第4話 ピアノマン

 池袋駅の東口から出て大通りを歩き、高速が通る高架下を抜けるとその先は高層ビルやイベント会場があふれるサンシャインシティ。

 そこを通り抜けると大きなビルがそびえている。真新しいビルのフロアには、忙しく歩くスーツ姿のビジネスマンらしき人々があふれていた。

 だが、普通の会社と決定的に違うのは、そのビジネスマンたちの隣には一人ないし数人の少女や少年、はたまた老境に入った女性や不惑を過ぎた男性までもいることだろう。

 老若男女バラバラだが共通点を上げるなら、動きやすそうな格好をしていること。その誰もが、いきいきと目を輝かせているということ。


 なにより――『アイドル』であるということだ。


 そう、このビルは3年前に再結成された『アイドル協会』の池袋支部。

 アイドルに関わる『彼』もこの場の一員である。

 とはいえ現在、彼が担当しているアイドルは一人もいない。


「今日の仕事は――」

「あっ、はい、すぐにお伺いいたしますので――」

「遅刻だぞー。ほれ駆け足駆け足――」

「さぁ、早く行きましょう――」


 忙しく話している彼らを尻目に通り過ぎ、エレベーターに入り12階へ。

 そこはオフィスになっており彼の席もある。とはいえ、今できることは昨日のようなスカウトと、日々の糊口ここうをしのぐための仕事だけ。

 ひとまず仕事の予定を確認。

 今日は午後に一件イベントの手伝いと夜にライブの手伝い。夕方には少し時間ができるろうか。


「おい、あれ……」


 各イベントのスケジュールや演奏する曲名の確認をし、使用する楽譜をまとめていると、辺りが急にざわつき空気が変わる。

 場を支配する『世界』が来たためだ。

 この部屋にいる人間は、大なり小なりアイドルと関わっている。大抵のアイドルが来たところで空気が変わることはない。仕事というフィルターを通すし、なによりアイドルと接することに慣れている。


「大儀である」


 だが、彼女――天文道てんもんどう盈華えいかは、『大抵』のアイドルからは外れている。

 並外れた容姿と、あふれ出す自信。

 浮世離れした、彼女だけの空気をまとっている。

 それは独特の『世界ゾーン』と言えた。


「よう」


 気にせず準備を続けていた『彼』に声をかけたのは、天文道の隣にいるネイビー色のスーツ姿の二十歳半ばぐらいの青年だった。やや線の細い印象のある優男だが、その瞳を見れば『弱さ』からはほど遠いことがすぐに知れる。

 切れ長の瞳は狼を思わせるほどギラついており、強靭な意志をにじませている。


「おはようございます。守野もりのさん。ここに来るなんて珍しい。誰かに用ですか?」

「しらばっくれるな。お前に例の件を聞きに来た」

「あ~、あれかぁ。遠慮しておきますよ。僕にはもったいないですから」

「もったいないだ?」


 へらりと笑う『彼』の言葉に、守野が眉間に深いシワを寄せる。


「ええ、僕よりもっとできる人に任せたほうがいいですよ」

「他に適任がいないから言ってる。相手アイドルもないままで、くすぶってるんじゃない」

「やる気はありますよ」

「その譜面を持ってか?」


 『彼』が手にした今日の仕事道具を一瞥いちべつされる。

 守野はその仕事に対して見下しているわけではない。ただ、目の前の男が生きる場所はそこではないと言っている。


「こうしなきゃ、今日のおまんまにありつけませんから」

「お前の実力なら、『マネージャー』になれるさ。アイドルになりたいやつはゴマンといるんだ。今よりもよほど稼げるだろうよ」


 守野の餓狼のような瞳がじっと『彼』を突き刺してくる。


「いつまでも『デュアル』にこだわるな」



 『デュアル』



 現代において、この言葉には『二重』だけではない、大きな意味が付随している。

 アイドル活動は当然ながら一人ではできない。スケジューリングや仕事の営業と並行して歌やダンス、演技を磨くのは難しい。

 最大のパフォーマンスをアイドルが発揮するためには、それをサポートする存在が必要だ。かつてはマネージャーと呼ばれた職だが、アイドルが多くなるにつれ、さらに踏み込んだ役職が生まれた。


 一対一でアイドルの影となり援護する存在――それが『デュアル』。


 もちろん、現代においても複数人をマネジメントすることはあるが、デュアルと組んでいるアイドルはそれだけ期待され、特別視されている証でもある。

 事実、アイドルの人気の指標である『アイドルランキング』上位のアイドルたちはほぼデュアルと二人三脚で活動している者たちばかりだ。


「デュアルの君が言いますか?」

「俺だから言っている」


 無論、天文道の隣に立つ守野は、彼女の唯一無二の影――デュアルだった。


「ん~……でも僕は、まだ『償えて』いませんので」


 相変わらずの、どこか気の抜けた笑顔だったが。


「お前、まだ……」


 守野は虚を突かれた顔をする。


「――我がともよ。ときが来た」


 さして感慨も無く二人を眺めていた天文道が放つ一言が、会話の流れすら押し流す。


「……わかっている。くだんの話は保留にしておく。仕事前に時間を取らせたな」

「いえいえ、君の方が忙しいのにわざわざありがとうございます」

「ああ」


 頷くと守野は踵を返す。


「じゃあな――ピアノマン」


 『彼』をそう呼び、守野と天文道はオフィスを出ていく。


「ええ、また」


 二人の背中にひと声かけ『彼』――『ピアノマン』と呼ばれた青年は、そのまま仕事の準備に戻っていった。

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