カフェ 『Beratung』

@yamashin0908

第1話

コーヒーの芳醇な香りに包まれる店内。BGMを流さず周囲の環境音のみを聴かせるスタイルがより落ち着きをもたらしてくれる。駅前大通りから少し外れた場所に構えたこの店は店長と客一人分の温もりで満たされるほどに小さく、客足もほとんど伸びていないかった。当然、従業員など雇う余裕もなく店長一人で切り盛りされるこの店がなぜ潰れないのかがここ最近の一番の疑問だった。

「随分と失礼な疑問ですね」

 そう言いながら、店長は空いたカップに淹れたてのコーヒーを注ぐ。

 中性的な整った顔、陶器のような美しくしなやかな腕、それに同化してしまいそうなほどに長く伸びた白髪。一挙手一投足から滲み出る気品。この世に生を受けてからおおよそ二十年、どんな名高い彫刻や絵画もこの人の存在よりも美しいと思うものはなかった。もしレオナルド・ダ・ヴィンチと生前に出会っていたら、モナリザではなくこのひとを描いていただろうほどの調律のとれた完全さ。しかしこの人とはそれなりに付き合いは長いのだが、プライベートや過去の話に関して何も知らない。聞いてみたいことは山ほどあるけれど、この人の纏う完全さがそれを躊躇わせた。

 コーヒーを注ぎ終えた店長はそのまま目の前の椅子に座り、エプロンを脱いだ。そんな些細な仕草でもまんま映画のワンシーンになり、つい魅入ってしまう。まだ営業時間内のはずだが、そこは自営業の強みか、あるいは客入りの少ない店の特権か。強いて言及するほどのことでもない。

「あなたの働きのおかげでもあるんですから」

「あんなので、本当に金になっているんですかね」

「もちろん」

 怪訝な視線を向けてもどこ吹く風といった調子で話を続ける。

「あなたがここに来る前からそういう商売を続けてきたのですから。この店だってその余ったお金で建てたものですし」 

 懐かしむように、二人の間を分かつ少し古びた木製のテーブルを撫でる。そんな店長から視線を外しながら、ぼやいた。

「悩み相談なんかで生計を立てられるもんですかね・・・」

 悩み相談。それが店長の・・・、俺たちの仕事だった。

 言葉の意味通り、悩みを持つ人の問題を解決すること。これは店長の受け売りだが、『大抵のことは話を聞くことだけで解消する』らしい。ほとんどの人は悩みを独りで抱えている。懺悔や告解のように第三者がその話を聞くことで解決ではなく解消を図る。もちろん解決できる悩みであれば解決させるらしい。しかし、中には話を聞くだけでは立ち行かないことも起き得る。そんな時の実力部隊として、俺がいるらしい。一人なのに部隊というのは可笑しい話だが。

 「占いにお金を払う人がいるのですから不思議なことではないでしょう。むしろこちらの方が現実的でさえあります」

 業種としてはサービス業のような括りになるのだろうか。今まで衣食住の提供との引き換えに半ば強制的に働かせられてきたので仕事の背景や裏側までは聞いたことがなかったが。

 仕事も月に一度あるかないかの頻度で、その仕事も事後処理だったりの裏方仕事ばかりということでまともに働いた実感がなく罪悪感すらあった。どれほどの人が依頼に来るかは知らないが、九割九分の仕事を店長がこなしていたのだろう。

 なるほど・・・と思いながら淹れなおされたコーヒーに口をつける。いつも通り、美味しい。

 ふう、と一息ついて店長の方を見ると、いつもの柔和な笑みを浮かべていた。そして店長は話題を切り替えるように咳払いをした。

「君に仕事をしていただきます」 






 依頼人の名前は大伴おおとも友奈ともな。現役高校生二年生兼地下アイドル『brilliant night』のメンバー。栗色のボブカット、愛嬌のある目鼻立ち、初対面の人にも気に入られそうな愛くるしさも持つ。学校帰りにきたのか、制服に身を包んでいた。相談内容は、人気になりたい。  

 「・・・漠然としすぎでは」

 第一声がそれだった。

 店長からの仕事の要請に応えた翌日、この店で相談者と待ち合わせをした。依頼人の内容は聞かず、とりあえず会ってからという運びになった。店長は俺たちにコーヒーを出したあと、店の奥へと引っ込んでしまった。この件には口を出さないつもりらしい。

「・・・それで、依頼は受けていただけるのでしょうか?」 

 大伴はすごすごと遠慮がちに問いかけた。

「具体的な話を聞かないことには何とも。お話できるところまででいいので、お聞かせ願いますか」

 できるだけ高圧的にならないように丁寧に話す。

「・・・そうですよね、じゃあ・・・」

 そういうと大友は事の顛末を話し始めた。


「なるほど・・・」

 話を聞き終え少しの脱力感をコーヒーで流し込み、話の内容を反芻した。 

 内容は以下の通りだった。

 大伴は地元のライブハウスで活動する『brilliant night』のメンバーの一人。活動を始めてから一年経つが人気はあまり伸びず、鳴かず飛ばずの日々を送っている。その現状を変えるべく店長に相談を持ちかけたのだという。事務所には所属しておらず、金銭面の問題から運営やスタッフに外部の人間を雇うことも出来ずにメンバー自らが楽曲制作やグッズ制作、販路の確保、ライブの箱を押さえたり、機材の確認等々・・・。一介の女子高生数人がこなせるような労働量ではなく、さらにこの上パフォーマンスの向上にも努めなくてはならない。それを考慮すると、むしろよく一年もったと褒めてやりたいが、現状に不満を抱いているのならそれを口にするべきではないのだろう。

 俺はもっと別の根本的なことを彼女に訊かなくてはいけない。

「人気になるとは、売れるということと知名度をあげるということのどちらだとお考えで?」

「う〜ん、売れたい?ですかね・・・、知名度も欲しいですけど。・・・その二つって何か違うんですか?」

 場の空気に慣れてきたのか、大伴は先ほどよりも砕けた口調で話す。

「いやらしい話になりますけど、お金を落とすかどうかですね」

 俺の説明で納得したのか、あー、という声を漏らす。アイドルをやっているとそこら辺の金銭感覚はシビアのなのかもしれない。

 あくまで個人の感想だが、知名度=世間に広まると仮定するなら、大抵のアイドルやバンド、音楽グループは売れてから知名度を上げて行くように思う。オリコンチャートで一位を取ったとか、史上最速で武道館に立ったとか、偉大な功績を残すとそれに付随してメディア等に露出する機会が増えていき、それと比例するように知名度も急上昇していく。よって、世間に広まってのブレークは第二波以降に過ぎない。ブレークへのイグニッションは、以前から彼女たちを支え、囲う少数のファンたちの熱量が引き起こすのだと思う。

 だからこそ、まず考えなくてはいけないのは少数のファンの熱をどう上げていくか。今まで千円払っていたファンにどうやって一万円を払わせるか。あるいは現在彼女を知っている人たちをいかにファンまで引き上げるか。

「他にもいくつか質問したいのですが・・・」

 話を切り出そうとすると、大伴があの、と俺の言葉を遮った。

「年下相手に敬語使わなくてもいいですよ。・・・多分ですけど、私よりも年齢上ですよね?」

 上目遣いで遠慮がちにそう告げられた。気を遣っての敬語が逆に気を遣わせてしまっていたようだ。俺は首肯して、じゃあと話を続ける。

「具体的な目標はあるのか?ライブで何人動員したいとか、ここのライブ会場で踊りたいとか・・・」

 ファンに熱を持ってもらうにはアイドル側にもそれ以上の熱量が求められる。明確な目標があれば、互いに火をつけやすくなるだろう。

 しかし、その質問は地雷だったのだろうか、彼女は言いにくそうに俯いた。

「・・・私、流されやすいっていうか、このグループに入ったのもみっちゃんに誘われたからでして・・・。私自身がこうなりたいっていうのがないんです」

 愛想笑いを浮かべながら、彼女はコーヒーに口をつける。

 『みっちゃん』というのは推測するにグループのうちの一人なのだろう。同じ学校なのか、あるいは別の理由なのか。どんな縁かは知らないがとにかく、誘われるがままアイドルになったと思ったら想像以上のハードワーク。現状を変えるための相談なのだろうか、あるいは本当に人気になりたいのか。真実は神のみぞ知る。しかし自分が無い、と言う割に今後の意向について自分で相談に出向くあたり、グループに対して並々ならぬ思い入れがあるようだ。

「今のグループは楽しいですし、メンバーの子たちも仲良くて・・・。だからこそグループが今以上に売れたら他の子達も喜んでくれると思うし、もっと仲良くなれると思うんです」 

 だからこそ売れたいのだと、弱々しい語気で頼りなさげに語るが瞳には確かな意志が見てとれた。

 大まかには掴めてきた。彼女がここに来た理由も、どうしたいのかも。だからこそ、この真摯さに対してこちらも安請け合いをすべきではないことを知りつつも引き受けることにした。この真っ直ぐな瞳を見て誰が断れるというのだろう。

 実態を知らないことには何とも言えない。伸ばすべき長所も無くすべき欠点もまずは知ることから始めよう。



「店長」

 彼女に相談を受ける旨を伝え、また後日会う約束をし店は再び二人だけの空間となった。彼女、大伴友奈が店を出たと同時に入れ替わるように奥の部屋から出てきた。

 いつの間に挽いたのか、右手にドリップポットを持って俺の目の前に座る。

「初めての仕事は、どうでした?」

 柔和な笑みを浮かべながら、二人分のコーヒーを注ぐ。再び訪れる二人だけの空間。

「話を聞く限り、難しそうです」

 見栄を張る事なく素直に答えた。最近、アイドルプロデュースの間口が広がり未経験者が自分の思うようなアイドル運営をするようになっているようだが、アイドル業界とは本来は専門的な知識を持つ人間が金と時間をかけて、初めて成功するかどうかの世界だろう。それだけ手を尽くして、ようやくギャンブルになる。素人が易々と手を出したって博打にすらなるまい。結果は必敗。勝ち目がない戦いをギャンブルとは呼ばないし、時間と金を投棄するだけだ。こうしている瞬間にも新しいアイドルが生まれ、夢破れたアイドルが散っていく。店長がこの依頼を受けた真意が掴めないが、この人のことだ、何かしら考えがあってのことなんだろう。

 ただ引き受けるのも癪なので代わりに恨み言の一つや二つ向けてみる。

「なんで店長が受けなかったんですか・・・。」

 人材プロデュースなどの経験くらい店長ならあっても不思議じゃない。

「君もそろそろ実戦デビューする頃合いだと判断しました。それに、私はあまりサブカル?でしたか。そういう方面のものには詳しくはないもので・・・。適材適所ということで」

 生物識り川へはまりますからね、と店長はつぶやく。俺に仕事を与えるための方便かもしれないが、確かに相談者との歳が近い俺の方が今回の仕事は適任か。本当にアイドルについてわからない人はメンバーの区別をつけることも一苦労だと聞く。店長ならやってできないこともなさそうだが、他に適任がいる状況ならこの判断は正しいか・・・。どうやらどの方向から考えても、やらなきゃいけない状況は変わらないらしい。

 何より、と店長が続ける。

「あなたなら大丈夫でしょう」 

 弱ったな・・・。屈託のない、眩しすぎる笑みを浮かべられると二の句を継げない。信用を得るような働きをした覚えはないんだけどなあ・・・。

 こうなるとyesかはいの二択しか残されておらず、自ずと首を縦に振ることにした。

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