第2話 アイドルになりたくない理由

 ――ごめんね。


 晴れていたし、爽やかな時期だったと思う。

 でも、あの日は昨日以上に寒々とした日だった。

 だって、いつもなら優しく響くはずの歌声が聞こえないから。


『どうして?』


 ――もう私、限界だから。


 そう『お姉ちゃん』は笑った。

 いつも見せてくれた太陽のような眩しい笑顔とはまったく違う空虚な笑み。

 穏やかな大気をも凍らせる、笑みだった。


『そんなのちがう、ちがう!』


 わかっている。

 子どもだからと、わからないふりをしてても痛いほどわかっている。


 終わりなんだと。

 彼女はもう、歌うことはないのだと。


 ――これ、あげるから。


『いらない。やだ、やだ! どうして……どうして……!』


 お姉ちゃんは最高なのに。


 どうして。


『どうして、アイドルなんかになったの?』


 ――それが、今の世界なの。


 歌う楽しさを教えてくれた人。私の目標――なのに途切れた。

 自分よりもずっと歳上なのに、今は小さく見えるほど、弱々しい声だった。


 ――もし、許されるなら。つづりは自由に歌ってね。


 そんな言葉を残して彼女は去っていく。

 私のことなんてどうでもいいのに。

 お姉ちゃんが歌わなきゃ意味がないのに。

 『アイドル』になったばかりに大好きなことを辞めてしまうなんて。

 だとしたら、アイドルなんて――アイドルなんて。



 ――否定シテヤル。



   ◇


「…………」


 スマホのアラームががけたたましい音を上げ、起きろ起きろと騒ぎ立てる。

 浮上する感覚と共に、つづりは目を覚ます。

 いや、眠りは浅かったから浮き上がるというほどでもないのかもしれない。

 この悪夢から起こしてくれたのだから、いつもはうるさいと思う目覚ましにも感謝してしまいそうだ。


「…………」


 夢。

 でも、過去にあった現実の記憶。

 つづりの信じていたものが崩れた瞬間。

 その原因が――『アイドル』


「まったく……」


 ノロノロと布団からい出る。頭が重い。まったく眠れた気がしない。

 部屋を見回す。マンションの3階にある両親と住む自宅。3LDKの一室がつづりの部屋だ。勉強机と音楽の教本や楽譜を並べた本棚。ベッドの隣には、ステージピアノを置いている。

 本当の持ち主のいなくなったピアノ。

 高校生の自分にとっては不釣り合いな高級品。


「……はぁ」


 ため息一つ漏らしてから鍵盤に手を伸ばし、軽く弾く。

 電源は入っていないから、音は鳴らない。


「また見たんだ……」


 口の中に苦いものが広がる。

 5年前のことなのに、はっきりと思い出すことができる。


「……お姉ちゃん」


 受け継いだもの。

 そして、アイドルに対して怒りを覚えたこと。


「アイツのせいだ」


 間違いない。急にスカウトなんてしてくるから、こうして嫌なことを思い出す。


「つづりー。お母さん出るから、戸締まりよろしくねー」

「…………」

「つづりー? 起きてるのー?」

「起きてるー、わかったー!」


 玄関から聞こえる母親の言葉に答えて、つづりも高校へ向かう準備を始めた。

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