Maria has Gone Away
いつも温かいマリアの手は、この日に限って冷たかった。
空港の出発ロビーは人の往来が多く、別れを惜しむカップルや息子の一人旅を見送る父親、仕事の出張帰りであろうスーツ姿でお土産の袋を両手に提げた女性など、ここかしこで飽くなき様々な人生模様が
僕は、そんな人間模様をボーっと観察しているのが好きだけど、今日は「人生を観察される側」に立っていた。
水族館のデートから半月が
行き先を聞いても「遠いところ」としか答えないし、帰ってくる意思も無いような言い方だし、僕はマリアに嫌われるようなことでもやらしたのか不安になった。彼女の手料理を食べたフリして捨てたことがバレたのだろうか?
結局、マリアが遠くへ行こうとする理由もわからぬまま、彼女が日本を発つ日がきてしまった。彼女が僕に内緒で発ってしまおうとせず、空港まで見送らせてくれたのはせめてもの救いだった。
空港のレストランで食事をし、ロビーの椅子に座って思い出話をし、気が付けばフライトの時間が近づいてきたとマリアは言う。僕は、先日の「一緒に来て欲しい」という彼女の願いに対し、
僕はマリアを愛している。
しかし、その愛情の向け方は特別な異性としてではなく、家族愛という意味の方が正しかった。僕の心の中で安らかに眠っているジェーンが起き出して、知らぬ間に記憶から遠ざかって行かない限り、他の誰かを愛することはできない。マリアを異性として少しずつ意識してきたのは確かだが、僕の中でジェーンとマリアが入れ替わるには、まだまだ日数が浅かった。
だから……マリアを強く引き留める理由が今の僕には無かった。
だから……マリアに「一緒に行くよ」と言えるほど今の僕は盲目ではなかった。
だから……僕は別れを惜しみつつマリアを見送ろうと決めた。
具体的な場所ではなく「遠いところ」とマリアが言ったのは、僕に対する希望と諦めが混沌として出てきた言葉だろう。大人びてきたとはいえ、彼女はまだまだ少女のような幼さを持っている。色々と別の世界を見てきて、これからも大きく成長して欲しいと願ってしまうのは、恋人の想うところではなく親心みたいなものだ。そこへ僕が生涯かけて彼女に付きまとうのはナンセンスだ。成長の妨げにしかならない。
でも……答えは出ているのに、答えを言い出せない。
僕は握っていたマリアの手を引き寄せ、そのまま強く抱きしめた。言葉は不要だと信じたい。そして、僕の願いが温もりを通じて伝わってくれるはずだと信じたい。抱きしめる腕をさらに強くして、マリアの願いに断腸の想いで応えた。
この気持ちが伝わってくれたのか、マリアは「フタヒロ、苦しいよ……」と漏らして強い抱擁から抜け出そうとモゾモゾし始めた。僕は、謝りながら腕の力を緩めて彼女の表情を覗き込んだ。そこに悲しみの表情は無い……と思われる。
「ありがとう。ここまで見送りにきてくれて」
「当たり前だろう。帰ってくる時は、もちろん迎えにも来るからね」
「フタヒロ……それは前にも言ったけど、ココに戻ってこないかもしれないよ」
「…………」
黙ってないで、これだけは言っておかなければならない……戻ってこいと。言わなければ、一生後悔しそうだ。彼女は戻ってこないと言い張っているものの、いざ戻ってきた時の拠り所はちゃんと用意して待っているからと安心させてあげなければ……そうでなければ、ここまで見送りに来た意味が無い。
言うべきセリフは頭に入っている。今が言うべきタイミングだというのもわかっている。それでも僕の口は見えない力で押さえつけられ、いつまでたっても開くことができなかった。
「でもね、嬉しかったよ!」
「ん?」
「フタヒロが、ずっとここで待ってるって言ってくれたこと」
「あ、あぁ……」
僕は臆病者で卑怯者だ。
あの時に引き留めた言葉を先に言われてしまった。改めて「ずっとここで待ってるから」と僕の口から言わなければならなかったのに……マリアの口から言わせてしまった。成長してないのは僕の方なのだ。さらに
「もちろん待ってるよ。それに、何かあったら、すぐに連絡をするんだ。一人で解決しようって思ったらダメだよ」
「はいはい、大丈夫よ。もう子供じゃないからね」
「いや、そうじゃなくて……」
「うふふ」
マリアの慈愛に満ちた微笑みに
しばらくの間、無言で見つめ合う僕とマリア……どちらからともなく僕たちは顔を引き寄せ合った。彼女の身体が小刻みに震えている。いや、震えていたのは僕の唇だったかもしれない――。
展望デッキから眺める景色は格別だ。夕焼けに染まる空を背景に、少しずつ上昇する黒い流線型の機体と強風に乗って耳を突き抜けていく轟音。居れば居るほど、この柵を飛び越えて空の旅を楽しみたい気持ちにさせてくれる。
分刻みで飛び立つ飛行機が、それぞれの目的地へと向かっていく。マリアが乗っているのはどれだろうか……彼女は「内緒!」とウィンクして、最後まで教えてくれなかった。別れてすぐに搭乗したとは限らない、まだゲート前の椅子で待っている可能性だってある。そんな憶測ばかり撒き散らして、飛び立つ機体に彼女の面影を探していた。
強風に当たり続けていたせいか、
すっかり「遠い」というキーワードに惑わされてしまったが、どちらかと言えば国内か韓国、台湾あたりの近場と推理した方が
一直線で滑走路に敷かれた緑や青の細かい誘導ランプを見ていると、なんだか「ああでもないこうでもないと迷ったり考えたりするのは止めろ」と
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます