Take in Runa

 彼女は「ルナ」と名乗った。


 それ以外のことは何も話そうとしなかった。いや、話すことよりも食べることに夢中だった。余程お腹を空かせていたのだろう、急に重い食事を与えるのは体に悪いと考えて出した梅茶漬けだったけど、あっという間に一杯を流し込んでしまった。

 ルナはホッと一息吐いて、おずおずと上目遣いに僕を見ながら空いた茶碗を前に差し出した。おかわりの催促で間違い無いだろう。


「同じ梅茶漬けでいいかな?」

「…………」


 声は出さず、頭だけを下に向けて肯定した。茶碗を持つ両手を震わせながら、そっと僕の前に突き出す。それを受け取り、レンチンの白飯を温めて半分ほどよそい、おかわりの梅茶漬けに湯を足した。その間、僕は都梨子とりことの会話を思い出していた。


「しばらくの間でいいから、預かって欲しいんです」

「そんなこと言われてもなぁ。僕だって男だよ、間違いがあったら困るのは都梨子とりこの方じゃないのかい?」

「フタヒロさんに間違いってあるんですか?」


 僕の性格を見透かすように、上目遣いで「にひひ」と笑った顔が浮かぶ。過去にも似たようなことはあったけど、あの時は僕の方から積極的に保護しようと思ったから預かったんだ。結局、その人は亡くなってしまったけど……。


 から一年が経っていた。

 今も心の傷は癒えない。でも、少しずつ前を向いて歩んできたつもりだ。探偵業にもすっかり馴染んだ。色々な経験を積んできて分かったのは、この商売はどんなトラブルに巻き込まれるかなんて誰も分からないということ。一応は、それも覚悟の上で続けているつもりだ。でも、都梨子とりこの持ってきた今回の依頼は、確実にトラブルの元となりそうな予感がしていた。


「今日中には彼女のデータが入ったファイルのコピーを持って行きます。現時点で分かっている限りのものとなってしまいますけど……」

「預かる期間は?」

「未定……ということにして下さい。すいません」


 色々と曰く付きの女の子ってわけだ。歳は十代後半くらい、もしくは二十歳を超えた童顔の子って感じだろう。国籍は、都梨子とりこが異動となった担当部署のことを踏まえて中国……といったところか。昔取った杵柄きねづかで、僕も中国語は話せるけど、北京語でも広東語でも反応は無かった。おそらくルナは、だけなんだと思う。


 二杯目の梅茶漬けを出す前に、僕は冷蔵庫からセロリの酢漬けを取り出して豆皿に盛り、一緒に「食べてごらん」と勧めてみた。

 マスタードシードとクローブを甘みのある酢に放り込んで、そこに細く一口大に切ったセロリを混ぜ、しばらく味を馴染ませたら完成。茶漬けに入っている梅とは一味違う酸味が良いアクセントとなり、立派な箸休めの役割も果たしてくれるはずだ。


 探偵業を始めた頃は、少しの間だけ料理研究家という肩書も名乗っていた。仕事の依頼が入らない日ばかりの駆け出しには、有り余るほどの暇な時間があった。だから僕は、何でもいいから実益に繋がるものを探すことにした。それがスパイスを知るきっかけだった。数あるスパイスの種類や用途を知り、それを混ぜ合わせて仕上がる料理は千差万別……僕はその魅力に引き込まれた。

 料理研究家にプロという括りがあるのかは疑問だけど、思いつきで始めたSNSの中で、スパイスに特化した料理を紹介したらバズってしまったのだ。クミンを主体とした「スパイスだらけのキャロットケーキ(ぶっかけカルダモンパウダー)」が海外著名人の目に留まり、一気に拡散されたのには正直言って驚いた。それ以来、僕はスパイスの分野でちょっとばかし名の知れた存在となり、定期的に動画サイトを通じてスパイスを使った料理を教えるようにもなっていた。

 しかし、僕は料理研究家になるために前職を辞めたわけではない。亡くなった最愛の人を本当の意味で弔うために探偵となったのだ。彼女の絡んだ未解決事件に首を突っ込み、何でもいいから手がかりを探り出すのが本業だと心を入れ替えた。だから僕は、ある程度の稼ぎができた段階で料理研究家の肩書きを捨て、それを全て捜査費用に回し解決への糸口を探った。

 その甲斐もあって事件は解決し、前職の公安部外事課からも功績を認められ、それからはちょいちょい仕事をもらうようになった。ルナを預かるというのもその一環だった。


 一気に流し込んだ一杯目とは裏腹に、今度はゆっくりと米を噛み締めながら食べている。セロリの酢漬けも気に入ってくれたようだ。一口入れては茶漬けを啜り、シャキシャキと音をさせて満足気な表情を見せていた。無邪気な様子を眺めている限りでは、ルナはまだ十代なのかもしれない。


「食べ終わったら、これを持ってシャワーでも浴びておいで。サイズは大丈夫だと思うから。僕はちょっと明日のご飯の買い出しに行ってくるよ」

「…………」


 こくりと頷いて、残りの梅茶漬けを啜るルナ。豆皿に出したセロリの酢漬けも完食してしまった。僕は手に持っていたタオルと着替えをソファに置いて、財布と鍵だけを持って部屋を出た。


 買い物を済ませた後、帰り道の途中で公園へ寄り、ブランコに座りながらスマホを取り出した。都梨子とりこから着信が入ってて、留守電に「あと十五分くらいで着きます」とメッセージが残されていた。僕はメールを立ち上げ、買い物からの帰り途中であることを打ち、同じくらいのタイミングで部屋に帰れると知らせた。もちろん、ルナはシャワー中かもしれないことも付け加えた。


 しばらくして、都梨子とりこからの返信があった。そこには「ジェーンの時みたいに、のめり込んじゃダメですよ!」というメッセージが、膨れっ面の顔文字と合わせて書かれてあった。


「やれやれ……」


 昔とは違い、僕はもう同情から愛情へ陥るほど若くはない。それに今は……腐れ縁みたいな感じでくっついてしまった相手がいる。昔から互いを知り尽くした同士だから、恋人らしい雰囲気も薄いと言えば薄いけど。

 僕は大人の対応よろしく「都梨子とりこ」と打ち込み、送信ボタンをタップした――。


 部屋に戻った時には、既に都梨子とりこがルナの髪を乾かしていた。ドライヤーを適度に振って熱を調整しながら「おかえりなさーい」と言う彼女に対し、僕は「早かったじゃないか」と応えて冷蔵庫に買ってきたものを詰め込んでいく。


「はい、これで良し! さっぱりした?」

「…………」

「お疲れさん。はいコレ、飲むだろ? ルナも飲むかい?」

「ダメですよ。お酒は二十歳になってから!」

「あぁ……まだ十代ってところは確認できたんだな」


 僕はビールの蓋を開け、一口飲んでからソファに腰かけた。都梨子とりこも僕に倣ってビールを開け、ルナに「何か飲む?」と声をかけた。相変わらず彼女は無口だった。とりあえず、さっきスーパーで買ってきた炭酸飲料を出して、グラスに注ぎルナの前に置いた。


「で? 資料はどんな感じだい?」

「収穫は……あまり無いって感じですね。今わかっているのは、これだけです」


 都梨子とりこから資料を受け取り、ビールを置いてザっと眺めてみた。

 ルナの本名は「劉娜リュウナ」で、歳は十九歳。生まれは中国の上海となっている。両親の名前など、親戚筋の記載が全く無かった。孤児ということだろうか。それなら、里親などの名前があってもいいはずだけど、資料には相関図を作れるような材料が一切無かった。


「学歴が……本当かい? これ……」

「私も初めて見た時は冗談かと思いました。でも、大学からの確認も取れてます」

「趣味はパソコン……って」

「ここは私が書き足しました。この経歴ですよ、間違いないでしょう」

「だからって、手書きで足すのはどうなんだい?」

「まぁ、いいじゃないですか。これはもう、私たちだけの資料なんだし」


 十歳で既に大学の試験を合格し、アメリカへの留学を果たしていた。分野は情報処理で、そこで類稀たぐいまれなる才能を発揮し、卒業前にはもう中国やアメリカの政府筋から密かに熱烈な勧誘を受けていたようだ。


「どこをどうしたら、彼女が都梨子とりこに辿り着くんだい?」

「まぁ、色々とありまして。悪の組織にさらわれないよう、こうしてかくまうことになりました。フタヒロさんにも協力してもらおうと、目黒部長も言っていたので……」


 僕の上司だった目黒さんも、今や公安部の部長へと昇進していた。頼ってくれるのは嬉しいけど、今回の依頼は荷が重すぎるような気がする。さっきから嫌な予感が拭えなかった。


「悪の組織って……漫画やテレビじゃないんだから……」

「だって、上手い言い方が無かったんですもの。ルナちゃんも、私たちと一緒に過ごしていたいわよねー?」

「…………」


 無言で頷くだけだったけど、僕たちと一緒にいたいというのは本心のようだ。お腹がいっぱいになり、シャワーでさっぱりもしたせいか、さっきまで暗かった表情に明るい変化が見て取れた。


 まぁ、ここまできて「嫌」とは言えないだろう。

 せいぜい大怪我だけはしないよう、気を付けるしかなさそうだ――。

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