さっさと呪い殺して帰ろうと思うたが気が変わった。おい、貴様。この時代についてもっと教えろ。外にも出たいのう。儂自らの目でどれほどのものか見て回ろうぞ」






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二章




「おい男!あれはなんじゃ?あの道の真ん中を我が物顔で駆けている物体は!」




「あれは、車です。人が乗って移動するのに使うんですよ」




「あれが先ほど貴様が話しておった車か!なんとも速いのう。馬よりも早いもの初めて見たわい」




今は朝の9時過ぎ。




米子さんを呼び出してからつい先ほどまでこの時代について質問攻めをされていた。




文化の変化、技術の革新、思想の進化、流行の遷移。




米子さんの質問は多岐に渡り、答える身としてはとても辛かった。




大部分がわからなかったからかなり適当に話をしたが。




米子さんはそんな俺の答えを興味津々で聞いていた。




そして、「聞くのはもう十分じゃ。次は儂自身の目で見て回ろうぞ」という米子さんの言葉を受けて、俺は米子さんを外に連れ出すことになった。




昨日、今日と2日連続で外に出るはめになるとは。ついてない。




まったく、俺は早くあいつらを殺して欲しいのに。




いつまで付き合わないといけないのだ。




「車なら大正にもあったのでは?」




弟が持ってきた大正時代が舞台の漫画を思い出しながら、俺は尋ねた。




「その時はさっさと呪いを実行して帰ってしまってのう。全くもったいないことをしたわい。よもや大正の頃から人が神通力を使えておったとはの」




道を走る車を興味深げに眺めながら、米子さんは答えた。




なるほど。通りでなんか物を知らなすぎると思ったわけだ。




鉄道やらガス灯やらすでに大正時代にはあったであろうものすら知らなかったから大変だった。




全部面倒くさかったから神通力で通したが。




マジ神通力万能。




「よし、もっと見て回るぞ。付いて来い」




米子さんは車を見ることに満足したのか、テクテクと歩き出した。




俺はその後に付いていく。




「おい、この銀色の、何やら紙が貼っておるのはなんじゃ?あちらこちらにあるが、今の流行りか?」




米子さんは歩きながらシャッターを指さした。




「そうですよ。あれはシャッターと言って、外から誰かが訪ねてくるのを拒否するおまじないであり目印なんですよ。ほら、誰だって一人になりたいときはあるでしょう。そういう時に使う流行りのおまじないです」




俺は適当に返す。




「随分と仰々しいまじないじゃな。それにしても一人になりたい奴が随分と多いのう。ここは貴様みたいに暗いやつしかおらんのか」




信じた。バカだな。




「世界中こんなものですよ」




「そんな世界、なんか嫌じゃの。・・・おお、そうか」




米子さんが急に何かに納得した。




「どうしたんですか」




俺は気になって米子さんに尋ねた。




「先ほどの貴様を話を思い出してな。あの・・・『てれや』だったか?神通力で遠いところに映像を送ってそれを見ることが出来る板の名前」




「テレビ、ですよ」




てれやって。恥ずかしがってどうする。




「おぉ、それじゃ、それじゃ」




米子さんは楽しそうだった。




「そのてれびが出来た理由に合点がいったのじゃ。昔は情報を得るにはどこかに行かなければならなかったからの。こんなしゃったーというものを出して引きこもるなんぞ出来んかった。しかし、てれびがあれば引きこもっておっても情報が入ってくるではないか。つまり、てれびとは引きこもる為にできたのじゃろ?」




米子さんがしたり顔をした。




知らないけど、テレビが出来たのはそんな理由ではないと思うが。




本当に間抜けだ。




「よくわかりましたね。そうですよ」




しかし、訂正するのも手間なので肯定しておく。




というか、出来た理由なんて知らない。




「さすが儂じゃ!凄いじゃろ!」




満面の笑みだ。




「えぇ、凄いですね」




俺は作り笑いを浮かべた。




「ふふん。にしても、人は随分と暗い方に進化したのじゃな。儂としては明るい方が好きなのじゃが」




米子さんが少しさみしそうな表情になった。




感情の移り変わりが激しくて面倒くさいな。




「明るい人もいますよ。じゃないと誰がテレビで映像を送るんですか」




適当に慰めるようなことを口にする。




「おぉ!それもそうじゃな。盲点であった」




機嫌が戻った。




「人は神通力を得ても他人の為に働く優しさは忘れぬようじゃな。感心感心」




米子さんはうんうんと頷く。




そんなわけないだろ。




身勝手が生き物の形をしているのが人間だろう。




呪いでも世迷言を言えるんだな。




「呪いの儂が言うのもなんじゃが、優しさは常に持っておきたいものよな・・・ん?あれはなんじゃ?」




米子さんは話すのを止め、駐車場に停まっている黒塗りで、金色の装飾がされた車を指さした。




「何やら随分と重みがある車よのう。もしかして身分の高い者専用なのか?」




「いえ、違いますよ」




俺は否定した。あれは俺でも説明できる。




「あれは霊柩車ですよ」




「れいきゅうしゃ?」




米子さんは首を傾げた。




「そうです。あれは死んだ人を運ぶ為だけの車ですよ」




「死んだ人間専用とな。人間の死者を特別視する風潮は昔からあったが、とうとう運ぶ入れ物まで豪華になったのじゃな」




米子さんはそう言うと、しばらく霊柩車を眺めていた。




何をそんな眺めることがあるというのか。




数分後、米子さんは口を開いた。




「・・・のう。貴様は、人の死とはなんじゃと思う?」




先ほどまでとは、質問の毛色が変わった。




米子さんの纏う空気が、変わった。




「人の死、ですか?」




「そうじゃ。早くなくてもよい。考えて答えよ。貴様が答えるのを待ってやろう」




数時間前に返答が遅いと怒っていた奴の言葉とは思えなかった。




まぁ、面倒だから適当に答えるけど。




「そうですね。人の死とは・・・」




そこで、ふとこの呪いについての説明書きが脳裏をよぎった。




『人の死とは何か。




それに向き合うことが出来る者のみに使える呪法。




呪う人数に制限は無し、呪いが返される心配も無し。




呪いを行った者の命を代価として払う必要も無し。




注意すべきは一点のみ。




答えを間違えるな。』




俺の顔を、汗が一滴、地面へと流れて行った。




米子さんは固まってしまった俺に声をかけることなく、ただじっと待っていた。




俺がなんと答えるか、一言一句漏らさないようにするかのように。




俺は、深呼吸を一つした。




おそらく、あの注意はこれのことだ。




間違えるとは、どういうことか、俺は結局わかっていない。




呪い返しなく、代価もいらない。ただ、間違えてはいけない。




間違えた回答をすると、呪いが発動しないということか?




何もせず、米子さんが帰ってしまうということか?




じゃあ、正解ってなんだよ。




人の死なんて哲学的な話、正解なんて無いだろう。




駄目だ。わからない。




どう答えればいいか見当がつかない。




リスクが無い呪いはこれしかない。




だからこそ、俺はこれを選んだんだ。




弟を苦しめた奴らを、この世から消し去るために。




「儂は待つとは言ったが、ずっとは待つとは言ってはおらんぞ」




微動だにしなくなった俺を見かねてか、米子さんが口を開いた。




「考えて答えよとは言うたが、立ちつくせとは言うとらん」




米子さんは続ける。




「貴様にとって、人の死とはなにかを聞いておるのじゃ。儂だってこれに正解があるとは考えておらん。ほれ、なにかあるじゃろう、貴様の中にも、何かしらの答えが。それを答えればよい」




そして、米子さんはまた口を閉じた。




正解なんてない、か。




呪い本人から、あの注意を全否定された。




米子さんが俺に嘘を吐けるほど頭がいいとは、先ほどまでのやり取りでは思えない。




じゃあ、あの注意を書いた奴が嘘を吐いた?




そうか、よくわからない注意書きをすることで、この呪いを行うことへの抑止力としようとしたのかもしれない。




それなら納得出来る。うん、きっとそうだろう。




俺は紛らわしい書き方をしたあの本の著者を少し恨んだ。




しかし、これで心配事は無くなった。




これで質問の答えに集中できる。




というか、もう答えは決まっている。




俺が生きていると実感できる理由の反対のことを言えばいい。簡単だ。




俺はゆっくりと、口を開いた。




「・・・人の死とは、息絶えることはもちろん、人から、世界から忘れられること。誰の記憶からも、記録からも消えてなくなること」




俺は、弟が俺の存在を認めて、話をしてくれているから生きていられる。




爺さんがメシの準備をしてくれているから生きていられる。




その二人がいなければ、俺は親からも存在を消され、誰とも繋がりが無かっただろう。




そんなもの、心臓が動いていたとしても死んでいるのと同じだ。




「・・・なるほどのう」




俺の答えを聞いて、米子さんが少し驚いた表情をしていた。




「貴様のことだから、てっきり心臓が止まることとか、適当なことを言うかと思うたわい」




そして、なにかを呟いた。




「え、なんて?」




俺はなんて言ったのか気になって聞き返した。




「いや、なんでもない」




しかし、答えは返ってこなかった。




「うむ、よくわかった。なかなか面白い死生観をしておるのじゃな。少し見直したぞ」




米子さんが無邪気に笑った。




なんかよくわからんが褒められた。




褒められ慣れていない俺は、気恥ずかしくなって米子さんから目を逸らしてしまった。




「よし、では先へ進もうではないか」




米子さんは笑顔のまま歩き出した。




「えっ」




俺はてっきり、これで呪いが発動して終わりかと思っていたから驚いてしまった。




「何をしておる。貴様も早う来い。案内人の貴様がおらんと話にならんではないか」




少し離れたところで米子さんは立ち止まり、振り向いて俺を呼んだ。




俺は少し混乱しながら、しかし、俺が思っていた以上にことが運ぶ予感を感じながら、仁王立ちをしている米子さんの元へ歩き出した。






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三章




世界はすっかり薄暗くなっていた。




町の高台にある公園から、点々と明かりが灯り始めたのを眺める。




隣には米子さんもいる。




「いやー、今日はよく歩いたのう。さすがに疲れたわい」




そう言う米子さんの声は、確かに呼び出した時ほどの元気は無かった。




それで本当に呪いはちゃんと働くのだろうか、少し心配になった。




「何か飲みますか?買ってきますよ」




俺は米子さんに尋ねた。




「そんな気を回さんでもよい。ははっ、そんな不安そうな顔をするでない。儂はやることはしっかりやるぞ」




顔に出ていたのだろう。




米子さんが笑顔で言った。




「さて、では仕事を果たすとするかのう」




米子さんがパンっと手を合わせる。




「儂は米子。呼び出した者の死に合わせて、対象を呪い殺す者」




米子さんが真剣な顔つきでこちらを見上げた。




「貴様の死への考え、あの時確かに受け取った。儂はそれに合わせ貴様の呪いを果たそう」




やはりそうか。




俺はその言葉を聞いて、霊柩車のところでの会話を思い出す。




俺は、死とはこの世からの抹消と答えた。




つまり、奴らはこの世から、誰の記憶からも、情報からも消え、孤独に、死んでくれるということだろう。




願ったり叶ったりだ。




俺が一人思考を巡らせていると、米子さんが俺にすっと右手を差し出した。




「え?なにを・・・」




「儂の手を握るがよい。そして呪いをかけたい相手を頭に思い浮かべるのじゃ。儂はそれを目印に呪いをかける」




俺がどういうことかと声をかける前に説明をしてくれた。




なるほど、そういうことなら是非もない。




俺は躊躇なく米子さんの手を取った。




そして、目をつぶり、憎くて憎くてたまらない、あいつらの顔を思い浮かべる。




忘れたくても忘れられない、顔を。




そのままの状態で数分が経った。




「よし、終わったぞ」




米子さんが目をつぶっている俺に声をかけた。




「これで終わり?本当に呪いはかかったのですか?」




あまりにあっさり終わってしまい、さすがに不安になった。




「大丈夫じゃよ。ちゃんと呪いをかけた。貴様が鮮明に思い浮かべてくれたおかげで見つけやすかったわい」




米子さんの言葉を聞き、俺の心は歓喜に震えた。




俺はやった、やったんだ。




俺みたい奴でも弟を助けられるんだ。




ざまあみやがれ、これで奴らとはおさらば・・・。




あれ?




俺はそこまで考えて、ふと疑問が残った。




「米子さん、今回の呪いはあいつらについての全ての記憶と記録、命の抹消だよな」




「そうじゃが?貴様が言うたのであろう」




「じゃあなんで、俺の記憶から消えてないんだよ!」




俺は思わず叫んでいた。




そう、俺はまだあいつらの顔を覚えている。




消えていないのだ。




まさか、呪いをかける側の者は対象外なのか?




「なんじゃ、そんなことか」




米子さんは叫ばれたにも関わらず、とても落ち着いていた。




「今回はさすがに規模も対象も多いからの。さすがに即というわけにはいかんよ。そうじゃのう、明日頃から呪いが発現するであろう」




米子さんは淡々と俺に告げる。




「俺の記憶からも消えるんだよな?」




俺はもう一つの疑問を口にする。




「当たり前じゃ。儂の呪いに対象外、例外などいない」




俺はここまで聞いて、今度こそ安堵した。




「・・・随分とうれしそうじゃの」




俺が静かに喜んでいると、米子さんは冷めた目で俺を見ながら、話しかけてきた。




「そんなに忘れたかったのか?」




米子さんの様子がおかしい。




さすがの俺でもわかるぐらい、米子さんの雰囲気が違った。




一緒に街を歩いた、あの明るい雰囲気は消え去っていた。




「な、何を言ってるんですか?急にどう・・・」




「そりゃ、忘れたくもなるよの」




俺の言葉を遮り、侮蔑の感情を込めた声で、米子さんは続けた。




「弟を自分から離れさせるために、あの暗い店の常連三人組に頼んで、弟を追い込んだのじゃからの」




「・・・・・・」




「なんじゃ、何も言えんのか。まぁ、貴様のような兄がおっては確かに弟は幸せにはなれんじゃろうて。貴様からしたら純粋に弟を思っての行動じゃったのだろうが、弟にとってはそうじゃなかった。貴様、弟がなぜ貴様を構い続けたのかわかっておるのか?いや、わかっておったらこんなことはしないわな。大好きな兄を侮辱され、怒りに任せて殴りかかっても仕方あるまいよ。三人組もかわいそうにのう。協力してくれたら店の本を何でもいいから一冊くれると言うから協力して、安全じゃと聞いておったのに急に殴られて、そりゃ殴り返してもしょうがないというもの。やり過ぎたのは良くないがの。しかし、それで逆恨みされて、本ではなく呪いを送られるのだから、同情するしかあるまいよ」




俺は黙って、呪いの言葉を聞く。




俺が隠したい真実を口にする呪いをにらみつける。




「まぁ、忘れることが出来るかもしれないと気付いたのは、あの霊柩車のところなのじゃろうな。あの後から急に、貴様が妙に優しくなったからの。さっきもそうじゃ。最初に会うた時なら絶対飲み物を買ってくるなんぞ口にせんかったろうが」




その通りだ。




反論が出来ないぞ。




別に困らないけど。




「・・・まだ消えないんですか。もうお前の仕事は終わったろ?」




俺はいつまでも留まってうるさい口を開く呪いに問いかける。




早く帰りたいんだけど。




「はん、とうとう本性を見せたな。呪いをかけてもらったから、もう下手に出る必要は無くなったということかの」




呪いは鼻で俺のことを笑った。




呪い如きが調子に乗りやがって。




「貴様に言われるまでもなく、もう帰るよ。ようやく絶対服従の召喚主から離れられるのじゃからな」




呪いはくるっと後ろを向くと、そのまま数歩歩き距離を取っていった。




やっと子守から解放される。面倒くさかった。




「おっと、忘れるところじゃった」




呪いが立ち止まり、首を回してこちらに顔を向けた。




「いろいろ言うたが、貴様と町を回ったのは楽しかったぞ。やはり見聞を広げるには実物を見るに限る」




この呪いは何を言っているんだ?




楽しかったなどとよく言えるな。




まぁ、感謝は素直に受け取るが。




「貴様も見聞は広げておけ。命があるうちにの。そうじゃの、せめて昭和が何年あったかぐらいは覚えておけ」




「なっ」




「ではな。神通力万能説信奉者の無知な男よ」




呪いはそう言って、俺の目の前から消えた。




残ったのは、後味の悪い気持ちを抱えた俺だけだった。




「くそっ」




俺は足元の石を感情のままに蹴り飛ばした。




石は、もうすっかり暗くなった公園の闇の中に消えていった。




「・・・スーフー。帰るか」




俺は深呼吸を一回して、帰ることにした。




目的は達成したのだ。




なら、それでいい。




あんな呪いのことはさっさと忘れよう。




俺の大事な弟に手を上げたあの常連どももこれで消える。




全て戻るのだ。




弟を俺から離れさせる方法はまた考えればいい。




そうだ、明日考えよう。ゆっくりと。




俺は、家に向かって歩き出した。






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終章




「起きろ、おい、起きろ」




俺は乱暴に揺り動かされて目を開けた。




「んだよ、爺さん。俺まだ眠いんだけど。まだ7時じゃん。まさかボケたの?」




俺は久しぶりに声を聞いた爺さんに悪態をついた。




「いいか、落ち着いて聞け」




そんな俺の悪態を無視して爺さんが続ける。




落ち着いて聞けってなんだよ。




「お前の弟が、誠が死んだ」




瞬間、俺の思考は止まった。




爺さんが何を言っているのか理解が出来なかった。




「さっき、娘夫婦から連絡が来た。俺たちも病院へ行くぞ。準備しろ」




爺さんはそう言うと立ち上がり、俺の部屋から出て行った。




は?なんで?




意味わかんねー。




弟は大けがではあったが、暴行した本人たちの通報によってすぐに病院に運ばれて、助かったはずだ。




命に別状はないって言っていたじゃねーか、あの医者。




ヤブだったのか。




ふざけるな。・・・ふざけるな!




弟が死んだら、昨日のこと全部無駄になっちまったじゃねーか。




あの面倒くさい呪いの相手をする必要なんてなかったじゃん。




医者なら助けろよ、クソが。




あーもう。




救急車のサイレンがうるさくて思考に集中出来ない。




なんでこんなにサイレンなってんだよ。




「まだ準備しとらんのか」




いつまで経っても部屋から出てこない俺を気にしてか、爺さんが戻ってきた。




「お前の気持ちもわかるが、早くしろ。気持ちは後でゆっくり整理しろ」




うるさい、黙れ。




爺さんに構っている暇は無いんだよ。




「俺のことは放っておいて先に病院に行けよ」




俺は邪魔者を排除するためにそう言い放った。




「お前一人だと来んだろうが」




爺さんはため息を吐きながら言った。




「お前と仲良くしていた常連が暴行の犯人で、その上お前が首謀者などと嘘で巻き込まれて、そして、弟が死んだお前の今の心情が辛いのはわかる。だが、今はウジウジと考えている場合ではないだろう。お前はもう弟に会わないつもりか?」




会わない?




死んじまったら会うもクソも無いだろうが。




もう、あいつは俺の心の中でしか生きてないんだ。




弟だったものに会ってどうすんだよ。




俺がそう言おうと思って口を開こうとした時、一階にある家の電話が鳴った。




爺さんはしばらく電話を放置して、俺が何か喋るのを待っていたが、俺が何も言わないのを見ると、諦めたのかため息を吐いて部屋から出て行った。




階段を下りる音がした。




しばらくすると、電話は鳴りやんだ。




やれやれ、これで思考に集中出来る。




そう思った矢先だった。




「なっ、あの三人が死んだですって!」




爺さんの驚いた声が聞こえてきた。




三人?




あぁ、あのお間抜け三人組のことか。




弟に手を上げた三人組。




やっと死んだか。




良かった良かっ・・・た?




俺は、そこで気付いた。重大なことに気付いた。




なんで。




「なんで、俺はまだあいつらを覚えているんだ?」




おかしい。




さっきの電話から考えれば、三人は死んだはず。




いや、そんなこと誰にも知られず死ぬはずなんだ。




まだ、時間差があるのか?




それとも、あの呪いが嘘を言ったのか?




いや、違う、違う、そうじゃない。




なにかおかしい。なにか見落としている気がする。




なんだ?何を俺は見落としている?




爺さんが階段を駆け上って俺の部屋に来る音がする。




今は邪魔して欲しくないんだけ「うわっ!」どな。




ん?何か大きな音がした?




爺さんの叫び声見たいのも聞こえた。




まるで爺さんが足を滑らして階段から落ちたような・・・。




俺はそこまで考えると立ち上がり、部屋を出て階段に向かった。




ゆっくり、一歩ずつ。




階段に着くと、俺はゆっくりと下を見た。




そこには、階段の一番下には、頭から大量に血を流して倒れている爺さんがいた。




爺さんはピクリとも動かない。




遠目から見ても、事切れているのがわかった。




それだけの出血量だった。




俺は、その場に座り込んでしまった。




足に力が入らない。




なんで、どうして、こんなことになっているのかわからない。




昨日呪いをかけて、全て終わったはずなのに。




あいつらの存在だけが消えて、丸く収まったはずなのに。




全ての記録から、全ての人の記憶から。




・・・全ての人の記憶から?




俺はこの言葉が引っかかった。




そうだ。




まるで、あいつらのことを知っている奴が死んでいくみたいじゃないか。




弟だって爺さんだって、あいつらのことは知っている。




記憶が・・・ある。




体が冷えていくのを感じる。




汗が止まらない。




サイレンの音も鳴りやまない




まさかこのサイレンの音は、あいつらを知っている人が運ばれているのか?




そんな・・・、そんなことあってたまるか。




人の記憶から消すって、忘れるんじゃなくて、知っている人が死ぬってことであってたまるか。




そんなこと、信じられない。




そこでふと、あの呪いが言っていたことを思い出した。




『儂の呪いに対象外、例外などいない』




そう、呪いをかけるように頼んだ俺も、例外ではない。




「あっ、あっ」




言いようのない恐怖が襲ってくる。




自分のせいで、人が大量に死ぬ。




この町の人間の何人が死ぬのか全くわからない。




そして、俺も、俺も・・・。




「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」




俺は気付いたら、窓から身を投げていた。




地面に全身を打ち付けていて動けない。




そこに、救急車が突っ込んでくる。




俺はそれを眺めながら、あの言葉が頭をよぎった。




人を呪わば穴二つ。




俺には、一体いくつの穴が必要だったのだろうか。






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「ふふ、ふふふ、あははははははははははははっ!」




「真に面白い愚か者であったのう。あやつは」




「自分に酔って、相手を見下して。じゃから儂に遊ばれるのじゃよ」




「しかし、皮肉よのう」




「儂と話しておる時はほぼ内容が適当も適当、嘘まみれでおったくせに、数少ないあやつが言った本音でこれだけの人が死んだのじゃからのう」




「あやつが守りたかった者さえも、の」




「ははっ、適当に心臓が止まるとか言えば幸せだったのかもしれんのに」




「それにしても、今の世の情報伝達は凄いのう」




「あの三人と面識が無くとも、ニュースであやつらのことを知ればお陀仏じゃからの、どんどん死者が増えておるわ」




「何人残るか楽しみじゃな」




「いやはや、いけ好かん奴ではあったが、良い余興であった」




「さてと、次はいつ呼ばれるかのう」




「なるべく楽しめる阿呆がよいのう」




「ふむ、気分が良い。少し歌うとしよう」




「人を呪わば穴いくつ?」




「人を呪わば」




「穴」




「いくつ?」

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人を呪わば けい @ke-i_

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