第174話 薫の母の涙

「兄ちゃん、どう?」


薫は自分で作ったカレーの味の感想を透に聞いてみた。


「薫!お前やるな!美味しいよ!」


「ほんと?美味しい?」


「あぁ、こんなに美味いカレー初めてだ!」


「嬉しい!兄ちゃんいっぱい食べて!」


薫…小さい頃からずっとお前と二人で力合わせて頑張ってきて…お前がこんな風に俺に飯を作ってくれる日が来るなんて…

透はまだ幼い頃の兄妹の記憶を思い出していた。

透はいつも薫の側にいた。薫が淋しい思いをしないように、友達と遊んでもなるべく早めに帰宅した。薫は毎日のように伝説の黒崎と遊んでいた。それは淋しさをまぎらわす為だ。だから理佳子以外に女の子の友達はほとんど居ない。母を知らない薫にとって透は母親の役目も兼ねていた。

透が小学校六年生の時に母を尋ねて一人で会いに行ったことがあった。理佳子の母、可奈子を頼って探したのだ。しかし、薫にはこの複雑な家庭環境のことを考えて、あえて母親のことは黙っていた。薫が母のことを口に出すまで…

透と薫の母、真紀は、1日たりとも子供達のことを考えない日はなかった。誰よりも二人を案じていた。何度家の前まで来て母だと名乗り出ようとしたことか…それが出来ずに二人を想いそして帰ることが幾度もあった。ただ一度だけ薫がまだ小学生の時に、真紀が玄関の前で立っていた時に薫が玄関のドアを開けて出ていく瞬間があった。薫は当然気付かずに不審な眼差しで脇をすり抜けただけだったが、真紀はその姿を見て、薫…お母さんだよ…と心の中で叫び、薫の後ろ姿を見送っていた。実は真紀は、子供達の成長をずっと陰で見守っていた。学校の参観日、学芸会、運動会、入学式も卒業式も全て人知れず出席していたのだ。それを知っているのは透と理佳子の母、可奈子だけだった。もし、それを透が薫に話していたなら、薫の淋しい人生は全く違う形になっていたであろう…父、矢崎拳は小さいながらも建築関係の会社を起業していた為に、そういった学校イベントには参加していない。薫が父親との思い出が少なく、父のことをあまり語りたがらない理由がそこにあった。可奈子は理佳子と薫の両方の入学式も卒業式も立ち会っていたのだから、当然妹真紀とも接触していて、複雑な妹の心境に心を痛めていた。

真紀は長年の無理がたたり体を壊してしまった。自分で生計を立てる為に、そしていつか子供達に役立てて欲しいと僅かな給料の中からコツコツと貯金をしてきた。なので、栄養も十分では無かったのだ。しかし、それだけが唯一子供達にしてあげられるせめてもの償いの証だった。


透はその日の夜、母真紀に連絡を取っていた。


「もしもし?母さん?実はさ…薫が…」


それを聞いた真紀はその場に膝をつき、ただただ泣いていた。

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