第五話 井戸の神様 1

「あ、もう開庁時間! やっぱり報告書、間に合わなかった~」


 壁にかかった時計を見ながら、入力途中の文書を保存するための、フォルダーを開く。そして、名前をつけて保存をした。


「あともうちょっとだったのに、無念~」

「残念じゃったの。続きは昼休みじゃな」


 ディスプレイの上に座っていた神様が笑う。


「あとほんの少しなので、お昼ご飯を急いで食べて、休み時間をけずって終わらせますよ」

「なんと。では、お前さんのピザとラザニアは、安泰あんたいか」


 気のせいか、少し残念そうな口ぶりだ。その口ぶりからして、やはり神様は、ピザとラザニアの独り占めを、たくらんでいたらしい。


「神様が一人でコッソリ食べるより、公平にシェアできると思いますよ?」

「それは良きかな良きかな。ではわしも、仕事にかかるとしよう」


 そう言って、神様は姿を消した。その直後に、開庁を知らせるチャイムが鳴る。このへんは、「人間」のハローワークも「神様」のハローワークも同じだ。


 そして一人の神様がやってきた。見た目はやはり高齢者風。ここにやってくる神様は男女の性別を問わず、ほとんどが人間の高齢者に似せた姿をしている。もしかして神様達の中で、見た目はこんな感じにしなさいという、決まりでもあるのだろうか。


―― まあ間違いなく、人間より神様のほうが、ずっと年上なんだけど…… ――


 その神様が私の前のイスに座り、エントリーカードを差し出した。活動記録が書かれていない、まっさらなエントリーカードだ。


「おはようございます。こちらのハローワークを利用されるのは、初めてですか?」

「はい。そろそろ、次の場所を探す時期が、きたものですから」

「拝見しますね」


 そう言いながら、エントリーカードを手元に引き寄せる。


「井戸の神様で、よろしいですか?」

「はい。今は井戸の神をしています」

「こちらに来られたということは、その井戸が、近々なくなるということなんですね?」

「ええ。家が古くなったので、改装することになったのですが、井戸は埋めることになりそうなので」

「そうなんですか。それは残念ですね」

「残念ですが、これも時代ですね」


 この街は歴史のある古い街なので、今でも井戸水を使っているお宅も少なくない。ただ、飲料水として使うためには、半年に一度、保健所の水質検査を受けなければならなかった。さらには下水道代もそれなりに加算されるので、家を取り壊したり改築する時には、埋めてしまうことがほとんどだった。


「希望される神様枠はありますか?」


 募集枠の検索をするために、質問をする。


「できることなら今まで通り、おいしい井戸水を人々に飲ませたいものですが」

「なるほど……」


 検索に引っかかる募集枠は0件。


「……今のところ、井戸の神様の募集枠はないですねえ……」

「そうでしょうね。減った話はよく聞きますが、増える話は聞いたことがありませんから」


 さて、どうしたものかと考える。井戸の神様に向いている新しい神様の仕事、なにがあるだろう。


「ちなみに、今のお宅の井戸は、どのようなものなんですか?」

「もちろん、飲める井戸水なのですよ。昔と違ってモーターでくみ上げているのですが、いまだに大事に井戸を使ってくれているのですよ」

「へえ……まあ、昔からこのあたりは、地下水が豊富だって言われてますからね」

「そうなのですよ」


 その地下水を利用しての酒造りも盛んだったようで、その名残なごりか、街中のど真ん中という立地にも関わらず、何軒かの造り酒屋が今も残っていた。そしてそこのお酒が、またおいしいのだ。


「なるほどー……ですと、やはりこのあたりの地下水関係の、お仕事を探したほうが良さそうですね?」

「できることなら、それを希望しています。この地域にも愛着がありますからね」


 その井戸があるお宅の住所を確認すると、驚いたことにここのご近所だった。


「ああ、あそこのお宅! 知っています、ここ。昔ながらの町家ではないですが、かなり古いお宅ですよね」

「ええ。ここの水道水がおいしくない時代は、ずいぶんと重宝ちょうほうがられましたよ」


 神様が懐かしそうな表情をする。その顔は話しぶりと同じで、とても穏やかなものだった。


 八百万やおよろずハローワークにやってくる神様の多くは、これまでの居場所がなくなってしまう神様がほとんどだ。それもあって、気落ちした様子でやってくることが多い。だからこんなふうに、穏やかな様子の神様も珍しい。少なくとも、自分はこういう神様は初めてだ。


「なにか?」


 私が黙ってしまったせいか、神様が首をかしげる。そんな仕草しぐさも、実に人間らしい。


「あ、いえ。なんていうか、達成感を感じていらっしゃる、ご様子だなと」


 その言葉に神様はほほ笑んだ。


「そうですね。そういう気持ちもあります。井戸を埋められてしまうのは寂しいことですが、今まであの家ですごした時間は、実に楽しいものでした。飲料水だけではなく、洗濯に使ったり、冷蔵庫のように果物や野菜を冷やしたりと、本当に充実した時間だったのですよ」

「なるほど。できることなら、その井戸が残ると良いんですけどね。まだ、本決まりではないんですよね?」


 とはいえ、そこに私達が口をはさむことはできない。いくら神様が離れたくないと思っていても、その家の人が井戸を埋めると決めたのなら、私達に止める権限はないのだ。なぜなら一般の人達のほとんどは、神様の存在に気づくことなく暮らしているのだから。


「そうなのですが、次の行き先をある程度は決めておかないと、なんとも落ち着かないのでね」

「まだ時間に余裕があるんですよね。色々なお仕事を試しつつ、ギリギリまで井戸水関係の募集枠を探してみましょう」

「ありがとうございます」


 神様はうれしそうな顔をした。しかたないと言いつつも、それまで自分がやってきた仕事を続けたいと思うのは、人間も神様も同じだ。とにかくギリギリまで粘って、井戸の神様の募集枠を探してみよう。


 そんなことを考えながら、地下水関係の神様の仕事が、いくつか検索に引っかかった。


「あの、飲料水ではありませんが、地下水を使っている和紙工房が、ここの近くに何軒かあるんです。井戸ではなく水道とあまり変わらないのですが、そちらもお試し枠に入れておきましょうか?」

「なるほど。そういうことにも、地下水が使われているのですね。ぜひ、お願いします」


 井戸の神様は少しだけ興味をひかれた様子だ。


「わかりました。今はまだ、井戸の神様としてのお仕事があるでしょうから、お試しのお仕事は井戸が埋められてから、ということになりますね」

「そうですね。その時はよろしくお願いします。……今日、おうかがいして良かった。少し気持ちが軽くなりました」


 神様がホッとしたように笑った。


「それは良かったです。またなにか不安なことが出てきましたら、遠慮なくこちらにおこしください」

「ありがとうこざいます。では」


 カードのお試し枠に募集案件コードを印字をして、それを神様に返却する。神様はカードを受け取ると、深々と頭をさげて姿を消した。


「井戸を埋めるって、けっこう手間ヒマがかかるって聞きましたけど、本当なんですかね。あと、神様的な神事もあるとかないとか?」


 独り言のような私の質問に、パソコンの神様が顔を出す。


「どちらも、もちろんじゃ。まあ神事に関しては、最近は簡略化が進んでおるがの」

「なるほど」

「地下水は地面の下でつながっておるじゃろ? 勝手に埋めて地下水が汚染されると、そこだけの問題ではなくなるんじゃ。だから、きちんと手順を踏んで埋めなくてはならん。それだけに、これもかかるんじゃな」


 そう言って神様は人差し指と親指でマルを作った。


「マル? ……ああ、お金」

「そういうことじゃ」

「大変なんですね、井戸水を使うって」

「大変なんじゃ」


 そんなに大変なことなら、埋めないで使い続けよう、なんて話にならないものかな?と考えてしまった。


「井戸水は良いぞ? 夏は冷たく、冬は温かい」

「へー……」

「ここの地下水は、隣の県の湖と同じぐらいの量があるんじゃ。すごいじゃろ?」

「へー……って、え?! それってマジですか? だって隣の県の湖って、めちゃくちゃ大きいですよ?」

「だが事実じゃ」

「へー……」


 その話を聞いて、なんとなく地面がタプタプと揺れたような気がした。

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