02

 物語の佳境。


 最終決戦前に主人公とヒロインの想いが通じ合い結ばれた。


 唇を交わすだけ留まらず、今日はずっと傍にいたいと、同じ部屋で一晩を共にする流れとなったのだ。その部屋で二度目の唇を交わし画面は暗転。次の場面では朝が訪れており、二人は大人の階段に上った後なんだな……と思ってクリックしたらとんでもない。まさに大人の階段を登るシーンに突入したのだ。


 舌を絡め、お互い生まれたままの姿となり、物理的に結合し、子供ができちゃうようなことを最後まで行った。ヒロインが上げるその嬌声は、子供には決して聞かせられないものである。


 蒼グリはアダルトゲーム、十八歳未満が手を出してはいけない代物だったのだ。道徳や倫理ではなく、社会が定めた法である。


「そんなの神ゲーの前では些細なことだ」


 が、隣人はそんな一言で切り捨てたのだ。


 この男は絶対におかしい。改めてそう確信した。


「些細なことじゃないわよ! アダルトゲームを女子高生にやらせるってどういうことよ!」


 わたしはまだ十五歳。年相応に成長こそしているが、十八歳以上に見られるほど大人びてはいない。ゲームを渡した時点で、同じ大学生だなんて勘違いはされていないはずだ。


 隣人は大学二年生。そんな男が女子高生に、アダルトゲームをやらしてきたのだ。問題以外なにものでもない。


 なのに隣人はなおもその顔は得意げだ。


「蒼グリはエロゲーでこそあるが、その前にシナリオゲー。あくまでエロではなく、物語を楽しむ作品だ。実際、エロはワンシーンしかなかっただろ?」


「た、確かにそうだったけど……」


 蒼グリはアダルトゲームでこそあるが、エッチなシーンは物語の一割すらもない。作中のほんの一コマだけであった。


 アダルトゲームというものは、終始エッチなことをしているゲームだと思っていた。それだけに油断していたとも言える。


「アダルトゲームという括りだけで考えるな。名作と呼ばれた映画にも、男女の営みが描写されているだろ? それと同じだと思え」


「……そう、言われてみると」


「マンガだってそうだ。全年齢対象の雑誌なのに、あからさまなシーンが挟まれているのは多々あることだ。むしろ少年誌より、少女向けのほうが過激なくらいだ」


「ああ……」


 思い至る節があった。なにせそれが性の目覚めだと言っても過言ではない。それほど少女マンガは過激であり、目覚めて以来、むしろそういった作品ばかりを求めてすらいた。


 ただエッチなだけではなく物語も楽しめる。まさに一石二鳥である。 


「あくまで楽しむのは物語だ。エロシーンを厭うなら飛ばせばいい。女子高生にそのシーンまで読み込めなんて言わん」


 良識があるのだか、ないのだか。よくわからない発言をする隣人。


 確かにエッチなシーンは物語の一部の一部であった。そこを飛ばしたところで物語には影響はないだろう。……まあ、飛ばさなかったのだが。


「改めて聞くぞ。神ゲーだっただろ?」


 と、隣人は得意げに聞き直してきた。


 つまらなかった。くだらなかった。やって損した。


 そんなマイナスな評価など、絶対に返ってこない自信に満ちている。なにせ昼夜逆転するほどにやったのだから、と。


 始まりは無心となるため、余計なことを考えないために始めたあのゲーム。気づけば物語に没入していた。


 わたしの知らなかった世界。


 正直見下しすらしていた、一生踏み入れるはずのなかったジャンル。


 それを認めるのがシャクであり、隣人の得意げな顔に悔しすら感じていた。


「余計なことは考えずに済んだわ」


 だからそうとだけ答えたのだ。


 絶対に見ると確信していた悪夢を見ることなく、二日続けて蒼グリの夢を見ていたくらい。胸の内に蔓延り続けていた二字熟語が鳴りを潜め、息をしているだけで感じていた苦しさは消えていた。代わりに普段耳にしない横文字ばかりが、頭の中に響き続けている。


 隣人はわたしの返答に、口元をニンマリとさせた。面白かったなんて直接的な表現がなくても、それで十分だと言っているかのようだ。


 無言で蒼グリが入ったメディアケースを差し出すと、隣人はそれを受け取りに立ち上がった。


 今のわたしには、命を捨ててまで楽になりたいなんて衝動はない。一過性の苦しみ、その波はもう落ち着いている。


 この二日間の間、麻酔のような役目を果たしてくれたゲーム。それが今、持ち主の手へと返っていった。


 毎週待ち遠しく見ていたドラマの最終回。それを見届けた満足感のようなものが、今この胸に満ちている。同時に終わってしまったという、少しばかりの物寂しさもまた覚えていた。


「ねえ、ソフィアってさ、なんで蒼一のことが好きなのよ?」


 だからつい、そんな質問をしてしまった。


 ゲームをやり終えた今、ふと思いついた疑問。物寂しさの慰めのように、つい知りたくなってしまった。


「この際、蒼一の鈍感ぶりは置いておくとして、ソフィアのあからさまな愛情、あれはなに? その辺りの説明がないんだもの。主人公とはいえ、そんな女の子がずっと傍にいたとか都合良すぎなんだけど」


 蒼き叡智の魔導書グリモワールは、学園の落ちこぼれである主人公、煌宮きらみや蒼一がある日、力を手にすることから始まる物語だ。色々とあって最後には世界を守る、そんなお話。


 ソフィアは落ちこぼれ時代の蒼一をずっと支え、想い続けてきた女の子だ。最初から蒼一が大好きなのがよくわかる、いかにも世の男が好きそうなキャラクターである。


「それが気づけば話の蚊帳の外に追いやられて、蒼一はクリスと結ばれてるんだもの。なんかソフィアが可哀想じゃない?」


 あれだけ愛情を持って尽くしてきたのに、あっさり蒼一は別な女とくっついてしまった。ゲームをやっているときは気にならなかったが、終わって振り返ってみると、その扱いがあんまりだ。


 物語の都合上仕方ないとはいえ、まさに使い捨てのように切り捨てられた。考えれば考えるほど、同じ女として憤りすら湧いてきた。女は都合のいい男の道具じゃないんだぞと、蒼一にではなく、製作者に一言申したいくらいだ。


 隣人は神ゲーというくらいに蒼グリが大好きなんだし、その辺りの裏話を知っているのでは、と思った質問だったが、


「それに答えるとネタバレになる。気になるならソフィアルートまでしっかりやるんだな」


「ソフィアルート?」


 ネタバレはしたくないと、予想外の答えが返ってきた。


「ん、そうか。ゲーム自体やらんと言っていたな」


 意味を飲み込めずにいるわたしに、忘れていたとばかりに隣人は言った。


「蒼グリはクリス、サクラ、ソフィアの三ヒロインから物語が紡がれる作品だ。貴様はまだ、蒼グリの三分の一に触れたに過ぎん」


「……三分の、一?」


 思いもよらぬ事実を突きつけられ、わたしは喉を苦しげに鳴らした。


 この二日間、寝食以外の時間を全て費やし、ひたすらマウスをクリックしてきた。会話を飛ばすことなくその声を聞き届け、その全てをやり遂げた。


 ……と思っていたのに、蒼グリの折り返し地点にも辿り着いていなかったらしい。


「初めからやり直してみろ。序盤に新しい選択肢が増えている。それを選べばサクラルートが始まるぞ」


 かくして昼夜逆転生活は終わることなく、その始まりにすぎないのを告げられたのだ。

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